14.祝!パイレーツ一部昇格

  前回英国に来たときには、日本の情報はほとんど手に入らなかった。当時はロンドンに滞在したので、ロンドン三越やJACに行けば、朝日新聞の衛星版を買うことができたが、当時一部£3.50で、当時の為替レートが£1=¥250だったので、とても手が出なかった。
  それに比べて今回は、インターネットと電子メールのおかげで、リアルタイムで日本の情報を入手することができる。東海村の原子力事故も、総裁選挙も、はたまたスピードのスピード解散も、ダイエーホークスの優勝も、札幌の初雪も日本にいるときと同じように知ることができた。

  パイレーツは、小生が顧問を務める北星学園大学アメリカンフットボール部のチーム名である。
  小生が顧問を務めてまだ4年だが、小生が顧問を引き受ける前から北海道学生2部リーグで、毎年「今年の北星は強い」という噂を聞きながら、これまで2部リーグで優勝することができなかった。
  小生、アメフトに造詣が深いわけではない。アメフトに限らずスポーツは自分がやるより観戦専門で、しかも野球やサッカーなどわかりやすいものに限定される。そんな小生が、一見すると複雑に見えるアメフトなど観戦するわけはなく、無縁だと思っていたにもかかわらず、前顧問の退職にともなって引き受けたのがアメフトとの出会いであった。
  引き受けた時、せっかく顧問になったのだから、公式戦ぐらいは観戦しようと思った。試合は日曜日に行われるので、学会出張と重ならない限り観戦することができる。観戦して驚いたことは、想像以上の激しさと、水準の高い頭脳戦、雨でも風でも雪でも、雷がない限り試合が行われることであった。そして小生は、アメフトの魅力に取りつかれてしまったのである。

  パイレーツが1部から2部に落ちて久しい。1部の雰囲気を知らずに引退した部員(プレーヤー・マネージャー)もいた。このままでは遊びのサークルになってしまうな、という恐れも抱いていた。

  今年の春のオープン戦もあまりいい成績ではなかった(とはいえ例年どおりといえばそれまでだが)。小生の海外研修に先立ち、部員たちが壮行会を開催してくれた、いつものアサヒビール園で。その席で、部員たちの健闘を祈り、そしてキャプテンやその他のプレーヤーに、是非メールで試合結果を知らせてほしいとお願いした。

  第1報は8月30日、ゼミ生でもある青山からだった。
「どうも、お久しぶりでございます。我がパイレーツは、夏合宿を終え、日々たくましく、そして少しずつたくましくなっております。しかし、米原(今期絶望)をはじめ怪我人が多く大変な状況であります。」
  このメールを受け取った時、こんな状態では今年もダメかなと思ったものである。
  第2報も青山からで、9月16日、第1戦の結果を伝えるものだった。
「おひさしぶりでございます。青山でございます。先日の試合の結果報告をします。28−10で旭川大学に勝ってしまいました。ではさようなら。」
  何と簡単なメール。
  9月20日、これまでの試合を振り返る白水(ハクスイ)キャプテンからのメール。
「お元気でお過ごしでしょうか。イギリスの生活には慣れましたか。僕らは初戦の旭川大学戦は勝つには勝ったのですが力を出しきれませんでした。スコアは28−10で不満の残る内容でした。二戦目の北海道医療大学戦は春負けていることもあって相当危機感を持って挑んだ結果、オフェンスがとても調子が良く33−13で勝利しました。ディフェンスには課題が残りましたが次の室蘭工業大戦も勝って小樽商科大戦に臨みたいと思います。先生も遠い異国の地から応援よろしくお願いします。」
  さすがにキャプテンだ。試合の分析をして報告している。
  10月25日、青山から「メークドラマ」と題するメール。
「お久しぶりです。まず、帯畜戦の結果からお知らせいたします。20−14で勝ちました。後半の残り2分をきってから13−14と逆転され危なかったんですけど何とか勝ちました。この時点で樽商と30点ぐらい得失点差で負けていて優勝をあきらめてしまいました。しかし、ドラマは、そこに待っていた。何と、昨日の樽商vs室工でなんと3−9で室工が勝ち、文句無しのパイレーツ6,7年ぶりの2部優勝を果たしました。次の日曜日の入替え戦に向けがんばります。」
  同じ日、白水から「びっくりしてください」というメール。
「連絡が遅れてしまい申し訳ありませんでした。小樽商科大戦を引き分け、我々が一部入替戦出場のためには帯広畜産大戦を大差で破り、得失点差でうわまわらなければなりませんでした。ところが終わってみると20−14、しかも終了間際逆転という苦しい試合で辛くも勝利しました。自力優勝はなくなり、うちあげもシーズン終了の雰囲気漂うなか感動で幕を閉じたと思われました。ところがどっこい小樽商科大は室蘭工業大に9−3で破れ、その瞬間に我々の優勝が決まりました。というわけで10月31日、日本時間12時30分一部に向け札幌学院大と戦います。二部の結果は次のとおりです。
優 勝 北星学園大学 4勝0敗1分
2  位 室蘭工業大学 3勝1敗1分
3  位 小樽商科大学 3勝1敗1分
4  位 旭川大学 2勝2敗1分
5  位 北海道医療大学 1勝4敗
6  位 帯広畜産大学 0勝5敗
入替戦の結果を勝利で報告したいと思います。応援よろしくお願いします。」

  まずもって、2部リーグで優勝したことがうれしかった。しかも負けなしの優勝である。これまでは、だいたい緒戦でつまらぬミスから相手に得点を許し、そのまま不満の残る敗退のパターンが多かった。それが一つの取りこぼしもないまま優勝できたのである。小生、1部常連の小樽商科大学に引き分けたという報を聞いて、内心、今年はいける、と思ったものである。

  そして10月31日、入れ替え戦が、1部最下位の札幌学院大学との間で行われた。実はこの試合結果は、こちらは気をもんでいたにもかかわらず、11月1日になっても部員からはもたらされなかった。しかし、11月1日、小生はパイレーツが学院大に17−13で勝ったことを、アメリカンフットボール北海道協会のホームページで知ったのである。それを受けて部員に祝賀メールを送ると、11月2日、3通のメールが入ってきた。
  まずは青山。
「ありがとうございます。とうとう1部昇格を果たすことができました。4Qのラスト2分過ぎぐらいにゴールラインまで迫られ、本当に危なかったです。しかし、ディフェンスがよく耐えてくれて、最後はオフェンスで時間をつぶして試合終了でした。11/7にOB戦をして一応僕のアメフトは、終了となります。これからもパイレーツをよろしくお願いします。あと、2部のMVPにRBの佐藤雄二#22が選ばれました。」
  そして白水。「念願ついにかなう!」というタイトル。
「念願の一部昇格をついにきめました。やはり相手は一部で戦ってきただけあって今まででいちばんアタリは強かったです。試合の展開は、今秋好調のオフェンスは学院大にも通用し、相手陣まで何度となく攻め込みました。しかし2QにミスからFGを決められ3点を献上してしまいました。しかしすぐFGをとりかえし前半を引き分けのまま終え、後半FGを決められましたが、またまた深く攻め込み今年2年で入部したWR酒井にTDパスがきまり逆転。しかし相手に独走の中央突破を許し逆転され、すぐさまQB山口のランで再逆転、しかし試合残り2分で自陣3yにて痛恨のファウルをとられ、相手に1downをあたえてしまいましたが、ディフェンスが意地で相手の猛攻を防いでタイムアップとなり一部昇格を決めました。OBさんも大勢駆けつけていただいてとてもうれしかったのですが、やはり先生にも同じあの場にいてほしかったです。ですが来年はおそらく競技場で試合を応援することになると思います。応援よろしくお願いします。メールなどではなく会って報告したいです。先生の元気な顔をみせてください。」
  「しかし」がやたらに多いのは試合展開が激しく動いたことのあらわれだ(ということにしておこう)。メールの署名に、名前に続けて「北星学園大学PIRATES(1部)」と書いてあったことに思わずニヤリ。
  さらに、QBの山口。「2部優勝、1部昇格だー!」というタイトル。
「大原先生、やりましたよ!僕らは優勝です。結果は4勝0敗1分け。唯一の引き分けは樽商です。今年のシーズンはいつになくエキサイティングで、圧勝するということこそ少なかったものの、オフェンスが安定しどんな状況でも負ける気がしない1年でした。またどの試合をとっても、ハラハラドキドキの試合展開で、見ている者にとってはたまらなく面白い試合をしたのではないかと思っています。自分たちにとっても、良くも悪くもどの試合も気が抜けなく、すべてが記憶に残っています。とはいうものの我々は、ライバルの樽商大よりも早くシーズンが終わり、3勝0敗1分けの樽商の結果待ちでした。誰もが樽商は負けないと思っており、得失点差で僕らはこのシーズンも夢に手が届かなかったとあきらめていました。しかしふたを開けてみると3−9で樽商が室工に負けてしまったのです。そのおかげで我々は優勝となりました。こうして波乱に満ちた1999北海道2部リーグで我々は優勝するとともに、1部リーグ挑戦への切符を手にできたのです。しかしこの時点でもう一つ問題がありました。それは誰もが予想もしない結果となったために、1週間なにもせず遊んでいたということです。 僕自信も「引退」したつもりでいました。それから、全員が焦って1週間練習に取り組み、入れ替え戦へと挑みました。もしこれで入れ替え戦負けていたらなんて「アホ」な終わり方なのかと思います。結果は17−13で宿敵札幌学院大学に勝って1部リーグ昇格を果たすことができました。試合内容はとても面白い試合展開なのでぜひとも見てください。3年間山田さんの陰で、なかなか試合に出る機会に恵まれなかった自分が、今年一年間、QBという立場だけでなくオフェンスキャプテンという立場であらゆる改革に取り組んできました。そしてみんなの協力もあってこのような結果を生むことができたのだろうと思います。僕のもっとも光らなかった3年間だけを見て、最後の1年をお見せできなかったのがとても残念でなりません。ぜひとも帰国後にビデオでの観戦を楽しんでください。我々がここまで来れたのは、自分たちの力だけではなく周りで支えてくださった人たちのおかげだと思っています。とりわけ先生には、毎回試合に足を運んでいただいてとても感謝しています。このような最高のシーズンを伴にすごせなかったことが何より心残りでなりません。帰国後、パイレーツは1部として試 合をしますので、それを楽しみにしていてください。それではお体に気をつけられまして、お仕事がんばってください。」
  泣かせる内容だ(ホントに)。山口らしい。

  こうして我がパイレーツは2部優勝とともに1部昇格を決めた。
  前回のように、日本の情報がほとんど入らない状況からすれば隔世の感がある。だいたいにして、北海道の、学生の、しかも2部リーグのアメフトの試合結果など、道新(北海道新聞)に結果だけが掲載される程度のものである。しかし、関係者にとってはきわめて重要な情報である。それがメールで試合の内容が、そしてホームページで他の試合の結果を含めた情報がもたらされるのである。日本が、そして日本での自分の活動の場が本当に身近に感じられる。

  11月1日の夜、一人静かにスコッチウィスキーでパイレーツの優勝と1部昇格を祝ったのはいうまでもない。
  「我がパイレーツの栄光のために!」 [5/Nov/1999]


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