マックファージン夫妻を誘った小生の最初のモルト・ウィスキー・トレイルは、昨年の10月のことだった。
  この時は、ストラスアイラ(Strathisla)、グレン・グラント(Glen Grant)そしてグレンフィディック(Glenfiddich)の3ヶ所を訪れた。今年に入って、HS(Historic Scotland)の史跡の一つとして指定されているダラス・デュ(Dallas Dhu)を訪れた。モルト・ウィスキー・トレイルの蒸留所として指定されているその他の蒸留所は、冬場は見学を休止しているところもあれば、ウィーク・ディしか営業していないところもあり、ダラス・デュ見学後はすべての蒸留所がウィークエンドにもオープンするようになる7月までトレイルをお休みすることにした。

  さて7月。クリスと連絡を取って、7月最初の土曜日に2度目のトレイルに出発することにした。

  9時30分、例によってマックファージン夫妻をピックアップして、A96をハントリー(Huntry)に向かい、ハントリーをちょっと過ぎてA920に入ってダフタウン(Dufftown)へ。今回もクリスがナビゲーター。
  ダフタウンに入るとそこはもはやウィスキーの里。ダフタウンからA941に入ってクレイゲラヒー(Craigellachie)へ。そこには最初の訪問地、スペイサイド・クーパレージ(Speyside Cooperage)がある。11時23分着。自宅からは63.5マイル。

  スペイサイド・クーパレージは、蒸留所ではなく樽の製造工場である。蒸留したスピリッツは何年も樽の中で寝かせられる。ウィスキーに付いた琥珀色は樽を寝かせている時に付く色だ。その樽を各蒸留所に供給しているのが、このスペイサイド・クーパレージ。
  駐車場に車を停めて見学棟に入ろうとすると内部は暗い。何か嫌な予感がしたが、見学時間を示すプレートを見ると、平日しか営業していないことになっていた(その時間を書いた下に何かを消したような跡があった)。
  「2000年版のリーフレットには、確かに土曜日も営業していることになっていたけど」と小生。
  「これだからスコットランドはわからないのよね」とヒロコさん。
  近くにあった売店は営業しているようであったので、そこにクリスが行って事情を聞いてくると、最近は見学客も少なく、樽職人も週5日の労働を要求していることなどから、土日は休むことにしたという。リーフレットも書き換えたいのだが、そのためのコストもかさむためそれもしていないという。
  それにしても、クーパレージのまわりは樽を利用してきれいに整備されたピクニックエリアがあり、お天気が良ければ子供連れで来てもいいと思われる場所だった。
  「機会があれば平日にピクニックでも来ますよ。」

  スペイサイド・クーパレージを出て次の訪問先カーデュ(Cardhu)に行こうとした時、クリスが「ちょっと寄っていかないか」といった場所があった。それは、スペイサイド・クーパレージからほんの1マイルほどの、スペイ川のほとりに建っているクレイゲラヒー・ホテルだった。クリスによれば、このホテルのバーは、ウィスキーの品揃えでは有名なバーの一つであるという。ウィスキーを飲むわけにはいかないが、飲めるならコーヒーぐらい飲みたいところだ。
  山あいのちょっとくぼんだ場所に建つ、白い壁のホテルに入ると、すぐ右手にこじんまりとしたバーがあった。その壁にはウィスキーのボトルが所狭しと並べられている。ソファに座ってコーヒーをすすりながら壁を見回す。ほとんどがシングルモルト。クリスがバーテンさんに「一番高いウィスキーはどれ?」と聞いた。すると、カウンターの上にあったバルベニー(Balvenie)の1951年6月14日と日付の入ったものだという。
  「いくらだと思う」とクリス。
  小生、わからずに黙っていると、
  「100ポンド。シングルで」とクリス。
  シングル1杯が£100!

小生の真上に1杯£100のウィスキーがある

  このホテルに宿泊したら1杯タダにするという。帰りに料金表を見るとシングル・ルームが£95だった。
  それにしてもこのホテル、バーのテーブルの上にウィスキーのつまみが置いてあって自由に食べることができるようになっていたが(日本のバーで出るお通しのような感じ)、そのナッツが入った中にライスクラッカーつまり「おかき」が入っていた。クリスは早速それを見つけて、小生に海苔付きのおかきを取ってくれた。
  『1杯£100のウィスキーに海苔付きのおかきか』

  12時10分過ぎにホテルを出て、カーデュへ。カーデュへはクレイゲラヒーからA95を走って左に折れてB9102に入る。クレイゲラヒー・ホテルからは8マイル、15分ほどでカーデュに到着。


  カーデュはこじんまりした蒸留所。受付で入場料£2を支払い、ツアーガイドに参加(とはいっても我々3人だけだったが)。
  カーデュ、Cardhuはゲール後でBlack Rock(黒い岩)を意味するという。例によってあの独特の臭いの中、アバディーンのロバートゴードン大学で学んだというジェーンさん(確かこんな名前だった)という若い女性が親切に製造工程を説明してくれた。
  30分ほど工場内を見て回り、最後に樽を寝かしている建物の中でカーデュの試飲。そこでヒロコさんが「ここには有名な女性がいましたね」とジェーンさんに聞くと、確かにその通りですという。
  その有名な女性の逸話はヒロコさんが翻訳した『モルト・ウィスキー・ファイル』で次のように紹介されている。
  「ジョン・カミングは1811年にカーダゥ農場を借り受けて、非常に早い時期からウィスキーを製造していた。彼の妻ヘレンもビジネスに少なからぬ役割を果たし、税務官が訪れた折りには、パン作りの為にマッシングと醗酵を行っているようにみせかける努力をした。」(翻訳書、65頁)
  これだけでは良くわからない話だが、ヘレンの旦那、ジョンはウィスキーのライセンスを取得する前にウィスキーを製造していたらしい。密造だ。それを隠すために、税務官が訪れたときに偽装工作をして旦那のビジネスを助けたというわけだ。
  それにしても、この蒸留所も名前も日本ではあまりなじみがない。しかし我々が良く知っているブレンドウィスキーの生産に大いに貢献している。それはジョニー・ウォーカーである。カーデュで蒸留するウィスキーのほとんどがジョニー・ウォーカーのためにブレンドされるウィスキーになるという(ストラスアイラでシーバス・リーガルを蒸留しているのに似ている)。したがって、売店でも、シングル・モルトとしてカーデュも扱っているが、それと同じほどのスペースをジョニー・ウォーカーが占めている。かつて、海外旅行の免税のお土産としてジョニー・ウォーカーやシーバス・リーガルが一般的だった時代がある。「ジョニ赤は安い、ジョニ黒でなければね」といった話や「ジョニ黒はもはや一般的。やっぱりシーバスだよね」といった話を聞いたことがある。記憶によれば、日本でのシーバスの小売価格が10,000円だった。それがいまや、酒の安売店では2,000円程度(もしかしたらもっと安く)で販売されるようになり、免税の有難味がなくなってしまった。

通し番号はA04960

  売店の棚を見ていたヒロコさん、「ジョニー・ウォーカーの緑や青というのはめずらしいよね。」
  「でも日本には入ってるかもよ」と小生。
  「もちろん、入ってると思うよ」とクリス。
  しかし、そんなジョニー・ウォーカーでも、最後まで買うかやめるか迷った末に買ったものがあった。
  「ミニチュアで化粧箱入りなんて日本にはないと思うよ」と小生。
  「一応、ウェッブで日本でも手にはいるか確認して買ったら」とヒロコさん。
  最初はそう思ったが、ボトルを見れば、ミニチュアながら1本1本に通し番号が入っている。
  「たとえ日本に入っているとしても、これと同じ番号はないはずだから買うことにするよ」と小生。
  というわけで、購入したのが、立派な化粧箱に入っているジョニー・ウォーカーの青のミニチュアボトルだった(その内容量と金額を聞いたらきっとビックリすると思うので金額は内緒。それからこれはお土産ではなく小生自身が楽しむもの、悪しからず)。

  カーデュの見学を終えたところで昼食。
  昼食後、B9102を南下してA95に戻って小道を走り、次の訪問地グレンファークラス(Glenfarclas)到着。カーデュからは8マイル、15分。

  グレンファークラスは内部の見学はできなかった(リーフレットにはできることになっていたが)。しかし、蒸留所は1ヶ所見ればあとはどこでも説明は同じなので、見なくてもいいかという気になっていた。ただしここでは、10年ものの試飲はできるという。我々にはそれだけで十分。試飲しながら、飾ってある絵を見たり、販売されている製品などを眺めていた。
  すると、しっかりと鍵のかかったショーケースの中に、ラベルが1枚1枚違うウィスキーがあった。ラベルを見れば「40年もの」だという。25年もののウィスキーでも希少価値だし、金額も高いのに、それらは40年ものだ。金額がまた素晴らしい。ナント£1,500!(£1=¥180で¥270,000、£1=¥160でも¥240,000)。飾ってあった絵はそのラベルの原画だった。製造本数を聞いて忘れてしまったが、クリスによればそのうちの6割が売れたという。
  『1杯£100のウィスキーといい、ミニチュアでも高いものがあったり、1本£1,500があったりと、今日は高いものに縁があるなあ。』

  というわけで、グレンファークラスを3時に出て、A95からB9008を15分ほど走ると、今日最後の訪問地グレンリーベット(Glenlivet)に到着。グレンファークラスからは8.7マイル。

  グレンリーベットは、モルトウィスキートレイルの中では、グレンフィディックの次に大きな蒸留所のようだ。まずもって売店が広い。ここで、£2.5を支払ってガイド・ツアーに参加。ここでも案内役は若い女性、ニコラさん。ニコラさんは大きな声を出して一所懸命説明してくれたが、カーデュとは違って何か事務的な口調のような気がした。約30分のツアーは、やはり今までと同じような内容の説明だった。しかし、最後に訪れた樽を寝かせておく建物は、全部で10棟あり合計65,000樽を収容できるという。グレンリーベットはこの銘柄のウィスキーしか製造していないので、その規模の大きさが伺い知れる。
  一通り見終えて駐車場に戻ると、4時20分だった。

  帰路は以前走ってその絶景に惚れ込んだA939を抜けてアバディーンに向かうことにした。
  グレンリーベットからトミンチュール(Tomintoul)までは8マイルほど。トミンチュールを過ぎて山岳道路を走る。前回はあたり一面雪景色だったが、今回は雪もなく、ゴツゴツした岩肌が見える山々が連なっている景色だった。
  途中、コルガルフ城が眼下に見えるポイントでちょっと停車。ちょうど5時だった。


最高にロケーションがいい(中央下がコルガルフ城)

  そこから、A944をひたすらアバディーンに向かい、マックファージン夫妻を降ろした。
  「前回より多く走ったのに早く到着しましたね」と小生。
  するとヒロコさん、「前回はのろのろ運転だったからね。今回はぶっ飛んでたよ。」
  自宅に到着したのは6時40分。総走行距離は170マイルだった。前回より30マイル以上多く走っていた。

  これで一通りモルト・ウィスキー・トレイルを巡ったことになる。独断と偏見でいえば、小生のようなウィスキーの門外漢は、まずグレンフィッディックに行って日本語解説付きのビデオでウィスキーの蒸留工程に知識を仕入れ、次に、ストラスアイラに行って、その雰囲気を楽しんだらいいかなと思う。どれか1ヶ所だけといえば迷わずストラスアイラだ。それだけ絵になる蒸留所がストラスアイラだった。ウィスキーの味は・・・ま、これは好みの問題だ。

  「クリス、そしてヒロコさん、つき合ってくれてありがとう。」


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