★ ロンドン御上り紀行 Part U ★

  我々を乗せたGNER(Great North Eastern Railway:ロンドンとスコットランドを結ぶ鉄道会社)の列車は定刻の10時30分、静かに出発した。曇り空。その7時間後、日差しのある空の下、定刻どおりアバディーン駅に到着した。

  「ロンドンで今年しか見ることができないミレニアム・ドームに行ってみるか。」
  「ミレニアム・ドームはグリニッジにあるというから、ついでに天文台にも行ってみたいわね。」
  たったこれだけの動機で、アバディーンから7時間も電車に揺られてロンドンに行くことになった。2度目の御上りである(実際にはアバディーンは北緯57度、ロンドンは北緯51度付近に位置するから「お下がり」ということになるのだけれど)。

  2度目のロンドン行も、前回同様、アバディーン−ロンドン往復をGNERを利用し、宿泊先もエリーゼホテル(Elysee Hotel)。ロンドン往復料金は前回より安くなって£48.85(子供は同じ£2)。往復でこの金額は信じられない。エリーゼホテルは前回より£10上がって一泊£95。しかしこれも、都心部で、しかも一部屋で家族全員が寝泊まりできるということから考えれば安い(ちなみにシングル一泊£45、ダブルベッドでは£55)。

  今回の旅では、乗り物に大いに悩まされた。
  まず行きのGNERは、定刻にアバディーンを出発したもののエディンバラで送電系統のトラブルで20分以上停車し、結局ロンドン・キングスクロス(King's Cross)に到着したのは定刻4時53分のハズが5時35分だった。アバディーンを10時ちょうどに出発したので7時間35分も車内にいたことになる(車内で飽きるほど「大貧民」をやって過ごした)。
  今度は地下鉄に乗るために、自動券売機で切符を購入しようとしたが、何度操作しても£10紙幣が戻ってくる。おかしいなあと思いつつ、何気なくバンク・オブ・イングランドの£10を挿入すると操作できた。最初に入れた紙幣は、バンク・オブ・スコットランドの£10だった。
  『おかしいじゃないか。スコットランドじゃ真正な紙幣だぞ。』
  前回は、窓口で切符を購入したため気付かなかったが(そもそもほとんどの券売機は紙幣を扱えない)、地下鉄の券売機はバンク・オブ・イングランドの紙幣しか受け付けないものだったのだ。
  『くそー、これもイングランドのスコットランドイジメか。』
  ようやくホテルに到着したのが6時20分頃だった。
  ホテルに到着すると、見覚えのあるホテルのフロントマンが「ウェルカム、ミスター・オハラ」と声をかけてくれた(「オオハラ」「オーハラ」と呼ばれることはない)。どうやら彼は我々を覚えてくれていたようだ。決してきれいでもなく、決してサービスがいいホテルでもないが、名前を覚えてくれていたというだけでホントにうれしくなってしまう(我ながら単純)。今回は4階の40号室(日本では5階に当たる。当地では1階はグランドフロアと呼び階数には含めない)。

  7月だというのにアバディーンは連日最高気温が15度前後だったが、ロンドンはさすがに20度前後の気温があり、曇り空だったせいもあって蒸し暑さを感じた。長袖のシャツにトレーナーまで着ていた小生をはじめ、子供達も「暑い暑い」を連発。今回はロンドンに3泊し、いずれもお天気には恵まれなかったが、それでもトレーナーを着ることは一度もなかった(20度でも暑いと感じるということは帰国後どうなる?)。

  エリーゼホテルは、パディントン(Paddington)から徒歩10分程度にあり、パディントンからホテルまでの道すがら、数多くのホテルと数多くのレストランがある。我々は、夕食としてイタリアンを食べ、その後、ハイドパーク(Hyde Park)へ。ホテルのすぐ前がハイドパークだ。前回来たとき、可愛らしいリスに魅せられた子供達は、今回もリスにエサをあげることを楽しみにしていた。公園に入るとまたまたリスに対面したが、季節のせいか、お天気のせいか、前回よりはリスの姿は少なかった。そろそろ暗くなりかけた夜9時過ぎにホテルに戻った。

  ロンドン観光第2日目。この日は今回の目玉、ミレニアム・ドーム(Millennium Dome)を訪れる日だった。
  ホテルの予約もさることながら、ミレニアム・ドームの予約もインターネットだった。家族チケットが£57。発行手数料が£1で合計£58。結構なお値段。予約して一週間程度で家族チケットが2部郵送されてきた。2部必要なのだろうかと思ったが、発行番号も何もかも同じだったから先方のミスであることがわかった。
  『こんなミスをやっているようではダメだな。』

ドームチケット

  このミレニアム・ドームは、テームズ川のほとりに、西暦2000年、つまり今年1年だけの計画で開催されているドーム型施設でのイベント会場である。運営団体は民間なのだろうが、建設資金の多くはナショナル・ロッタリー(宝くじ)の収益金から拠出されており、英国政府が大いに関わっていることは間違いない。いわば政府の肝いりの事業。
  しかし、このドーム、1月の公開から評判がすこぶる悪い。人が入らないのだ。計画では、1年間で1,200万人の入場者数を見込んでいたものが、700万人にまで下方修正されている。公開からほぼ半年を過ぎた6月下旬にやっと300万人を迎え入れたという。あまりの不人気に、英国議会でも問題になり、ドームの運営会社の社長は途中で降板している。そんな不入りを打開するためだろうか、小生が予約した時、受け取ったチケットの番号をメールで運営会社に伝えると、マイクロソフト・エンカルタ英語(英国)版(百科事典CD-ROM)をくれるというキャンペーンをしていた(当然いただけるものはいただいた。これはその後、英国の事柄を調べるときに重宝した)。

  朝9時にホテルを出てパディントン駅でゾーンチケット(Zone1-2)を購入(大人£2.60、子供£80p)。さて自動改札機を通過しようとしたら、何度やってもノーエントリー。ゾーンチケットは朝9時30分以降有効であることをすっかり忘れていた。
  やっと地下鉄に乗り込んだと思ったら、その電車は次の駅、エッジウェアロード(Edgware Road)で「オール・チェンジ・プリーズ」の車内放送。慌てて別のホームの地下鉄に乗り換えて、次の駅ベイカー・ストリート(Baker Street)で下車。そこからジュビリー線(Jubilee)に乗り換えてドームに向かう。ベイカーストリートからドームがあるノースグリニッジ(North Greenwich)駅までは10個目。ところが、前の駅で電車が停車中なのか、駅に入る前でよく止まる。ロンドンの地下鉄はダイヤがあってないようなもの、よく止まることで有名だということは知っていたが、こんなにしょっちゅう止まる地下鉄に乗ったのは初めてだった。9つの駅を通過する前に毎度止まっているようなものだったので、20近くの駅を通過したような気になってしまった。ようやくノースグリニッジに到着したのは10時30分をまわっていた。


Millennium Dome

  ノースグリニッジの改札を出ると、そこにはあの象徴的なドームが間近に見えた。
  「なかなかいいんじゃないの?」
  真っ白なドームに黄色い12本の柱が突き出ている。入場ゲートの前に最初の撮影ポイントがあって、みんな記念撮影に余念がない。しかしあまりに近すぎて到底全景を収めることはできなかった。

  入場ゲートでチケットを示して中に入ると、ホント、閑散としていた。規模の大きさから見て入場者数があまりに少なかった。もっとも多く目にしたのは、プライマリーやセカンダリーの団体だった(みんな制服を着ているのでわかる)。
  『我々子供連れには最高だな、これだけ閑散としていれば。』
  ドームの入り口には各パビリオン(展示施設)の入場待ち時間が表示されている。いずれも5分以内。
  このドームには、14のパビリオンがある。行ったことはないが万博というのはこんな感じなのだろうか。もっとも有名なものはボディ(Body)と名付けられたパビリオン(これはブーツという総合化粧品医薬品小売会社提供)。このパビリオンだけは、入場ゲートでパビリオンに入るための時間指定のチケットを手渡された(我々は3時20分〜40分の指定)。
  最初は一通りドーム内を歩く。それぞれのパビリオンにはテーマがある。先のボディはいうまでもなく体。その他には精神(Mind)、信仰(Faith)、自画像(Self Portrait)、仕事(Work)、学び(Learning)、休息(Rest)、遊び(Play)、語らい(Talk)、お金(Money)、旅(Journey)、広場(Shared Ground)、生活の場(Living Island)、地球(Home Planet)である。またドーム中央には舞台があって、一日に数回、何らかの大規模な演技を見せるようになっていた(我々が見たときには何やら踊りを披露していた)。
  またドームの中にもお土産屋や軽食コーナーもある。噂には聞いていて試してみようと思っていたのは回転寿司。ドームを歩いていてすぐに見つけた。しかし結果的には食べなかった。何故ならその回転寿司は「YO! SUSHI」というセインズベリーに寿司を提供している会社が出店しているものであり、その味は知っていたのであえて食べる必要性を感じなかったからである(結局、昼食は、もっとも味を知っているマクドナルドだったが・・・。ここのマクドナルドは全英一の客席数を誇るらしい。ちなみにこのマクドナルドで2000年発行5p貨をゲット!)。

Body

  4時頃ドームを後にするまでに入って見たパビリオンは、5つか6つ程度。最後がボディだった。これは、人の体の内部をデフォルメして模倣したパビリオンの内部を見て歩くというものだった。血管に血液が流れているフロアの上を歩いたり、歯の上に置いてある6つほどの脳味噌がジョークを飛ばしている顔の内部を模倣した部屋に入ったり、天井から吊された巨大な心臓が鼓動を続ける真下を歩いたり(時折鼓動が早くなったりする)、天井のスクリーン一杯に卵子に向かって競争する精子が繰り返し映し出された部屋があったりと、一言でいってグロテスクの連続。これを見るのだったらNHKの「驚異の小宇宙」(だったっけ?)を見た方がはるかにマシだった(その異様さに一番下の娘は泣きっぱなしだった)。
  他のパビリオンもしかり。疑問に思ったことは、なぜこれほどまでに大きな規模で展示する必要があるかということだった。
  つまりは、ディズニーランドのように徹底的に遊ぶというコンセプトでもなく(ゲームなどもあったがいかにもチンケ)、さりとて大まじめに科学するでもなく(説明が大雑把。ま、詳しくても理解できないことが多かっただろうが)、どっちつかずの内容なのだ。そんな中途半端な内容の展示物が各パビリオンに置かれている。もっとこじんまりとしていても十分な内容ばかりだった。見れば見るほど欲求不満になってしまった。

赤フンに緑のタイツのいいトシしたおっさんたち

  しかし我々を大いに楽しませてくれたものもあった。それは、パビリオンの待ち時間に客を飽きさせないために動員されたパフォーマーたちの演技だった。いわば大道芸である。ドーム内にもいたし、ドームのまわりの通路や広場にも出没した。もとより飽きるほどの待ち時間などないパビリオンばかりだったが、それでもパフォーマーたちは見事な芸を披露してくれた。そのほとんどが言葉を使わない。身振り手振り、動作で表現する。それがまた実にいい。ユーモアとジョークを愛する英国人の芸だなあと、つくづく感じた。とくに、いいトシした男性3人組のバカバカしいパフォーマンスには大笑いした。

  結局、5時間半ほどいたが、印象に残っているのは、パフォーマンスだけ。会場内には「リピーターは入場料20%引き」という看板が出ていたが『これじゃ、リピーターはないよなあ』という感想を胸にホテルに戻ることにした。

  ホテルに戻って夕食前にまたまたハイドパークへ。しばしリスと戯れた(野ネズミもいたのにはビックリ)。

  翌日、ロンドン観光3日目。この日は昨日行けなかったグリニッジ天文台を訪れることにした。午前中はあいにくの雨。
  前日の教訓を生かしてパディントンからではなくランカスターゲート(Lancaster Gate)から地下鉄に乗り、ボンドストリート(Bond Street)からジュビリー線に乗り換えることにした。ところが、ボンドストリート駅に着いてジュビリー線へ乗り換えるための連絡通路からジュビリー線に向かうエスカレーターの前に人だかり。ここではナント、エスカレーターが止まっていたのである。
  『今日はコレか・・・』
  まもなくエスカレーターが動きだし、車内に入ると、今度はその電車が動かない。
  『どうなってるんだ、一体? 我々は呪われてるんじゃないのか?』
  やっとのことで動き出した電車でカナリー・ワーフ(Canary Wharf)まで向かい、そこからドックランド軽鉄道(Docklands Light Railway)に乗り換えてカティ・サーク(Cutty Sark)駅へ。以前にもグリニッジ天文台を訪れたことがあるが、その時はカティ・サーク駅などなかったような気がする。カティ・サークはウィスキーにもなっている船の名前でそのカティ・サーク号が陸上で一般公開されているのだが、以前は、ここに来るまでずいぶん歩いたように記憶している。今回は、そのすぐ近くまでこのドックランド軽鉄道で行くことができるようになっていた。ドックランド軽鉄道は、東京モノレールのようなイメージ。間近まで建物が迫って建っている中を走る。

  11時ちょっと前にカティ・サークに着き、そのままグリニッジ海事博物館(National Maritime Museum)へ。そこで海事博物館と天文台(Royal Observatory)のジョイントチケットを購入(大人のみの入場料で£10.50)。この海事博物館も前回はなかったと記憶している。小生はゆっくり見ていたかったが、子供達はあまり興味を示さなかったので足早に博物館を見て、天文台へ。

子午線をまたいで写真を撮る

  天文台からはミレニアム・ドームの全景がはっきり見える。
  小高い丘の上にある天文台に到着したのは12時5分前。
  「ちょうどいいね。12時になったら時計を合わせよう」といいながら、中に入る。
  ここは、小学生か中学生の時に習った世界標準時間を刻んでいる場所である。地図では経度0度と示されている場所だ。その場所には、5メートルほどの一本の線が引かれている。それが本初(ホンショ)子午線である。何でもない線だが、その線が基準になって西半球と東半球に分けられ、そこからの時差によって距離が計算されるわけだ(海事博物館とセットで見ると海と地図と時計の関係がよくわかる)。
  その線の延長線上の両側に電子時計が設置され時を刻んでいる。
  「よしもうすぐ12時だ。」
  「アレ?」
  電子時計の時刻は「10:59」から「11:00」に変わったのだった。1時間ずれている。種明かしをすれば、今、英国はサマータイムで時計の針を1時間進めているから実際の標準時間とは1時間のずれがあったわけだ。
  「ちょっと残念だね。」
  そうこうしているうち、おなかがグー。
  「よし中心部に戻って昼食にしよう。」
  ということで、カティ・サーク駅まで戻り、カナリー・ワーフでジュビリー線に乗り換え。次にウォータールー(Waterloo)駅でベイカールー線(Bakerloo)に乗り換えてピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)へ。1時ちょっと前に到着。

  ピカデリー・サーカスに来て昼食といえば・・・。そう、お目当てはチュエン・チャン・クー(Chuen Cheng Ku:泉章居)。昨年10月のチュエン・チャン・クーでの中華三昧が忘れられなかった子供達は、今回のロンドン行でもチュエン・チャン・クーは楽しみの一つだった(今回、エロス像はブラもパンツも付けていなかった、念のため)。

  1時過ぎであったにもかかわらず(1時過ぎだったから?)、チュエン・チャン・クーは満席。真っ赤なチャイナドレスを着て受付にいた、涼しい瞳の、美形のお嬢さんは「もう少し待っていて下さい」といってベンチシートで待つように我々に指示した。待っていると、中から黒服を着てメガネをかけた女性が現れた。それを見た我々はビックリ。
  「アバディーンのキャンベル(中華食材店)の女の人に似てるー!」
  しゃべり方を聞いて二度ビックリ。キャンベルの女の人も、化粧っけもなく、完全な東洋人顔で、恐いくらいハキハキと中国語をまくしたてる人だが、この女性もまったく同じ顔つきで同じ口調だったのだ。
  「受付は、この女性よりは、やっぱりあの涼しい目のお嬢さんだよなあ。」
  「でもメガネの女性は、案外気が利いて優しいかもよ。」
と、日本語で会話(こんな時、まわりが日本語を話さないというのは便利)。
  案の定、席に案内されると、メガネの女性は子供達に何かと気を使って話しかけてくれた。
  今回も、点心をたらふく食べて至福の時を過ごした。

  昼食後、バッキンガム宮殿へ。歩いても行ける距離だったが、ピカデリー線(Piccadilly)に乗って一駅のグリーンパーク(Green Park)に向かう。
  バッキンガム宮殿は女王の住まいで、例の衛兵交代で有名な場所。あいにく衛兵交代の時間ではなかったため、その儀式は見ることはできなかったが、世界各地からの観光客がクイーンビクトリア像の前あたりで盛んにシャッターを切っていた。
  「さすがに、英国で一番英国人の少ない場所だけあるなあ。」
  いろいろな言葉といろいろな肌の色の人々でごった返している。そして見ず知らずの人にシャッターを切ってもらうために話す言葉は英語。

  バッキンガム宮殿を後にして、今度はピカデリー・サーカスまでブラブラ歩き、途中、フォートナム・アンド・メイソンで紅茶を買い求める日本人の群を「見学」し(12年前の自分を思い出す)、ピカデリー・マーケットという常設テント販売のマーケットをのぞいた。そこには12年前に訪れて買い求めた木彫りのイニシャル印を売るお店が今でもあった。今度は、子供達が自分のイニシャル印を買い求めた(今ではあまり使わなくなったが、今でも当時のイニシャル印は小生の机の中にあるハズだ)。

  この日、ホテルに戻ったのは午後6時。遅いチュエン・チャン・クーでの食事のため、夕食はあっさり目。
  こうして、我々の2度目のロンドン行は終わりを告げようとしていた。

  最終日、9時にチェックアウトしてパディントンからキングスクロスへ。パディントンではまたずいぶん待たされて電車が到着。当然、エッジウェアで乗り換えだろうと思い、外に出ようとすると、今度は乗り換えなしでキングスクロス方向に向かう電車だった。
  『やれやれ。』

  我々を乗せたGNER(Great North Eastern Railway:ロンドンとスコットランドを結ぶ鉄道会社)の列車は定刻の10時30分、静かに出発した。曇り空。その7時間後、日差しのある空の下、定刻どおりアバディーン駅に到着した。
  「ロンドンは曇っていて雨がちだったのに、アバディーンは青空が見えて日も射している。こんなこともあるんだね。」
  これがアバディーン到着後の第一声だった。
  風はさすがに冷たく、慌ててスウェットを着込んで家路を急いだ。


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