15.温泉気分

  「英国に行って満足な風呂に入れると思うな。」
  これは、離日前に小生が家族にいった言葉である。日本と何が決定的に違うか。それは「洗い場」がないということである。日本のユニットバスは、ユニットバスといかにも西洋風のいい方だが、日本仕様であることには違いがない。つまり浴槽とは別に洗い場があり、風呂場とトイレは別になっているのが普通であるからである。それが当地では、一般的に風呂場とトイレはワンセットである。しかも、せいぜいシャワー付きの浴槽のみで洗い場はない(シャワーがない場合もあるというし、そもそもシャワーのみで浴槽がないところもある)。
  小生が借りている家も、ご多分に漏れず風呂場とトイレは一緒だし、バスルームもまた、ご丁寧にもじゅうたん敷きだ。風呂やトイレとじゅうたんの組み合わせなど、日本では考えられないことだが、これはこれで普通のことなのだという(我が家ではじゅうたんが濡れてカビが生えたら汚いと思い、ビニールシートを買ってきて敷いている)。
  ではどうやって風呂に入るのか。これについては日本のビジネスホテルと同じだ。まずは浴槽にお湯をためる。暖まったところでお湯を流して石鹸で体を洗い、最後にシャワー。しかし、お湯をためるタンクの容量が少ないためか、はたまた混合栓の不具合なのか、シャワーを使っていると、突然水になることがあるが、それも我慢我慢。そして決して水を浴槽から外に出してはいけない。何しろ床はじゅうたんなのだから。たぶん、当地の方々はそんな風呂の入り方が当然だと思っているのであり、そんな国に来て生活しようというのだから、「そんなのは嫌だ」などとわがままをいう人は、はなから英国に来ない方がいい。
  しかし、手足を伸ばして、たっぷりと湯につかりたいというのもまた本音である。

  そのトラブルは、英国滞在がもうすぐ100日目になろうとしている時期に発生した。
  小生の家は2階に風呂場とトイレがある。風呂場の下、つまり一階の同じ場所は台所だ。こういった家の造りは日本でも珍しいことではないかもしれない。水回りは(というより配管は)なるべく近いところに置くというわけだ。

  「いったいどうなっているの!」
  悲鳴にも近い声が台所から聞こえてきた。「どうした?」と聞くと、「水漏れよ!」とかみさんの声。急いで階下に行ってみると、ちょうど流し台の上あたりから滝のような水・水・水。とって返して2階に駆け上がり風呂を見ると、長男が浴槽につかっていた。最初は、シャワーカーテンをせず、しかも浴槽のお湯を浴槽外に出して遊んでいるのかと思った。しかし長男は、シャワーカーテンをしめ、のんびりとお湯につかっていただけであった。浴槽にはってあるお湯以外どこにもお湯はなく、水漏れしそうな状態にはなかった。とはいえ実際に水が漏れているのである。このアンビバレントな状況をどう理解したらいいか、まったくわからなかった。それでもその夜は、風呂のお湯を流して入浴中止。台所では雨だれのように落ちる水を受けるボウルを数カ所に置いた。幸いにして2時間ほどして水は止まった。
  翌日、ユニットバスのカバーをはずしてみた。日本ではそんなことができる構造にはなっていないが、この家のバスタブはカバーがはずれるようになっており、配水管やら排水管やらをのぞき込むことができた。最初は排水管のいくつかある継ぎ口のどれかがゆるくなっていて、そこから水が漏れていると思い、3つほどある継ぎ口を点検してみたがどの継ぎ口もしっかり締まっていた。今度は、浴槽の下回りを手でなでてみた。すると浴槽から下水につながる排水管付近の浴槽側が濡れていることがわかった。しかしそれが何故濡れているのかはわからなかったし、たとえわかったとしてもそれを直す術を持たない小生は、漏洩箇所は突き止めてもそのままカバーをしめるしか方法はなかった。それでも不思議なことに、浴槽にお湯をためると水漏れが起きるが、シャワーだけなら水漏れはなかった。そこでその日以来、シャワーを浴びるだけになった。いうまでもなく早速不動産屋に連絡をした。その翌日、専門業者が来て風呂を見ていったが、彼は「結構古い風呂ですね、不動産屋にいって取り替えるか、何らかの策を講じるようにします」といって帰っていった。


バスタブが付いた状態

バスタブを外した状態

  それからちょうど1週間後、第2のトラブルが発生した。今度はお湯がまったく出なくなったのである。この家はガスセントラルヒーティングだ。温風は部屋中が暑く感じるほどの暖かさだ。最近は結構寒い日も多くなったため、終日、断続的に暖房を入れていた。はじめは終日使う暖房のために、ボイラーにお湯を沸かすだけの能力が残っていないと思った。しかし暖房を止めてもお湯は出なかった。これは原因を突き止めるもなにもなかった。またまた不動産屋に連絡した。

  さて問題は、短期間ながら、風呂に入ることはもちろん、シャワーすら浴びることができない状態になったことだった。汗をほとんどかかない気候ながら、風呂に入るかシャワーを浴びる習慣が身に付いているため、風呂もシャワーも使えない状態は我慢がならなかった。どちらも使えても入らない日もあったが、おかしなことに、どちらも使えないと無性に入りたくなるものだ。
  『何かうまい方法はないだろうか。』
  当地には公衆浴場はない(そういえば日本でも少なくなったなあ)。温泉もない(ロンドンの西100マイルのところにバース(Bath)という町がある。ここは英国で唯一温泉が出たところである。しかし1977年以来、温泉の一般市民への開放は行っていないそうだ)。
  そんなとき、ある場所を思いついた。『そうだ、プールだ。』
  当地に来て、すでに何度かプールに遊びに行っていた。このプール、温水プールで、時間帯によって流れるプールになったり、造波装置が付いていて波が出たり、さらにスリル満点のスライダーがあったり、楽しめるプールだった。しかもちょうどいい温度のジャクジーまで付いている(温水プールながら体が冷えたときに入る)。かつてこのプールを訪れたとき、最後に浴びるシャワーで、子供のみならず大人までもがシャンプーを使って洗髪していたことを思い出した。札幌の市民プールでは「シャンプーを使わないで下さい」という張り紙が貼ってあったが、ここではそんな張り紙はなかった。それでも我々は、それまではシャンプーを持参することはなく、シャワーだけを浴びて帰宅していたのである。だいたいにして人前でシャンプーを使って髪を洗うなど、恥ずかしくてできなかったのである。
  しかし状況は変わった。自宅では風呂もシャワーも使えないのだ。
  「よし、プールに行こう、シャンプー持って。」

  こうして、我々がプールに行く目的が転倒した。もちろんプールで十分遊ぶ。しかし、最終目的はジャクジーにつかり、シャワーを浴びることに変わったのである。
  ジャクジーは最高の温泉気分を味わうことができた。座って入るとちょうど肩までつかることができる。温度もちょうどいい。体に当たる気泡も気持ちがいい。ひとしきりつかったあとはシャワー。このシャワーも程良い温度設定で、湯量も豊富で、何より途中で水に変わることもない。自宅のシャワーなど比べものにならないほどだ。シャワーは同じスペースに6本付いていて、他人も一緒に浴びているのだが、どこでもみんなシャンプーを使っていた。
  Do in Aberdeen, as the Aberdonians do。
  おもむろにシャンプーを取り出す。そして洗髪。ザーッと泡が流れる。最高の気分だ。もしシャワーとシャワーの間が仕切られていたら、石鹸も持参して体も洗ったに違いない(ある家族など、子供をすっぽんぽんにして洗っていた。あれはきっと体も洗っていたハズだ)。

  程なくして我が家のシャワーは使えるようになった。原因は、ボイラーのうち、お湯を沸かす装置が接触不良を起こしてお湯を沸かすことができなくなっていたのだった。ボイラー業者が来て修理していった。そして水漏れの原因も判明した。原因は老朽化によるバスタブの破損。よく見ると排水溝付近に小さな穴が開いていた。再度来た水回り専門の業者が発見した(バスタブを交換するよう不動産屋にいうといっていたので、まもなく新調されるハズだ)。これで問題はすべて解決した。
  しかしそれでも、あの温泉気分が忘れられずに、以前よりも一層プールに行くようになってしまったこの頃である。[18/Nov/1999]


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