16.芝刈りと窓拭き

  家を借りたとき、契約書を取り交わすのは日本と同じだが、当地の契約書は細かいことにまで「大家の義務と権利」「借り手の義務と権利」が規定されている。
  庭の手入れと窓の清掃もその一つである。

  小生が借りた家の契約書でも、「庭を手入れすること」そして「窓を常にきれいにすること」が借り手(テナント)の義務であると規定されている。そして「もし、芝刈りや窓拭きで専門業者を手配した場合の費用は借り手が負担すること」という規定まである。
  借りた家には芝刈り機があった。芝刈り機はいろいろな種類があるが、この家にあるのは、電気を動力にしたもので(240ボルトの凄さ)、芝の上を押しながら歩くと、前方に付いた刃が回転して芝を刈り上げるというものだった。最初は、日本では使うこともない機具なので(芝刈り機が必要な庭などない。雑草が生える猫の額ほどの裏庭だし)、本場の芝刈り機で芝を刈って多少は優雅な気分にひたりたいと思ったものである(芝刈りできる庭というだけでリッチになったような気分)。生活が落ち着いて、「さて芝刈りをしよう」とその機具のスイッチオン。モーターが回転する音。「あなたは庭の、芝を刈っていた・・・奥で子供の声がした」などと鼻歌を歌いながら機具を押した。
  「・・・・・」。
 全然芝が刈れない。『おかしいなあ』と思いつつもう一度。しかし機具の重みで芝は倒れるもののいっこうに刈り上げられている気配はなかった。そこでスイッチを切り機具をひっくり返してみる。すると刃が錆び付き、藁と化した芝が刃にこびり付いていた。
  『これじゃダメだ』。
  工具置き場(この家には使いかけのペイントやら工具がたくさんある。前に住んでいた方がおいていったのかもしれない)から適当な先の尖った棒を見つけ出して藁をひっかき出した。ついでに潤滑油としてサラダ油を少々。準備OK。再度挑戦。しかし芝刈り機はモーター音はするもののまったく動かなかった。結局、この日は芝刈りをあきらめるしかなかった。

  さて、借りた家には正面の一階と二階、裏庭側の一階と二階に大きな窓が付いている。正面はほぼ東向きなので朝日が射し込み、裏庭に面した窓は午後から西日が入る(日本の西日とは違って、当地では西日こそありがたい)。大きな窓であり、しかも日差しが入るため、窓の汚れはすぐに気付き、そしてすぐにでもきれいにしたくなる。かつて何かの本で、英国の家の窓は、上から下にぐるっと一回転するようになっているので(これを想像するのは難しいかもね)、二階の窓も内側から楽に拭くことができると読んだことがあったが、何しろ借りた家は古い家で、ぐるっと回るハズの窓が、どの窓も回らなかった。一階は家の外に出て手を伸ばして何とか拭くことはできても、二階は無理だった。

  ところで、庭の手入れと窓拭きを大切にする英国民であるがゆえ、当然、それを生業にする者がいる。小生も、家の近所で庭を清掃する業者を見たし(これは日本にもいるかな)、はしごを担いで家をまわり、外からはしごをかけて窓拭きする業者の光景も目にしていた。それは手際よく、見ていて気持ちのいいものだった。我が家では、芝刈り機が壊れているので庭の手入れもできず、窓も回らないので窓拭きができない状態だった。幸いにして前庭の芝はそれほどスペースがあるわけではなかったので、芝がのびていてもそんなに気にはならなかったが、それでもあの契約書に書かれた義務が頭から離れることはなかった。

  ある日、DIYのカタログを見ていた小生は、芝刈り機のページで目が止まった。電動芝刈り機の機能と価格を見ると、ハンディーなものが思ったほど高くない。買っても日本で使えるものではないが(電圧が違いすぎる)、さりとてこのまま芝をのばし放題にするのも気になる。買おうかどうしようか随分迷ったが、インストラクション(説明書)を読んでみるとなかなか面白そうだったので、思い切って購入することにした。その名をBrushcutterという。B & Q(DIYセンターで、北海道のホーマックと同じ)で£35なり。正確には芝刈り機ではなく、雑草を刈り取る機具だが、借りた家の庭は芝よりも雑草が多かったのでこれでいけると判断したわけである。
  この機具は、左手を前に、右手を後ろにして機具を支えて使う。機具の先には回転盤が付いており、その回転盤には糸状の特殊樹脂が10本程度付いている。スイッチを入れるとこの回転盤についた樹脂の糸が高速回転する。回転する面を地面とパラレルにしてやや浮かしながら芝の上を動かすとその糸によって芝が刈り取られるというものである。はじめはこの程度の糸で芝が刈れるのかと訝ったが、実際に使ってみると効果てきめん、回転盤を動かした範囲とそれ以外との違いが歴然だった。その違いがあまりに鮮やかだったので、前庭だけでなく、裏庭まで一気に手入れした。先にも書いたが、やはり240ボルトの威力のなせる技だ。日本ならこんなにうまくいくことはないだろう(そうはいえ、これと同じものがあれば日本でも買うつもりだ。我が家の裏庭は狭く、芝などはないけれど毎年雑草には悩まされている)。それまで伸び放題だった芝は、見違えるようにきれいになった(ただし、うまく揃えて刈るためにはさらに熟練しなければならないが)。
  さらに、窓の方も汚れが限界になり、業者に窓拭きを依頼しようと考えていた(近所の人に紹介してもらおうと思っていた)。窓が回転するかどうか最後の確かめをしていたところ、偶然、一カ所の窓が回転した。簡単に回転しないようにストッパーが効いていたことは知っていたが(それを外そうと試みたことはあったが)、いままでは回転することのなかった窓が回転したのである。これができれば、屋外に面した側の窓を内側に向けて拭くだけだ。英国には窓拭き道具があるはずだと考えた小生は、またまたB&Qに行った。そこで窓拭き用スクレーパー(T字型で、先にスポンジとゴムが付いていて、竿の長さは伸縮自在。£13.69)と窓掃除用洗剤£3.45を購入。早速窓拭きに取りかかった。まずバケツに水を入れ、その中に洗剤を溶かす。スクレーパーのスポンジ側を溶液に浸す。次に溶液の付いたスポンジを窓一面に塗りつける。その後、今度はゴムの付いている側で、窓の上から下になでる。すると溶液といっしょに汚れも落ちていく。窓拭きをやっていて、窓がきれいになるというのはホントに気持ちがいいものだと実感した(これも拭き残しを作らないように操作するのはなかなか難しいが )。
  こうして、芝刈り機と窓拭き道具のおかげで、我が家は契約書の義務を履行していることになる。

  さて、芝刈りをし、窓拭きが終わったあと、面白いことに直面した。それは我が家の庭に、毎日、ブラックバードやロビン、しじゅうから(Tit)が訪れるようになったことである。短く刈り取られた芝に下りて何かをついばんでいるのだ。そしてその様子が一点の汚れもない窓から見えるのである。どうやら彼らは、きれいな庭を知っているらしい。[26/Nov/1999]


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