31.幻のウィスキー

  スコットランドといえばスコッチウィスキー。ウィスキーの本場だからこそ、その存在さえも知らなかったウィスキーがたくさんある。
  しかし、それらがここでしか飲めないウィスキーばかりかといえば、決してそうではない。日本でも、モルトウィスキーの多くが入手できる。金額もさほど違わない。むしろ日本で買うスコッチウィスキーの方が安いのではないかと思うこともある。たとえば、日本ではシーバスリーガル、J&B、ジョニーウォーカー、カティサークなどがポピュラーだ(いずれもブレンドウィスキーの銘柄だが)。もちろんそれらは、当地のスーパーなどでも手に入る。しかしいずれも720ml(普通のサイズ)で£18〜20程度する。他の食料品との比較からいえば、かなり高いように感じる。グレンフィディックやグレンリーベットのようなシングルモルトウィスキーに至っては軒並み£23〜30以上だ。簡単に飲める代物ではない。
  それでも、日本で「絶対飲めないウィスキー」を飲んでみたいとも思う。そんなものがあるのか。それが簡単に、しかも安価で手に入る。
  それは何か。
  スーパーブランドのスコッチウィスキーである。ASDA whisky、SAFE WAY whisky、TESCO whisky。シングルモルトもあればブレンドウィスキーもある。ちょっとした銘柄モルトウィスキーでも「アスダ仕様」「テスコ仕様」といった文字が刷り込まれたラベルが貼ってあったりする。いずれも£12〜£20程度だ。こんなウィスキー、日本では飲んだことのある人は少ないだろうし、まず入手困難ではないだろうか(しかし、翌日ハングオーバーすることに気を付けよう)。
  とはいえ、日本にいてあまりウィスキーを飲まない小生にとって、スコットランドに来たからといってウィスキーを買いあさり、しこたま飲む、などということにはならないんだなあ、これが。慣習とは恐ろしいもので、当地に来ても愛飲しているのはビールだ。いつもはテネンツ・ラガー。パブなどではギネス・エクストラ・クール。
  そんな小生でも、何とか飲んでみたいと思ったウィスキーがあった。その名は、Loch Dhu(ロック・ドゥー)。

  このウィスキーの存在を知ったのは、いつものミセスマックファージン、ヒロコさんからもたらされた情報だった。
  「何かお土産になるような品はないでしょうかねえ?」
  「お土産は難しいのよね。」
  「スモークサーモンが送れれば、北海道のものと比較できるのですがね。」
  「うーん、スコッティシュサーモンといったって、いいものはバカ高いし、第一送るのが大変。それに必ずしもスコットランド産のサーモンとは限らないでしょ?」
  「確かにね。じゃ、何か面白いものありませんか?」
  「そうねぇ、ブラック・ウィスキーなんてどう?」
  「ブラック・ウィスキー?」
  「そう、ブラック・ウィスキー。ロック・ドゥーっていうのよ。もちろんモルト・ウィスキー。アバディーンのお土産屋でも買えるし、ホルボーン・ストリートの『ザ・スチルマン』でも買えるわよ。」
  ここでアバディーンのお土産屋というのはユニオンストリートにある『ヘクターラッセル』(ここはスコットランド中にあるキルト・メーカー兼販売店で、お土産も扱っている)であり、『ザ・スチルマン』はウィスキー専門の酒屋だ。最初はお土産の相談だったものが、いつしか小生自身が手に入れたい、そして飲んでみたいウィスキーになってしまっていた。
  この情報を得た小生は、大学からの帰り道、まず『ヘクターラッセル』に行ってみた。
  「ブラック・ウィスキーはありますか?」
  「すいません、残念ながら現在品切れです」
  その数日後、今度は『ザ・スチルマン』へ。
  「ブラック・ウィスキーのロック・ドゥーはありますか?」
  出てきた主人はいかにもウィスキー通といった風情で、これは期待できると思った途端、
  「ああ、あれね、去年の10月に製造をストップしたよ。だから無いんだ、もう。」
  製造を中止したと聞いて、小生がっくり。もはや入手できない代物になってしまったのか。
  この話を、早速ヒロコさんにメールで伝えた。入手できないとなると何とか味だけでも試してみたいと思うものだ。その後、ヒロコさんは飲むだけなら『The Grill』などのパブに行けば飲めると教えてくれた。

  日本から持参した『The Malt Whisky File』によれば、このウィスキーはマノックモア(Monnochmore)社が蒸留製造しているものであるという。この会社は1985年に休業状態に入り1989年に再開したと書いてある。何かいわくありげだ。
  またロック・ドゥーは熟成10年、アルコール度40%。流通度は5。流通度は10段階で評価されており、4〜6は多くの専門店で販売されていることを意味するから、これまではそんなに希少価値というわけではなかったのだ。しかし製造中止が本当なら(『ザ・スチルマン』のご主人はウィスキー通で知られているので間違いではないだろうが)、1989年の製造再開後10年目で、幻のウィスキーになってしまうことになる。
  さらに『The Malt Whisky File』から。
  このウィスキーの特徴は次のように紹介されている。
  色・・・グラスの中のウィスキーの縁が琥珀〜深紅色で、ルビーの色合いを持った非常に深い黒色
  香り・・・豊かでリッチ、濃厚でナッツの香り、わずかにワインの甘さを伴う
  フレーバー・・・非常に豊かなボディ、中辛口でなめらか、わずかに噛み応えのあるタンニンを持つ
  フィニッシュ・・・長くやわらかい噛み心地
  ちなみに、まだ見ぬ黒色は、このウィスキーが非常に強く焦がしたオーク樽で仕上げられていることによるという。

  こんな説明を読みながら、いつかパブで飲んでみようと思っていた矢先、今度はクリスからメール。
  「調べてみると、ロック・ドゥーはダイスの『バロンズ』に在庫があるようだ。」
  どこでどうやって調べたのかはわからないが(いつものことながら彼の情報収集能力には恐れ入る)、製造中止になったロック・ドゥーのボトルが手に入るという。ダイスはアバディーン空港のある地域で、自宅からは自動車で15分。
  このメールを受け取った小生は、帰宅後、早速地図を頼りに『バロンズ』という酒屋に向かった。

  当地の住所表示はきわめてわかりやすいので、目的のストリートまで行って、あとは番地を順に辿っていけば目的地を探すことは簡単だ。しかし、目的のストリート、目的の番地まで行っても『バロンズ』は見当たらなかった。そのストリートの端まで行ってもう一度引き返して探す。それでも見つからない。クリスが教えてくれた番地にあったのは『バロンズ』ではなく『コストカッター』というスーパーマーケットだった(それにしてもその店名「costcutter」には笑ってしまう)。
  ダメもとで、自動車を駐車場に停めてスーパーマーケットに入った。すると右手にウィスキーのショーケース。そしておびただしい数のウィスキー。そうだったのだ、『バロンズ』はそのスーパーマーケットのテナントだったのである。 
  はじめはショーケースをザーッと見る。しかし見つかるものではない。レジにいるおばさんに聞くことにした。
  「ブラック・ウィスキーのロック・ドゥーはありますか?」
  「ロック・ドゥー? 最初の文字は?」
  「L(エル)です。」
  「Lならこのあたりに並んでいるよ。でもロック・ドゥーねぇ・・・。」
  そのおばさんは、滅多に聞いたことがない名前だったのか、そのあとは自分で探すようにというような目で、立ち去ってしまった。
  このお店は銘柄をアルファベット順に並べていた(それだけ沢山の種類があるということだ)。Lの付く銘柄はショーケースの一番下だった。膝を付いて目を皿のようにして探す。
  『ない・・・・・。』
  見当たらないが、クリスの情報を信じるしかない。この店のどこかにはあるハズだ。Lの付くウィスキーが並んだ棚の周辺に目を転じる。ブラックボトルに入ったウィスキーはいくつかあったが、その液体はどうやら琥珀色のようで、何よりブラック・ウィスキーとは表示されていない。
  『製造中止と聞いた好事家が買っていって売り切れてしまったのかなあ』
  と思いながら、フッと視線を変えた時、高さ20センチほどのスリムなボトルが目に飛び込んできた。それは棚の一番下の隅で、こちらに背を向けて1本だけ立っていた。

  おもむろにボトルをまわす。ラベルが見えてくる。
  「LOCH DHU THE BLACK WHISKY」
  『これだ!』
  ついに感激の対面だ。レジのおばさんに、
  「見つけました。これです。」
  というと、
  「ふーん。」
  と一言。
  「1本だけしかないのでしょうか?」
  「何本ほしいの?」
  「できればあと5本」
  「ちょっと待ってて。倉庫を見てくるから。」
  「フルボトルがあればそれがほしいんだけれど。」
  「フルボトル? ああビッグボトルだね。ちょっと待ってて。」
  しばらくすると、おばさんはロック・ドゥーを5本抱えて持ってきた。
  「ビッグボトルはないわ。」
  「結構です。これを買います。」
  といい、最初に見つけた1本とともに、計6本を購入した。
  自動車に戻り、改めて眺める。よくラベルを見るとSingle Malt Scotchの文字が見える。容量は20cl(200ml)。フルボトルの3分の1弱だ。透明のボトルに入っている液体はホントに真っ黒だった。

  その夜、早速試飲。
  グラスに注がれた黒い液体は、さながら気の抜けたコーラのような色だった。一口、口に含む。口の中に広がる甘味。やがてそれはのどの奥でキリリと引き締まる。ウィスキー特有の香りはそんなに強くない。どちらかといえば軽い口当たりだ。次にほぼ同量の水を注ぎ、また飲む。軽い。色からは想像もつかないほど、意外に軽いのどごしだ。
  『うまいじゃないか』
  あっという間に半分ぐらいを飲み干していた。[07/Mar/2000]


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