44.夏はまつり

  英国の夏(Summer)は5月から7月までを指すらしい。札幌のこの時期もまた、爽やかな日々が続いて屋外に出て活動するにはいい季節で、その点で、当地の夏と札幌の夏は似ている。
  そして6月21日は夏至。日中がもっとも長い日だ。アバディーンでも、6月に入ってほんとに日が長くなったことを実感している。夜の10時でも外は十分明るい。11時でも明るさが残っている。日によっては12時でも薄暗いと思えるほどだ。しかも朝3時ぐらいには夜が白み始める(ま、ほとんど寝ている時間だが)。
  一年でもっともいい季節を迎えたハズなのだが、6月に入って曇りがちの日が多い。にわか雨も毎日のように降る。6月上旬には暖房をやっと使わなくなったと思っていたが、6月の下旬になって、最高気温が12度〜14度、最低気温にいたっては4度〜5度という日もあり、いまだに暖房のお世話になることもある。

  とはいえ、やはり暦の上では夏。アバディーンでも6月は3週にわたって、毎週末、何らかの催し物が行われた。最大のイベントは6月18日のハイランド・ゲームだったが、ここでは超局地的なイベントをふたつ紹介しよう。

  まず、6月10日の土曜日。この日は、午後1時から5時まで、我々の住むブリッジ・オブ・ドンに駐屯している英国軍ゴードン隊(たぶんゴードン隊というのだろうけど)の兵舎(Gordon Barrack)で行われたファミリー・ファン・ディだった。いわば、日本でいう「自衛隊まつり」といったところだ。5月頃から、ゴードン・バラックの敷地の前にファミリー・ファン・ディを呼びかける横断幕が掲げられ、毎日、大学に行くときにその横断幕を見ていたのであった。

  このバラック、道路側から見るとそんなに広くは感じなかったが、敷地内に入るととてつもなく広い。
  駐車場に車を停め、会場に向かって歩くと、どこからがバグパイプの音色が聞こえてきた。そして敷地内には、さまざまな制服を着た兵士たち(男も女も)が会場案内をしていた。
  ゲートをくぐって会場内に入ると、演技場(アリーナ)を取り囲むように、さまざまな展示ブースが設置されていた。それは、部隊ごとの展示ブースで、その部隊がどのような任務を行っているかを紹介したビデオや、実際の武器や道具を展示し説明するものだった。さらには、速射砲などの銃器、ヘリコプターや戦車などが展示され、実際に銃器に触って撃つマネをさせたり、ヘリコプターや戦車の中に入って見て触ることができるようにもなっていた。どの場所でも、迷彩服を着た兵士たちがにこやかに我々を出迎え、子供にはその部隊の特製シールを貼ってくれ、しかもその部隊のポスターやパンフレットを配付していた。つまりは、これは一つの軍隊の広報活動であり、入隊者をリクルートする場でもあったのであった。

  今年に入って、ジンバブエやシオラレオナへの英国軍の派兵がテレビのニュースでも採り上げられていたので、迷彩服の兵士、銃器やヘリコプター、戦車を目の当たりにすると、ただカッコイイというだけで片付けられないものがあった。日本にはない実戦部隊なのだ。内心、拒否反応が出てきてしまったのは事実。
  しかし、あまり固いことを考えていても仕方がない。何といってもファミリー・ファン・ディなのだ。楽しむことが重要だ(何という変わり身の速さ)。

  我々が楽しんだのは、まずアリーナで行われた軍隊のバグパイプ隊の行進。これはそんじょそこらの行進とは違って、一糸乱れぬ見事な行進だった。さすが軍隊、と思わずにはおれなかった。さらに軍隊らしさを発揮したのが、かけ声とともに行われた行進。

  また、展示ブースの一つで行われていた野戦食の実演。ちゃんと野戦食を作る部隊(The Royal Logistic Corps)があって、戦場で彼らが食事を給する。そのブースがそのまま台所で、そこで調理したものを食べさせてくれた。我々が食べたのはチキン・カレー。結構なお味。そのブースにはレシピも置いてあって、自由の持って帰れるようになっていたので、6種類すべてをもらってきた(ちなみにメニューは、ビーフストロガノフ、スパゲッティ・ボロネーズ、チキン・ソティ中華風、カシューナッツとチキンのソティ、チキンのレモン風味、チキン・カレー)。

  最大のハイライトは空軍の実演だった。アリーナでの演技が終わり、客は上空を見上げ始めた。当初、我々は何が起こるかわからなかった。アリーナとは別の場所に展示してあったヘリコプターが飛び立ったので、そのヘリコプターがアリーナの中央に着陸するのだろうぐらいに想像していた。
  ところが上空に小型飛行機が飛来して旋回したあと、そこから出てきたのは、4名のパラシュート隊だった。初めは、色とりどりの煙幕を出していたかと思ったら、その一人が、足にセント・アンドリュース旗を広げて下りてきた。そうだったのだ、その4人は、アリーナの中央めがけて着陸を試みる実演をしているのであった。
  これにはドキドキさせられた。というのも、結構強い風が吹いていたからである。大空から放り出された人間が、そんなに広くないアリーナ内に着陸しようというのだ。
  しかし、全員無事着陸。アリーナの外に着陸した兵士もいたが、ちゃんと足から着陸したのである。思わず拍手。アナウンスをよく聞けば、彼らはゴードン・ライオンズ隊というパラシュート部隊の精鋭ということだった。

  この日は、晴れ間が出ていたものの風が冷たく、最後まで見ることなく3時間ほどで帰宅した。

  風が冷たいといえば、6月24日に行われたブリッジ・オブ・ドン・ガーラ(Bridge of Don Gala)も寒い日のイベントだった。この日は、最高気温が13度。時折小雨。大げさながら風は身を切るような冷たさだった。雪でも降るんじゃないだろうかと思ったほどだ。

  ガーラとは、まさにお祭り。その内容はまったく想像できなかったが、行ってみると「厚別区民まつり」といった感じだった。
  会場はスコッツタウン・スクール。メイン会場はグラウンドで、グラウンドの中には、テント小屋や子供用の遊具(中に空気を入れて膨らましたもの)がたくさんあった。また、グラウンドからやや離れたところでは、愛犬家の団体が、それぞれの飼い犬を連れ出して、ハードル越えや輪くぐりなどの芸を披露していた。面白いのは、ハイランド・ゲームでも見たように、地元警察や軍隊が車輌や備品を展示していたことであった(警備を兼ねた一石二鳥ってワケ?)。

  大きなテントの中では、スコティッシュ・ダンスの実演を見せてくれた。多分、ブリッジ・オブ・ドンに住む学生さんだろう。間近で見るとホントに健康的でいいダンスだ(不健康なダンスなどないけれど)。
  さらに、ここでもバグパイプ隊が行進しながらバグパイプの演奏を聴かせてくれた。スコットランドといえば、いつでもどこでもバグパイプ、といったところだ。

  また、大がかりな移動遊具もいくつかあったが、空気を入れて体をはずませながら滑り降りる滑り台は5回滑って£1。一方、隣にある似たような遊具はタダ。どうなってるんだろう、と思わずにはおれない。


見かけは日本と同じ

  テント小屋では、ゲームをやったり20p〜50p程度のお菓子を売っていたが、それぞれに出店団体の名前が掲示されていた。ちょうど、町内会ごとに出店しているといった感じ。
  しかし、ちょっと疑問に思ったことがあった。
  厚別区民まつりで、たとえば町内会が出店するとすれば、当然、お祭りなのだから安く売るか、ゲームでも空くじなしというのが普通だろう(本職の香具師は別の話)。ところが当地では、お菓子はスーパーなどで買うのと同じ金額だ。同じ種類のものでも高いものまである。ゲームも空くじが多い。それでいて当たっても賞品は大したことはない。
  この事実を何とか正当化する理由を考えてみると、どうやらこのガーラでの収益金は町内会の活動資金やチャリティーにまわされるのではないか、ということだった。出店している中には「××チャリティー」というものも含まれていたので、この想像はあながち間違ってはいないだろう(それでなければ納得できない)。

  あまりの寒さに(6月なのに!)、「チップス(フライドポテト)でも食べよう」ということになり、移動販売車の前にキューイング(列を作ることをキューイングという、念のため)。ところが前に並んでいる人たちがいっこうにチップスを注文していない。我々の番になって「チップスある?」と聞いたところ「品切れです」とのこと。みんな考えることは一緒だった。寒さのため、チップスを食べて手軽に暖まろうと思った人々が多かったのだろう。早々に売り切れてしまったようだ。

  その内容が一週間前のハイランド・ゲームでの遊園地の縮小版といった感じだったせいもあって、ゲームや遊具で遊んだ子供達も、あまり熱中できるものがなかったらしく、しかもチップスもなかったので「帰ろう」といった小生に反対の声もなく、2時間ほどで会場をあとにした(帰宅後、チップスを食べたのはいうまでもない)。

  夏はまつり。
  こうして短い当地の夏が折返し点を過ぎつつあった。[28/Jun/2000]


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