スカイ島計画

【第2日目】

  第1日目の夜はウリニッシュ・ロッジ・ホテルでロブスターを頬張りながら、ワインをガブガブ。至福のひととき。
  第2日目の朝はいつものように曇り空。
  朝食はポリッジ(Porridge)。ポリッジはオート麦で作ったお粥。これがまたお酒を飲んだ翌朝には何ともいえない。
  朝食後外に出てみると、草原の爽やかさといった雰囲気(決して草原ではないが)。曇り空ながら静かな佇まい。
  「いいところだなあ。」

  9時25分、ホテルを出発。ホテルからA863に出るまで1マイルほどは、例によってB道路並みの曲がりくねった細道。その道とA863に合流するところに今日最初の訪問地があった。それはダン・ビーグ(Dun Beag)である。実は昨日も探したのだが見つからなかった。というのも、ダン・ビーグは、まわりのゴツゴツした岩山の中にすっかり溶け込んでいて、道路から見てどれがダン・ビーグか探せ出せなかったのであった。


Dun Beag

  我々は、HS(ヒストリック・スコットランド)の史跡や遺跡をこれまでにも見てきて、何かものすごく古い遺跡に興味を持ち始めていた。誰が作ったのか、何のために作ったのかを、我々が勝手な想像をして楽しむということに興味引くものがあった。
  ダン・ビーグもそんな遺跡であり、スカイ島で唯一HSの指定を受けている遺跡である。
  案内プレートによれば、ダン・ビーグは紀元前400年−200年、鉄器時代の要塞兼住居だったところで、石で作られた丸い下部のみが残されている。外見からは良くわからなかったが、上からのぞくと、本当にまん丸に石を積み上げて土台を作っており、よく作ったものだと感心してしまう。その高さ2メートルほど。直径は小生の歩幅で12歩。使われていた時には石塀の高さは10メートルぐらいあったという。そこに藁の屋根が付けられていた。ダン・ビーグは小高い丘の上にあるのだが、その石塀の一ヶ所は入り口で、そこには階段も付けられ、入り口の両側には、これまた石でできた丸い小さな穴が作られている。識者の推測では、一家族がそこで暮らしていたか、あるいはそこを中心に小さなコミュニティが形成されていたのではないかという。
  ダン・ビーグからの眺めもすこぶるよく、海から近づくもの(侵入者)をはっきり見て取れるような場所にある。現在では、そのまわりで羊が草をはんでいる。
  「やっぱり我々には立派なお城より石だね」などと冗談とも本気ともいえる会話をしながら、しばし2000年以上前に住んでいたであろう人々に思いを馳せた。

  10時にダン・ビーグから自動車に戻り、A863をストルアン方向に走った。ストルアンからスカイ島を横断するB885をポートリー(Portree)目指して走る。このB道路は、昨日走ったB884よりさらに「ヤバイ」道だった。
  B道路であるからして当然車一台分しか道幅はない。しかもB884以上に横着、厚顔な羊が多かった。彼らはいつも眠そうな目をして何やら口を動かし続けていた。自動車が近づけばしぶしぶながら道をあけるのだが、集団で道幅一杯に歩いて近づいてくる羊たちにはこちらがぶっ飛んでしまうほど驚いた。そんな羊たちに随所で遭遇するのであった。
  「アバディーンの郊外でも羊は見るけど、道路に出てくる羊はいないよね。」
  見れば柵などどこにもなかった。いわば島全体が柵で彼らはその範囲内を自由に移動できたのであった(しかしちゃんと誰かに飼われている羊たちである。その証拠に背中に赤や青のマークが付いていた)。
  そして何より小生をビビらせたことは、この道は岩盤を切り開いて作った道で、道路の左手あるいは右手がそのまま崖になっている場所が数ヶ所あったことであった。ガードレールはない(いや正確には一ヶ所だけあったと記憶しているが、それほど長くない)。もちろんいたるところにパッシング・プレイスはあった。だが、もし崖の近くで、不運にも対向車に出くわしたら当然パッシング・プレイスまでバックしなければ・・・。背筋が凍る思い(「ヤバイ」とか「ビビる」とか、決していい言葉ではないがこんな表現をしたくなるほどの場所だった)。
  それでもときどき視界が開けて、曲がりくねった一本道が遠くの方まで見渡せる場所があり、そんな場所を通過している時には『天上を走る道だな、これは』と思ったりしたものである。

  ずいぶん長い時間走ったように感じたが、ポートリーに着いてみると30分程度の距離だった。
  ポートリーから今度はA87を北上し10時41分、ウィグ(Uig)という港町を通過。そこからはA855に道の名前が変わる。名前が変わってもA道路、と思ったのが大間違い。B道路とほとんど変わらない道幅。対向車に注意しながら車を走らせてスカイ島ライフ博物館には11時3分に到着した。ウィグからは8.6マイル。

  スカイ島ライフ博物館(Skye Museum of Island Life)は、スカイ島の生活物資を集めて、島民の生活の様子を再現した博物館である(大人£1.75、子供75p)。博物館といっても、民家を模した建物が6つほど建っていて、農具や漁具、部屋の内部などテーマごとに展示されているといった形式である。小さな施設ながら、ここにも大型バスに乗った観光客(たぶん大陸のどこかから来たのだろう)が訪れていた。


       
Skye Museum of Island Life

  さて、この博物館から見える場所に墓地がある。実は、そこにフローラ・マクドナルド(Flora MacDonald)のお墓があった。
  カローデン・バトル・フィールドを訪れていた我々は、この戦いでイングランド軍(ハノーバー軍)に負けたボニー・プリンス・チャーリーが、命辛々逃げ延び、インヴァーネスからスカイ島を経由してフランスに逃げ延びたという話を聞いていた。そのボニー・プリンス・チャーリーをスカイ島から脱出させたのがフローラ・マクドナルドであったのであった(「マイボニー・イズ・オヴァー・デ・オーシャン」という歌詞の歌はフローラ・マクドナルドがボニー・プリンス・チャーリーを逃がすときの模様を歌った歌なのかしらん? 誰か教えて!)。
  フローラ・マクドナルドのお墓を見ると、彼女は1722年南ユイスト島で生まれで、1790年3月4日にスカイ島で死去したという。68歳まで生きたことにちょっと驚き安心した。イングランド軍に捕らえられ拷問にでもかけられたのではないかと思っていたからであった。


撮っちゃいけないんでしょうが・・・

  晴れていれば北の海なども見られて最高のロケーションなのだろうが、どんよりした空。そして何よりも海からの冷たい風。外にいてゆっくり見学する雰囲気ではなかったのが残念であった。

  11時50分に博物館を出て、左手に海を見ながらスカイ島の北端をグルッとまわり、今度はスカイ島の東海岸を南下する。例によってB道路並みのA855が続く。
  25分ほど走ると、右手に内陸部にそそり立った巨大な岸壁が見えてきた。地面に箱を置いたような感じのものもあれば、鋭角と直角を結ぶ線を地面に付けて立たせたような鋭角の三角定規のように見えるものもある。それが海沿いではなく、内陸部に数ヶ所連なって見えてくるのである。これは見事としかいいようがない。まさに荒野である。そして、そんな風景を見ながらさらに10分ほど走ると、巨大なやじりが上から落ちてきて垂直に刺さったような岩が見えてくる。それがオールド・マン・オブ・ストー(Old Man of Storr)といわれる奇石だった。我々が通りかかったときには、霧が出て何とも幻想的な雰囲気の中にその岩が見えていた。


Old Man of Storr

  さらにA855を走って、ポートリーのツーリスト・インフォメーション前には12時42分に到着。すぐ近くのセーフウェイ(Safeway)でサンドウィッチを調達して昼食と休憩。それほど大きくない街のメインストリートには、多くの観光客がそぞろ歩いていた。


英語の下にゲール語の表示がある(ポートリー)

  1時25分、ポートリーを出た我々は、今度はA87を通ってスカイ・ブリッジに向けてひた走る。前日立ち寄ったブロードフォードのツーリスト・インフォメーションには2時に到着。そのそばのガソリンスタンドとお土産屋が合体したお店でスカイ島のお土産を買った(何を買ったかって? ハハハ、「私はスカイ島に行ってきました」と書かれたステッカー。「北海道に行って来ました」といった感覚の商品なので思わず買ってしまった・・・)。
  2時40分にツーリスト・インフォメーションを出て、スカイ・ブリッジを通過、本島側(カイル・オブ・ロハルシュ)に戻ってくると、ナント、帰りも£5.70の通行料がかかるという。往路で支払った£5.70は往復料金だとばかり思っていた小生は、腑に落ちないものを感じながらも急いでお金を取り出して支払うことになった。

  カイル・オブ・ロハルシュのスタンドで給油をし終えたのがちょうど3時。そこからは、昨日来た道をインヴァーネスまで戻ることになる。道路が混んでいないこともあって時速60マイル程度でかっとび(ま、制限速度以内だが)。途中通過したアッカート城の駐車場はこの日も長蛇の列だった。

  そして5時ちょっと前、地図を頼りに、無事、マイケルとアヤコさんが待っているB&Bに到着した。

  この日の走行距離180.6マイル(約289q)だった。


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