15.グレンブチャット城(Glenbuchet Castle)

  ピール・リング・オブ・ランファナンを出た我々は、やや遠回りながら、A980、A944そしてA97を抜けてブレンブチャット城を目指した。そのあたりはすべて山あいを走ることになるので、ちょっと走ると遠くに緑と茶色の丘が見渡せたり、道路を走っていると、突然キジの歓迎を受けることもある。もちろん、羊たちや牛も、沿線でのんびり草をはむという光景もある。

  A944に入るとちょっと下に川が流れているのが見える。橋のたもとにある標識を見れば、何とRiver Don。ドン川である。この川がアバディーンの北海河口につながっているのである。ブリッジ・オブ・ドン地区に住んでいる我々には感慨深いものがある。

  さてグレンブチャット城にはA944からA97に入って、さらに7マイルほど走らなければならないが、ここでも道間違いをして少々時間をロスしてしまった。というのも、A97を走ってくると、右手に「Glenbuchat」の標識が見えてくる。我々が目指すお城の名前なので、当然右折してそちらの方に走る。しかし、車がすれ違うことにできない小道を進んでも、それらしきものはまったく見えてこない。まわりは数えるほどの民家と牧草地。もうこれ以上進んでも目的地にはたどり着けないだろうと引き返し、再びA97を走るとすぐそばにグレンブチャット城入り口の道標があったのである。


正面入り口

  このお城の駐車場に着いたのがお昼頃だったので、まずこの駐車場で昼食。お昼の時間に移動をしているとどうしても駐車場などで昼食を取ることになるが、これは決して我々だけではない。当地の人々も、駐車場に車を停めて食事をしている光景に出くわす(この日もそうだった)。ただし、彼らはサンドウィッチなのに対して、我々はおにぎりであるということが違う。

  昼食後お城の敷地内に入る。この城は入場料など不要ながら、それなりに原型を留めており興味深い城だった。何より、一部壊れていたものの、天井が残っていたことは特筆すべきでことであろう。ここで、こんな暗い部屋の中で生活していたのかということに気付く。もちろん明かり窓はあるし、当時はローソクなども使っていただろうが、すべてが石造りで隙間など無く、夜は本当に暗かっただろうなと思う。
  このお城、わりと完全なままで残っているのは、この城が1590年に建てられたもので、比較的新しいものであるからかもしれない(とはいえ、日本では江戸時代よりも古いのだが)。

    

  お城の主はゴードン氏であったが、このゴードンという名前も当地ではよく聞く。そのわりにその手の知識が全くない我々には「ふーん」てなものである。説明プレートによれば、この城の最後の主はジョン・ゴードンで、彼は卓越したジャコバイト(ジェームズT世のシンパ?)だったらしいが、それも実感が湧かない(恥ずかしくなってしまう)。

  しかし我々の目的は、そんな歴史的な人間関係とともに、その土地で、そこに確かに人間が住み、それが今まで残されていることのすばらしさを体験することにあったので、その意味ではこのお城はその目的を十分に叶えてくれるお城であった。

Aberdeen-(A944-B993-A93)[39.9miles]-Peel Ring of Lumphanan-(A980-A944-A97)[30.1miles]-Glenbuchat Castle-(A97-B9002)[11.7miles]-St Mary's Kirk-(B9002-A97)[12.4miles]-Huntly Castle-(A97-A96-A90)[44.4miles]-Aberdeen[Mileage:138.5miles]


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