30.闇夜にドッキリ

  それはヒロコさんからの一通の電子メールから始まった。発端をかいつまんで話せば次のようになる。
(1)インヴァーネスに住むアヤコさんが日本からパソコンを持ち込んだ(ちなみにアヤコさんは英国の方と結婚している)。
(2)WWWを使って電子メールを始めようと思い、家電量販店ディクソンズ(Dixons)からフリーサーブ(Freeserve)という会社が運営しているフリーCD-ROMをもらってきてインストールした(このフリーサーブを利用すると接続料金はタダ、市内通話の通話料のみかかるというものだ)。
(3)ところがインストール後、パソコンはフリーズするわ、日本語表記と英語表記が混在するわで、助けを求めていた。
(4)アヤコさんとヒロコさんは電話でやりとりしたが、フリーサーブのCD-ROMに入っていたブラウザはInternet Explorer 5、メーラーはOutlook Express 5で、ヒロコさんが使っているものとは違っていてなかなかうまく話が進まなかった。
  そこで、小生がどちらも使っていることを知っていたヒロコさんが、この話を小生にまわしたわけである。
  やがてアヤコさんから電話が入り、我々もまた電話で何度かやりとりをした。しかしお互いに電話ではわからないところが多すぎた(各会社のヘルプデスクの苦労がわかるってもんだ)。早く正常にパソコンを使いたい人がいて(しかも日本人だ)、少なくても小生の方が長いことメールを利用している(それも同じソフトで)、役に立つことがあればお役に立ちたいと思うのが人情だ。そんなことから、次第に『インヴァーネスに行くしかないかな』という気持ちになり、日帰りで行って来ようということになった。

  アバディーンからインヴァーネスまではA96を利用して約100マイル(約160q)。日本で160qというと『遠いなあ』と思うが、何故か当地ではそんなに遠いとは感じないから不思議だ。かてて加えてインヴァーネスは、かつてネス湖に行ったときに通過しているので、なおさらそう思えるのかもしれない。A96は幹線道路だから、制限速度は途中の町を通過する時以外、ほぼ60マイル(mph:約96q/h)で走行できる(二車線の区間は70mph、約112q/h)。日本の自動車専用道路や高速道路並みだ。それでいて通行料金などというチンケなものはない。したがって順調に走ることができれば、3時間弱でインヴァーネスに到着することができる。
  そこで、アバディーンを朝8時に出て11時インヴァーネス着、4時間ほどアヤコさん宅にいて、午後3時に帰路につけば、まだ薄明かりが残る午後6時には自宅に着くという予定を立てて、インヴァーネスに向かった。

  もうすぐ3月になるというある日、グランピアン地方も、その先のハイランド地方も平野部にはまったく雪はなく、全線乾いた路面ですこぶる快調に車を進めることができた。道の両側には、例によってなだらかな丘陵が遠くまで広がり、草をはむ羊たちが見える。視界も良好、天気も良好。無事インヴァーネス市内に入ったのが10時20分過ぎ。ここから先は、アヤコさんのご亭主のマイケルがあらかじめ作成してメールで送ってくれた道順を見ながら車を進める。これまた一度も道を間違えることもなく、10時40分、マイケル・アヤコ夫妻が待ち受けるお宅に到着した。

  マイケル・アヤコ夫妻は自宅でInnes InnというB&Bをやっているだけあって、その家はアットホームな雰囲気の中にも客を迎え入れる態勢が整った家だった。
  早速パソコンのある部屋に通されて、パソコン教室。途中で昼食。日本風にご飯とみそ汁。そしてサケの焼き物。昼食時に、このB&Bでは、日本食が食べたいお客には日本食、トラディショナルなスコットランド料理を食べたいお客にはスコットランド料理を提供しているとの話を聞く。そのあともパソコン教室は続く。アッという間に時計の針は4時をまわっていた。
  『いかん、もうそろそろ帰らなければ・・・』
  しかしまだまだやることがたくさん残っていた。時計の針が5時をまわろうとしたとき、アヤコさんが「夕食を食べていって下さい」という。
  『いかん、夕食を食べたら帰りが遅くなる』
  一度はお断りしたが、その時間でも設定し説明すべきことは残っていたし、中途半端なままではアヤコさんが困ると思い区切りのいいところまで作業を続けることにした。この段階で『8時までには帰ろう』と決めていた(もし8時をまわるようなら、このB&B、Innes Innに泊めてもらおうと思っていた)。
  どうやら一区切りついて夕食をご馳走になり、時計を見ると7時30分。デッドラインギリギリだ。「じゃ、帰ります」といって自動車に乗り込んだのは7時40分。もう日はとっぷり暮れていた。

  インヴァーネス市内を走っているときにはそのことにはまだ気付いていなかった。
  やがて市内を抜けて郊外に入った途端、急にあたりが真っ暗になった。もちろん自動車のライトは点灯している。しかし前がまったく見えないのである。いや正確にいえば、ほんの1メートル先までは見えるのだが、その先が真っ暗闇なのだ。
  『おかしい。電球が切れてしまったのだろうか』
  一度は駐車スペースに車を停めてライトを確認した。ライトの明かりはやや暗いような感じだったが正常だ。また走る。またまた真っ暗闇。『何故だろう。日本だったらライトを遠目にしなくても十分に走れるのに』と思ってハタと気が付いた。
  『・・・!』
  日本では路側にあるハズの街灯が、一本もなかったのである。自動車を誘導するのは路側に付けられた反射鋲とセンターラインしかなかった。
  これに気付いた小生はちょっと身震いがした。何しろそんなに対向車とすれ違わない。同じ方向にもほとんど自動車はない。たった一台、小生の車が走っているのみだ。車窓から見えるのは、不気味なほど輝く満天の星々だけ。
  『おいおいおい』
  そこで慌てて遠目にして走った。遠目にすれば、だいぶ先まで明るくなりかなり安心して走ることができた。しかし、忘れた頃にやってくる対向車に気付くのが遅れてフラッシングされる始末。日本では遠目で走ることなどまったく経験していなかったので、遠目から近目(っていうのだろうか)に切り替えるタイミングがうまくつかめない。しかも近目に切り替えた途端、前方は真っ暗闇。今度は身震いどころではなかった。恐怖心さえ憶えた。
  『インヴァーネスに引き返そうかなあ』

  道路標識がアバディーンまで80マイル地点を示すところまで来ていた。20マイル走ったことになる。ここまでくるとようやく事情がわかりはじめた。街灯が設置されているのは、ランダバウトと町なかだけだ。そして、近目で恐る恐る走っているのは小生だけではなく、他のドライバーも、対向車が来るまでは遠目で走っているということであった。つまりは、基本的には遠目で走り、ランダバウトと町なかにさしかかったときと、対向車とすれ違うときに近目にすればいいわけだ。このことをやっと理解した小生は、だいぶ気分的に落ち着いてきた。しかし、滅多に来ないとはいえ、対向車が来ると近目に替えなければならず、近目に替えると、一瞬でも前が見えなくなるということは依然として恐ろしかった。
  そこで作戦変更。
  同じ車線を走る後続車を小生の前を走らせ、そのテールランプを見ながら走るという戦術をとった。これは、札幌で吹雪のときに比較的安全に走る方法の一つである。雪で真っ白な状態でも赤のライトが隠れてしまうということはほとんどない。ましてや真っ暗闇の中では最高の誘導灯に見えてくる。はるか後方にライトが見えた時には、速度を落として接近するのを待つ。すると後続車は50マイルぐらいで走っている小生の車を追い越す。追い越した途端、今度は小生が離れないようにアクセルをふかす。この方法はうまくいくときもあったが、失敗に終わることもあった。それは、小生を追い越した車はそのまま60マイル以上で突っ走っていたからである。アッという間に闇夜にテールランプが吸い込まれてしまった。
  またまた作戦変更。
  後ろについていくのなら、そんなに速度が出ない自動車のあとがいい。つまりトラックだ。トラックならどんなに早くても60マイルだろうと考えたのである。案の定、この戦術は功を奏した。自分は近目ながらトラックは遠目で走るので前方がよく見えた。しかもテールランプもやや高いところに付いているので車間距離も十分測れた。ところがここにも誤算があった。何台目かについたトラックは時速50マイルはおろか、40マイルも出せないほどの積載量だった。
  『こんなことではいつまでたってもアバディーンに着かないよ』

  幹線道路とはいえ、ホントに自動車は少ない。たまに自動車が連なることがあるが、それは町にさしかかったときぐらいだ。日本では信号のゴー・ストップで自動車が連なることがあるが、当地では、とくに郊外ではそんなことは起こらない。何しろ、町と町を結ぶ路上には、信号は皆無なのだ。アバディーン・インヴァーネス間で、郊外にある信号は、アバディーン方向から見れば、アバディーンにほど近いインバルアリーの先にある一カ所だけだ。ここは、道路と交差する形で頭上を鉄道が走り、その下をくぐるようにA96が走っている。鉄道の下には交差のためのトンネルがあるが、これが狭くて、交互通行しなければならない。そのために、片側交互通行よろしく、信号が設置されているのである。
  ところで、町から合流した何台かの自動車は、最初は列を作って走る。それらの自動車もやがて一台、また一台と列を離れ、また一人旅になる。とりわけ恐いのは、森の中を走り抜けるときだ。星すら隠すほど高い木々が闇を作る。前にも後ろにも、右にも左にも光はない。そんな場所は決まってラジオの電波も遮られる。沈黙の中、エンジン音だけが響く。

  そうこうしているうち、自動車はアバディーンまで30マイル地点を通過。あと3分の1。ここまで来るとやっと安心感が出てきた。このあたりはドライブで何度か通過していたところなので、たとえ暗くても道を憶えている。やがて「Welcome to Aberdeen」の看板。アバディーン市内に入る。アバディーン市内に入るとA96は二車線になり、街灯も設置されている。ここで一気に時速70マイルまでスピードを上げて遅れを取り戻す。しばらくすると一車線になるが、すぐに二車線に戻る。それはアバディーンの中心部に近づいたことを意味していた。
  小生は、しかるべきところでA96からA90に乗り換え、午後10時10分、無事帰宅した。ずいぶん時間がかかったように思っていたが、何のことはない、日中走った時間とほぼ同じ。正確には帰路の方が10分ほど早かった。

  さて帰宅後、つらつら考えてみた。
  『どうしてあんなに暗い状態にしておくのだろう?』
  一つ気付いたことは、道路に限らず、概して当地の照明は暗いということだ。部屋の明かりだけでは本も読めない。手元燈が必要なのだ。ということは、当地の人々は暗いということに慣れているわけだ。そしてこのことは、目の光に対する強さにかかわっているのではないだろうか。当地の人々は日本人よりも光に対して敏感過ぎるのでないだろうか。光に対して過敏→照明を暗くする→暗さが気にならない、ということで、真っ暗闇でも苦にならないのかもしれない(もっともこんな短絡的な理由ではないだろうが)。
  いずれにしても、今後は日がとっぷり暮れた夜道の運転は極力避けようと心に誓った出来事であった。[03/Mar/2000]


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