23.アバディーンでの年末年始

  昨年の11月から12月にかけて、クリフリチャード(Cliff Richard)という歌手が唄う「ミレニアムプレイ(Millennium pray)」(「新世紀の祈り」とでもいうのだろうか)という歌がヒットチャートトップワンになった(クリフの歌い方は本当に郷ひろみに似ている)。この歌は、スコットランドの代表曲「オールドラングサイン(Auld Lang Syne)」(「懐かしき日々」というスコットランド語)の曲に新たに詩を付けたものである。「オールドラングサイン」は日本でもおなじみの曲で、「蛍の光」の原曲である。「蛍の光」を聞くと何故か「終わり」をイメージするのは紅白歌合戦の影響だろうか。

  さて、クリスマス休暇の余韻覚めやらぬまま1999年が終わりニューミレニアムを迎えた。というのも、まだ町にも家々にもクリスマス飾りが飾られたままなのである。日本のようにクリスマスが終わったら、すぐに正月飾り、というようなことはない(いつまでクリスマス飾りがあるか楽しみだ)。
  12月31日から1月1日にかけて、BBC1では英国各地の年末年始の様子を伝えるとともに、世界各地から中継映像を流していた。英国は世界時計の標準時間を刻み続けている国だ。つまり英国の時間を基準にして時差のプラスマイナスが決められているわけだ。そんなことはとっくに知っていたことではあるけれど、BBC1の中継は改めて『なるほどな』と思わせる中継だった。それは世界各地のニューミレニアムを早い順に中継するものであった。
  世界で一番早くニューミレニアムを迎えたのは南太平洋のキリバチ(Kiribati)という島であることを知る。英国との時差はちょうど12時間。英国より12時間早い。英国が正午を迎えたと同時にキリバチでは新年を迎えたというわけだ。次はシドニー(Sidney)。時差10時間。英国の午後2時にシドニーでは新年を迎えた。そして東京(日本)。時差は9時間だから、当地の午後3時に日本ではニューミレニアムを迎えたのである。ペキン(Beijing)が当地の午後4時に新年を迎えた。日本と中国は「非キリスト教国」として紹介されたが、日本より中国の新年を紹介する時間の方が長かった(当たり前だ、英国には中国人の方が圧倒的に多いのだ)。以下、1時間毎にアジアから中東のどこかで新年を迎え、午後9時にモスクワ(Moscow)で新年を迎えた。そして午後11時にパリ(Paris)でニューミレニアムを迎え、英国でのカウントダウン。英国でニューミレニアムを迎えた5時間後、ニューヨーク(New York)で、8時間後にロサンジェルス(Los Angels)で新年を迎える。そしてもっとも遅く新年を迎えた地域の一つは、ハワイ(Hawaii)だった。時差11時間。キリバチとハワイは、地図上ではすこぶる近いのだが、日付変更線のいたずらで、ほぼ24時間の時差を生む関係になる。小生にとってこの事実はちょっとした驚きだった。

  年末は日本と同じようにテレビ各局が(といっても4局だが)特番を組んだり、映画をいつもより多く放映した。特番といっても小生には馴染みの薄いタレントばかりなので、必然的に映画に目が向く。中でもビデオに録画して見たのが、ITVの深夜映画だった。なんと、黒澤明監督作品とゴジラ映画を連日放映したのである。
  テレビガイドを見ると12月21日、深夜2時5分からSanjuroという映画。『サンジュロなんていう黒澤映画があったかなあ』と思ったが、これは「椿三十郎」だった。以下、すべてを見たわけではないが次のようなラインナップだった。
  22日深夜2時35分 「デルスウザーラ」
  24日深夜1時5分 「ゴジラ」と「ゴジラの来襲」の2本立て。
  25日深夜1時10分 「影武者」
  26日深夜3時25分 「ヒドラ」
  27日深夜1時55分 「ゴジラ対モスラ」と「帰ってきたゴジラ」
  28日深夜1時35分 「ゴジラ対ヘドラ」と「ゴジラの逆襲」(邦題は「怪獣大戦争」)
  29日深夜1時45分 「用心棒」
  黒澤明監督作品とゴジラ映画という、何とも面白い取り合わせながら、考えてみれば日本を代表する監督(とその作品)と、日本を代表する映画には違いはない。きわめて個人的なことながらゴジラ映画は30年前に見ていたので思い出深い(とくに「怪獣大戦争」はすこぶる付きで懐かしかった)。そして落涙するほどうれしかったことは、すべての映画が「英語字幕スーパー」だったことであった。つまり吹き替えなし、なのである。日本で見るのと同じように日本映画が見られたのである(とはいえ、ついつい英語のスーパーを見てしまうのは何故だろう)。ゴジラなど知らなかった(興味がなかった)長男も小生と一緒に見て、ゴジラ好きになったようだ。

  また、10月から毎週日曜日午前9時25分から「ポケモン」も始まったが、年末年始は毎朝放送した(こちらではPokemonをポケモンと発音できないようで、「ポックモン」と聞こえる)。こちらの方は英語版だが、子供達は日本で見たことがあるストーリーばかりなので英語は気にならないようだ(むしろ日本名と英名が違うポケモンに興味津々の様子だ)。

  12月31日。大晦日。
  とうてい日本と同じようなご馳走を揃えるというわけにはいかないが、1月1日、2日にはクリスマスと同じようにすべてのスーパーや商店が閉まるので、食料を調達するために近くのスーパーに出向いた。午前中に行ったにもかかわらず、12月24日と同じようにまたまた一部の食材が品切れ状態。そして買い物客の多さ。日本の年末風景を思わず思い出した。多くの店は午後3時で閉店。
  夕方から近所で打ち上げ花火(Fire worksという)の音が聞こえた。
  テレビでは新年を迎える直前の各地の様子を刻々と伝えている。午後11時を過ぎると、スコットランドローカル局が製作した番組も始まった。スコットランドでは大晦日をホグマニー(Hogmanay)という。テレビではエディンバラのホグマニーの様子を伝えている。エディンバラ城付近には、ちょうど初詣をする日本人のようにものすごい人人人が映し出されている(エディンバラ・ホグマニーの会場で、何とベイシティローラーズが唄っていた。みんな中年のおっさんになったもんだ。そういえば彼らはスコットランド出身だ)。
  そしてカウントダウン。時計の針がちょうど1月1日午前0時になった途端、我が家の近所のいたるところから花火の音。その数計り知れず。大音量である。我が家の隣りに住んでいるバンクス家も家族全員が庭に出て花火を上げていた。わざわざ小生の家のベルをならし(真夜中に!)、「ハッピーニューイヤー」。テレビでもエディンバラの花火。BBCではミレニアムドームを背景にロンドンの花火。そしてアバディーンのブリッジオブドンでも花火。近所のあちこちで打ち上げられた花火は30分以上続いた(ユニオンストリートあたりはかなり凄いことになっていたに違いない)。

  明けて1月1日。心配されたコンピュータのミレニアムバグも発見されなかったようだ(小生が利用しているアバディーン大学のサーバは、バグに備えて、12月30日から1月4日まで停止していた)。
  アバディーンも曇り空ながら穏やかな新年を迎えた。当然のことながら年賀状配達はない。
  日中、町の様子を見にドライブ。道路はクリスマスの日よりは明らかに自動車の量は多かった。中心部はほとんどの店が休み。開いていたのはガソリンスタンドとコンビニ、そしてマクドナルド。それしか店は開いていないのに何故か歩行者が多い。皆さんどこに行っているのだろう。
  ビーチにも出向いた。というのも1月1日に、ビーチで何かイベントが行われるらしい、ということを夕刊紙で読んでいたからである。ビーチには夏の時期を思わせるような自動車と人。『きっと何かやっている』と期待に胸を膨らませて自動車を止め、ビーチに出てみたが、何もやってはいなかった。お年寄りも、家族連れも、カップルも、何をやっているのかといえば、のんびりと海岸線を歩いているだけであった。ただ、これまたクリスマスの日にはすべて締まっていた売店やレストランは、営業している店もあり、客もそれなりに入っているようであった。我々も、時々洩れる陽の光を受けながら、砂浜を散歩。
  家のまわりは、ホントに静かだった。
  1月2日は日曜日。この日もまたビーチには多くの「散歩客」が訪れていた。そして3日はバンクホリディー。今年最初の法定休日だ(日本の祝祭日と同じイメージ。本来は銀行が休む日ということからこの名が付いたようだ)。休んでいるお店も結構あったものの、町には多くの人が出ていた。
  この三が日は概してマイルドな天気で、快適に過ごすことができた。

  紹介したように、日本とはひと味もふた味も違った年末年始を過ごしたのはいうまでもない。しかし、おせち料理を食べながら紅白歌合戦を見て、行く年来る年を見て除夜の鐘を聞き、1月1日に年賀状でご無沙汰している方々の消息を知る、という日本の年末年始風景が、妙に懐かしく思えたのも事実である(さ、お仕事お仕事)。[05/Jan/2000] 

【追記】
家々のクリスマス飾りは1月10日には片付けられ、ユニオンストリートの電飾は1月15日には撤去されていた。[17/Jan/2000]


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