41.多国籍軍は今日もゆく

  このところ、変わりやすい天気が続いている。朝のうちは快晴で昇る朝日が差し込んでくるが、お昼頃から雲が張り出し、午後早く(1時前)には雨模様になる。それも雹(ひょう)が混じることもあれば、一時土砂降りになることもある。まだホンの2度ばかりだが、雷がなることもあった(それも可愛らしく1回か2回で稲妻はない)。そのあと、雲が流れて再び日が差し始め、東の空に大きな虹がかかる。そして午後遅く(5時頃)には、また青空が戻ってくるという天気である。

  我が家の夕食は午後6時過ぎだ。西の空にある太陽の光を受けながらの食事は、なかなかいいものである。
  サマータイムになった3月下旬から、決まって夕食が始まろうとする時間、クラクションを鳴らして家の前を通過する白いバンがあった。いわゆるアイスクリーム・バンである(札幌の大通などで見かけるアイスクリームを売る自動車だ)。初めは、『こんな自動車の往来が少ない道でクラクションをならすなんて何があったのだ?』と思ったが、それが何日か続くと、そのクラクションの意味がわかり始めた。それは、「良い子の皆さーん、アイスクリーム・バンが来ましたよー。さあ、家から出てきて買って下さーい」という合図だったのである。
  とはいえ、我が家では夕食前の時間。『夕食前にアイスクリームなどもってのほかだ』『夕食はしっかり食べること』という厳格な我が家の方針に従って、そんなアイスクリーム・バンには目もくれず、我が家の子供達は夕餉を楽しんでいたのであった(子供達はそんなアイスクリーム・バンの存在を知らなかったというのが真相)。

  しかし、最近、事情が少し変わった。

  我々が住むニューバラ・ロードは大きくカーブを描く一本道で、その道を挟んで家々が立ち並んでいる。もちろん、圧倒的にスコティッシュが多く住んでいる。ところが、10ヶ月近くも住んでいると、この通りには、数軒のチャイニーズが住んでいることがわかってきた。また、コリアンの家族が住む家も一軒あるらしい。
  ウチのすぐ近く(2階の窓から見える程度)には、長女と同じクラスの男の子(その名をイーブラという)の一家が住んでいた。その一家はパキスタニーである(その家の前を通り過ぎるとき、時々、香辛料のいい香りがすることがある。きっと美味しいカレーを食べているに違いない)。母国はパキスタンとはいえ、すでに長いことアバディーンに住んでいるらしく移住してきたような感じに見受けられる(何より英語がうまい)。
  イーブラには、12歳になる姉と、2人の弟がいて、これまでも、よく自宅のまわりで遊んでいる光景を見てきた。ウチの長女とイーブラは同じクラスだが、そこは男と女、一緒に遊ぶことはなかった。いや正確にいえば、長女は同じクラスのスコティッシュの男の子とは席が近いなどという理由で話したり遊んだりしているようだったが、イーブラは見るからに硬派タイプで、長女はイーブラに近寄り難かったかもしれない。
  ところが、ある日、長女が友達の家に遊びに行った帰り、たまたまイーブラの姉と会い、一緒に遊ぼうということになったらしい(確かに近所に住んでいて顔は知っていたとはいえ、よくもまあ、簡単に遊ぶ約束ができるもんだ)。よく見回してみれば、近所には、イーブラの姉と同じぐらいの女の子は見当たらず(学年でいえばP7)、イーブラの姉はウチの娘と遊びたがっていたのかもしれなかった。

  遊ぶとなればあとは子供同士、どんな遊びでもできる。初めはウチの長女と長男がイーブラの家に遊びに行き、すぐに我が家の下の二人も同行するようになった。我が家の裏庭に来て遊ぶようにもなった。当然、そんなときはイーブラ四姉弟が来るわけで、それはもうあちこちでそれぞれの遊びが始まることになる。

  そんなある日、イーブラの姉は、夕方6時ちょっと前に「アイサーに行く」といったらしい。もとより長女にはアイサーが何かわからない。しかし一緒についていくと、イーブラ姉弟がいったところは、いつも我が家の手前で停車している、アイスクリーム・バンであった。

  ウチの子供達は彼らが何を買うのか見てきた。報告によれば、それは確かにアイスクリーム・バンではあったが、アイスクリームのみならず、スーパーでは売っていないような、5pから60p程度のお菓子を販売しているとのことだった。
  見てきて報告するだけで済むハズがないのは当たり前。子供達が一斉に叫んだ。
  「買いたーい!!!!」

  それに対して小生は、厳格な我が家の方針に従い、次のようにいい渡した。
  「買ってもいい。でも食べるのは夕飯の後だよ。」
  そういって£1を渡した。友達が買っているのに、我が家の子供達が指をくわえてそれを見ているというのは何ともバツが悪いと思ったからである。
  『ま、イーブラ姉弟と遊ばない時には買わないだろう。』
  子供達は、お金を持ってアイサーに走り、それぞれに食べたいお菓子を買ってきた。そして方針に従ってまず夕食を食べた。夕食時はイーブラ姉弟には帰ってもらった(彼らは8時頃食べるらしいがいつ食べているのかはわからない)。夕食後、子供達はお菓子を持って外に出て、イーブラ姉弟とまた遊ぶようになった。

  別のある日、長女はみんなで£1では少なすぎるといい始めた。みんなが60pのものを買えば、当然足が出るというのである。
  「いくらのものを買うかはみんなで相談して決めること。£1以上はダメ。」
  もちろん、これも厳格な我が家の方針である。

  その後しばらくして、長女はこんな情報を仕入れてきた。
  「イーブラの家では、一人£1ずつもらってアイサーで買っている。」
  冗談じゃない。アイサーは毎日来るのだ。そんな駄菓子程度のものに、一人£1も与えていては、止めどなく買ってしまう。しかも夕食後に食べるお菓子としては量が多すぎる。
  「イーブラの家はイーブラの家。ウチでは全員で£1以内。おつりは返すこと!」
  これも厳格な我が家の方針に従った取り決めであった。

  その後もイーブラ姉弟とは遅くても夕方5時頃から遊び始め、アイサーが来ると思われる時間になると、我が家の子供達とイーブラ姉弟は、いつもアイサーが停まるあたりの歩道で待つようになった。
  それまでクラクションを鳴らしていたアイサーの運転手は、我が家の前あたりでクラクションをならす必要がなくなったと思ったらしい。ならさなくても、お客さんが大挙して待っていたからである。イーブラ姉弟とたまたま遊ばなかったある日など、家の中でクラクションがなるのを待っていたにもかかわらず、気付いたときにはアイサーは家の前を通り過ぎることがあり、慌てて飛び出してアイサーを停まらせたこともあった。ならさなくても待っている→おや、今日は誰もいない→誰も買わないのだろう→じゃ、通り過ぎようと、勝手に運転手が思い込んだのかもしれなかった。

  その一件以来、パキスタニーとジャパニーズは、6時ちょっと前になると、歩道の前で整列し、アイサーの到着を待つようになった。そこにまた、近所のスコティシュやチャイニーズの子が合流する。
  イーブラ姉弟と遊ばない日にも、我が家の子供達だけでお菓子を買うことも多くなってきた。そして、£1以内という条件を盾に取り、5p程度のものを3個買う知能犯も出てくるようになった。

  こうして、我が家の厳格な方針は、多国籍軍の前に、戦術の転換を余儀なくされつつあるのであった。[05/Jun/2000]


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