10.交通渋滞を考える(あるいは9時前に出勤しない理由)

 交通渋滞といっても、ロンドンならいざ知らず、人口20万ちょっとのアバディーンでの話なので、日本に比べればまったく問題にならないほどの渋滞であることを最初にお断りしなければならない。

 イギリスの自動車は、日本と同じように、ハンドルが右側に付いているのでそんなに違和感はない。ちょっと違うのはウィンカーがハンドルの左側、ワイパーが右側に付いていることぐらいだろうか。日本とは左右逆なので、いまでも時々ウィンカーをあげようとしてワイパーを動かしてしまうことがある。また小生、日本ではオートマチック車に乗っている。教習所以来、マニュアル車に乗ったことはなかった(しかも教習所ではコラム式というのだろうか、フロアではなくハンドルの近くにシフトレバーがあるものだった)。日本の自動車自体も、一部のマニアックな方々のニーズに応えるものを除いては、ほとんどがオートマチック車に変わっているのではないだろうか。しかし当地では何故かマニュアル車に人気があるようで、小生が購入した中古車(Rover)もマニュアル車だった(もちろんオートマチック車もある)。

 道路に目を転じれば、信号は北海道ではおなじみの縦型(上から赤・黄・緑が並んでいる)の信号機だ(日本で主流の横型はなさそうだ)。この信号、緑から黄色に変わり赤になるという点では日本と同じだが、赤から緑に変わる前に黄色が点滅して(あるいは点灯して)変わるという点は、日本とは違う点だ(これは日本でも導入すべきだ。さあ走るぞという心づもりができる)。
 さらに、運転手のマナーはおおむね良好で、信号が赤に変わる前の黄色の時に慌てて突っ込むという(小生もここで懺悔)、北海道ではありがちな運転手はほとんどいない(ただし、緑に変わる前の黄色の時には前進してもいいようだが)。自動車はもちろん左側通行である。

 これに対して歩行者のマナーは最低だ。たとえばCity Centre付近は、Union Streetをはさんで商店街があるため人の往来がはげしい。自動車も多い。こんな中で、自動車さえ来なければいつでもわたれるという習慣ができてしまったように、たとえ歩行者用信号が赤であっても、自動車が来ないか、あるいはちょっとした渋滞で止まっているといった場合は、堂々と渡ってしまう。それも、向こう見ずな若者ばかりでなく、「この年でそんなことするか」というような年輩のミセスや、まだ幼い子供を連れた家族連れまでやってしまうのである。思い当たる理由を考えてみれば、歩行者用信号の緑の点灯時間が極端に短いので(長くて10秒、短ければ5秒程度で歩行者用の緑の点灯が消えるので、道の真ん中で立ち往生することもしばしばだ)、あえて命をかけて信号無視や向こう見ずな行動に走ってしまわなければならないのかもしれない(そんなバカな)。いずれにせよ、ドライバーはそういう歩行者に十分注意して走行しなければならないわけである。

 さて、当地には自動車用の信号機が極端に少ない。交差点ではとくにそうだ。直線道路にある信号機は、ほとんどすべてが歩行者用信号機(これまた押しボタン式がほとんど)に応答して自動車を止めるためのものであることに気付かされる。
 信号機の代わりになるものはランダバウト(Roundabout:日本語でラウンドアバウト)である。ランダバウトについては今更説明はいらないだろうが、ランダバウトは環状十字路である(日本ではロータリーというらしい)。ちなみに下の図は、DSA(Driving Standard Agency)発行の“The Official Driving Manual(1999)”から転載したものである[pp.170-171]。ランダバウトに来たときは、常に右側から来る自動車に気を付けていればよい。ランダバウトは右側優先の右回りだ。つまり右側から自動車が来ているときにはそのまま止まっていなければならない(もし動けば右側面に相手のフロント部分がぶつかりお釈迦だ)。他方、右側から自動車が来ないときには、直進はもちろん、左折も右折もできるのである。Uターンの場合も便利である。要は、一度ランダバウトの中に入ってしまえば自分の車が最優先されるのである(日本で発行されたある本に、ランダバウトの中ではグルグル右回りで何度も回転できると書いてあった。確かにそれは可能だ。ただそんな暇なヤツはいない。さすがに小生もそれだけはできない)。
 


左折の場合

右折の場合

直進の場合(上から下に進行)

 ランダバウトでは自分の判断で右左折直進しなければならない。信号にゴーストップを「慣らされた」小生にとって、このランダバウトに入ることはかなり勇気のいることだった。もちろんランダバウトの前では一時停止である。ということは、シフトをローに入れて発進しなければならない。シフトをローに入れて発進するということは半クラッチが必要だ。かてて加えて後続車があろうものなら、緊張の糸は張りっぱなしである。当初は、『どうぞ右側に自動車がないように』『どうぞ後続車がないように』と祈りながらランダバウトを通過したものである。

 しかし慣れてみるとランダバウトは信号よりはるかに合理的である。右側から自動車が来ない限りいつでも通行できるのである。日本では、進行方向の信号が赤ならば、たとえ進行方向に交差する右の車線に自動車がいなくても次の緑まで止まり続けなければならない。これは場合によってはストレスの原因になることもあるだろう。ランダバウトではこんなことはまったくない。しかももし進行方向を間違えたとしても、最寄りのランダバウトでUターンすればいい。大英帝国になぞらえて大日本帝国と称したくせに、こんなに合理的なものを何故日本でも導入しなかったのかと思ってしまったりもした(ちょっと大げさか)。

 ところが、ある日、このランダバウトが思わぬ交通渋滞を引き起こすことに気付いた。

 それは珍しく9時前に大学に行った日の朝のできごとだった。小生、大学までのルート上で二つのランダバウトを通過する。8時台は出勤ラッシュである。City Centreに向かう車線はとりわけ渋滞がひどい。ロー、半クラッチ、セコ、ブレーキ、ロー、半クラッチ、ブレーキ、ロー、半クラッチと苦手の半クラッチを繰り返して渋滞の中に吸い込まれていった。
 『いったいこの渋滞は何だ』
 この疑問はランダバウトにさしかかって氷解した。
 大学近くの二つ目のランダバウトは、交差する両方向の車線とも幹線道路である。小生の進行方向はCity Centreに向かう。交差する道路は別の町に向かう。どちらも進行方向に向かって自動車の列が途切れることはない。しかも、このランダバウトには各方向とも入口と出口に歩行者用信号がある。押しボタン式だ。
 小生の進行方向の自動車がランダバウトに進入できるのは、交差する右側の自動車の列が途切れたときに限られるわけである。もし、進行方向右側の自動車の列がまったく途切れなければ、いつまで経っても進むことができないのだ。この日は(というより毎朝なのかもしれないが)、右側の自動車の列はなかなか途切れることはなかった。『このまま止まり続けるのだろうか、大学は目の前なのに』と思いながらしばらくラジオのClassic FMに耳を傾けていた。考えてみれば、車の流れにまかせてゴー・ストップが決まるわけで、それほど往来が激しくない場所や時間帯なら合理的なシステムと思われるが、車の交通量が多くなればなるほどランダバウトが渋滞の原因になる恐れがあるのではないだろうか。
 幸いなことに、このランダバウトの、この時間帯は歩行者も多い。歩行者は、ほとんどが小生と同じCity Centre方向に向かって歩いている。道路を横断するために押しボタンを押す。すると右側の自動車の列はそこで途切れた。これ幸いとばかり小生たちの車線の自動車がランダバウトに進入した。対向車線の自動車も同様である。今度は、小生たちの車線(上下線)の自動車の列が流れ、交差する車線の自動車は長蛇の列を作ることになった(見てはいなかったが、たぶん作ったはずだ)。こうなれば、自分の車線がスムースに流れるかどうかは、歩行者が押しボタンを押してくれるかどうかにかかってくるといってもいい過ぎではないだろう。こんな中で小生がエンストでも起こそうものなら、ますます渋滞が激しくなるばかりだ。

 かくしてこの日以来、小生、9時前に出勤することはなくなった。[11/Oct/1999]

 
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