45.責任のある飼い主キャンペーン

  小生、自分の仕事(研修)のために、かみさんと子供達をアバディーンに連れてきた。一人なら背負い込まなかった苦労も多かったが、そんな苦労以上に、一人なら経験できなかったこと、巡り会わなかった人々の方が圧倒的に多い。このことは、小生の研修生活をより充実させることになったのは事実である。

  6月の上旬、当地のプライマリー・スクールに通っている長女が、帰宅するなり次のように報告した。
  「私の書いた絵が表彰されるんだって。」
  「何を書いたの?」と小生。
  「犬の絵」と長女。
  「犬の絵? 何それ?」
  「なんだかわかんないけど、今度、町(タウン)に行って表彰されるとミセス・ドーガルノ(長女の担任)がいってたよ。」
  報告を受けた小生の方がなんだかわかんない。町に行って表彰されるというのは本当なのだろうか。表彰されるということが本当ならば、正式に学校から報告があるはずだ。しかし長女の報告から幾日か、学校からは何の連絡もなかった。
  『何かの間違いかな』

  ところが、6月20日、次女をナーサリーに連れていったかみさんが、ヘッド・ティーチャー(校長)のミスター・カーマロンから、アバディーン・シティー・カウンシル(市役所)のヘッダーが付いた一枚の公文書をもらってきた。
  それは、アバディーン市役所環境サービス局(Environmental Services Section)の上級環境健康担当者(Senior Environmental Health Officer)から、ミスター・カーマロン宛に届いた文書であった。
  その見出しを見れば、「2000年度責任のある飼い主キャンペーン、キー・リング・コンクール表彰式」と書いてあった。文章を読めば、このコンクールの4名の受賞者の一人として長女が選ばれ、来る6月27日午前11時から、タウン・ハウスのセント・ニコラス・ルームで表彰式を行うので、受賞者、その両親、クラス担任を是非出席させてほしいという、校長宛の文書だった。

  この文書を読んでも、それがどんなものか具体的に想像できなかった。犬を愛でる人々が多い国だから、こんなキャンペーンがあっても不思議ではなかったが、これがどんな規模で行われたコンクールかはわからなかったし、まして会場のタウン・ハウスのセント・ニコラス・ルームとはどんなところなのか皆目見当もつかなかった。いずれにしても招待されている事実には違いはない。翌日、二つ返事で出席することを校長に伝えた。

  さて、当日、学校に長女を迎えに行くと、長女とその担任のミセス・ドーガルノが出てきた。自分のクラスを代わりの先生の代行させて自分も出席するという。ミセス・ドーガルノは自分の乗用車で会場に向かった。
  タウン・ハウスは、ユニオン・ストリートのそばにあることは校長から聞いていた。早めに学校を出たので予定よりも30分程度早くタウン・ハウスに到着した。すでにミセス・ドーガルノも到着していた。
  3人で一階受付で会場を尋ねる。
  「私もここに来たのは、過去に2、3度しかないわ。ほら、そこにクイーン・ビクトリアの像があるわ。素敵でしょう?」
  見れば、等身大より大きいのではないかと思われるクイーン・ビクトリアの石こうの像があり、そのまわりに螺旋階段が続いている。一目で、ここがどんな場所か想像が付いた。そこは市庁舎であって公的な会合を行う場所であった(日本の市役所や区役所の会議場とはまったく違う。しいていえばアバディーン市の「迎賓館」だ)。
  しばらくすると係りの女性が現れ、会場に案内してくれた。会場は三階らしくエレベーターで移動(このエレベーターには長椅子が付いている!)。会場に続く廊下にはアバディーン近隣の絵が掲げられている。

  会場のセント・ニコラス・ルームに入ると、壁には歴代のアバディーン市長の肖像画(いずれもデカイ!)が部屋を取り囲み、天井から大きなシャンデリアがぶら下がっている。その天井には、アバディーンにゆかりのシール(紋章)が82枚はめ込んである。これだけでもこの建物、この部屋がどんな場所なのかが伺い知れる。表彰式までの間、キルトを履いた「お偉いさん」と思しきデップリと太った男性が我々のところにやってきた。
  「○○さんですね。おめでとう。」とお偉いさん。
  「日本から来た大原さんです。もうすぐ帰国しますが。」とミセス・ドーガルノ。
  「日本の方だと思ってこれを持ってきました。○○さんに差し上げます。」とお偉いさん。
  それは、和紙でできた小さな日本人形だった。お偉いさんがいうには、先日、日本から来た旅行客が、ブリッジ・オブ・ドンのグラバー・ハウスを訪れ、そこに自分も同席してもらったものだという。グラバー・ハウスとは、いうまでもなく、長崎のグラバー・ハウスの主、トーマス・グラバーの父親が住んだ家で、今ではグラバーの日本での功績を称えて、資料を展示して一般公開している家である。
  「もうグラバー・ハウスは訪れましたか?」とお偉いさん。
  「いいえ、まだです」と小生。
  「ブリッジ・オブ・ドンだし、すぐ近くでしょ? 是非行ってみて」とミセス・ドーガルノ。

  予定の11時を過ぎても表彰式は始まらなかった。それどころか、11時からお茶タイムが始まった。
  『一体、いつ始まるんだろう』
  会場の上座には4名の受賞者とさらに数名の絵が飾られていた。長女の絵は、「Look after your dog!」(愛犬にご注意を!)という標語とともに、赤と黄色を使ったシンプルな絵だった。
  「みんな可愛いけど、○○の絵が一番だわね」とミセス・ドーガルノ(そりゃ、あんたの教え子だもの!)。 
  長女ということを割り引いて見ても、長女の絵が一番シンプルでわかりやすかった(そりゃ、自分の子供だもの!)。これが評価されたのかもしれない。お茶を飲みながら絵を見たり、雑談をして過ごした。
  11時15分過ぎ、何の前触れもなくアバディーン市役所環境サービス局上級環境健康担当者の司会で表彰式が始まった。司会者の話では「責任のある飼い主キャンペーン」(Responsible Dog Ownership Campaign 2000)とは、犬の飼い主のマナーを啓発するために市当局が主催するキャンペーンで、その啓発の一環として児童が書いた絵をキー・リング(キー・ホルダー)にして広く市民に配布するものであるらしかった。コンクールはアバディーン市内の65校のP5(5年生)の児童を対象に行われ、応募総数は650を超えたという。
  『650分の4に長女が入ったってわけか』(ここでちょっと身震い)
  まずお偉いさんのご挨拶。自分の飼い犬の話を織り込みながら、このコンクールが飼い主のマナーを向上させるために行われているものであることを5分ほど話をした。
  そして表彰。4名は男子2名、女子2名。当地の流儀に従って、当然女の子の受賞者から表彰。くしくも長女が一番最初に名前を呼ばれた。
  名前を呼ばれて出ていくと、小さなバッグを渡されただけ。小生のところに戻ってきた長女は中を確認した。中には表彰状、キーリング、アバディーン市が作ったと思われるTシャツや帽子が入っていた。そして驚いたことに、£20のWH Smithの商品券も同封されていた。それを見た小生とミセス・ドーガルノは思わずニッコリ。

受賞者の絵に名前が入ってキーリングに。これが市民に配布されるという。

  こういった表彰式がすべてそうなのかわからないが、その進め方は日本とはずいぶん違っていた。
  まず、式次第を書いたプログラムがない。そもそもどこにも式次第がない。受賞者名は、彼らが書いた絵の下に書いてはあったが、それ以外のところにはなかった。着席用の椅子もない。みんな適当な場所に立ったまま。
  先にも書いたように、かろうじてわかったのは司会をした方だけ。挨拶をした方は「太ったお偉いさん」としか表現できないほど、彼に関する情報は得られなかった。

  しかしである。そんな表彰式でありながら、会場は「すこぶる付き」の場所だ。この会場の隣りの部屋ではアバディーン市を公式訪問した来賓を囲んだ晩餐会が開かれるという(お偉いさんは、かつてここにゴルバチョフ氏が来たと語っていた。それにしても懐かしい名前)。その場所でたった4名の受賞者のために、こうして表彰式が行われたのである。この場所がそんなに簡単に使えるものなのか、それともこのキャンペーンがこの場所を使って表彰するほどすごいものなのか。

  いずれにしても、小生についてきただけの長女が、このコンクールで受賞したことによって、ごく一部の範囲ながら、彼女の名前は当地に残ることになった。
  それに比べて・・・。[02/Jul/2000]

【追録】
  7月のある日、長女の友達が新聞記事の切り抜きを持ってきてくれた。ナント、そこには長女を含め4名の受賞者の写真が大きく掲載されていた。これは7月3日のEvening Expressという地元紙に掲載されたという。


7月3日のEvening Expressの記事(大きさは15cm×22cm)

  そこには、4名の受賞者名が掲載され、式の模様が紹介されている。ちなみに、受賞者名は、長女以外に、ジャスミン・ハート(ブルームヒル・プライマリー)、ショーン・バードリック(ビクトリア・ロード・プライマリー)、ジャスティン・マックランド(キングスウェル・プライマリー)の4名。
  記事によれば、このコンテストは、市の飼い犬監視員(city dog wardens)が長期間にわたって、30の学校を訪れ、1,000名を超える児童たちに語りかけるプログラムに従って実施されたものであるという。話題は、野良犬問題を含んで、飼い犬の汚物処理問題やペットの健康や幸せに関するものであったという。
  なお「太ったお偉いさん」は、アバディーン市のアラン・マキントッシュ(Allan McIntosh)議員(ダッシー地区選出)だった。

  『それにしてもいいよなあ・・・』


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