大連への道

 日本と大連は非常に近い。しかし制度の違いは厳然としてあって、中国に入国する前、そして入国後、ちょっとした苦労があった。もちろん、中国の事情を十分理解していればそうした苦労は苦労にはならない。すべては、小生の無知から来たものであった。

1.ビザ
 中国に入国するためには、日本でビザを取得しなければならない。観光目的で入国するのであれば、旅行代理店にビザの取得をお願いするだけでいいのかもしれないが、小生の場合、中国で仕事をするわけであって、話は簡単ではない。
 小生の場合、大学間の交流協定に基づいて中国に「出張」するので、詳細な手続きは、大学の国際交流センターにお任せだった。またエアーチケットは大学生協に手配してもらうことにした。大外から招請状(Invitation letter:正確には、中華人民共和国国家外国専家局発行の聘請外国専家確認件)が届き、ビザを取得する時になって、生協から次のような連絡があった。
 「インヴィテーションにあるビザはZビザといって、一年間有効のビザなんですよ。それで、このビザを取る場合、健康診断が必要なんです。この健康診断は所定の様式がありまして、しかも、国公立の病院での受診が必要です。」
 これまで大外に派遣された方々はそのような健康診断は受けなかったといっていたが、『制度が変わったのかな』と思い、菊水にある国立札幌病院で受診することになった。
 この健康診断、健康診断とはいってるものの、とくに詳しく調べたのは、肺や心臓の疾患と、血液。血液は、何も中性脂肪を測定したのではない。それは、HIVや肝炎の検査だった。身に覚えはないものの、HIVの検査を、HIVの検査として正面切って行うことは初めてであり、その結果が、何となく気になったりした(繰り返すが身に覚えはない)。
 結局、この検査結果は一週間後に出て(もちろんすべて異常なし)、所定の用紙に記入してもらって、生協に提出し、ビザの交付を待った。
 1月末、できあがって来たビザは、Zビザではなく、Fビザというものだった。中国の札幌領事館の話では、半年以内の滞在であればZビザではなく、Fビザでよく、健康診断書も不要だということだった。「なーんだ、健康診断しなくても良かったんだ」というと、国際交流センターの職員が「いいじゃないですか、HIVの検査をしてもらったんですから」と、慰めとも冷やかしともつかないフォローを入れてきた。
 Fビザは、180日間有効のビザで、このビザでの中国での滞在期間は180日間、渡航回数は1回だけである。もし、中国から日本に一時帰国する場合には、中国の公安に行って再入国許可を取ることが必要であるということだった。

2.札幌−仙台−大連
 小生が大連に入るためにとったルートは仙台から大連への直行便を利用するルートだった。このルートの場合、同日中に大連に到着することができる。
 10:00amに自宅を出て、新千歳空港11:45am発の仙台空港行きに搭乗。
 国内線の搭乗の際、手荷物検査に引っかかってしまった。
 「パソコンが入ってますね?」
 「ええ。」
 「ちょっと開けてくれませんか?」
 『やばいなあ。国内線でこれだったら国際線ではもっとチェックが厳しくなるんだろうな。』
と思いながらも、バックを開ける。
 「パソコンと傘が黒く映って、見えなくなるんですよ。ご協力ありがとうございました。」
 ほぼ定刻通りに1:00pm前に仙台空港到着。そのまま国際線チェックインカウンターに向かう。手続きは1:30pmからであるという。ちょっと待って手続き。
 「喫煙席にしますか、禁煙席にしますか?」
 「えっ、タバコ、吸えるんですか?」
 「ええ、吸えますよ。」
 ということで、喫煙席を希望。
 その後、出国審査のためのゲートは2:00pmに開くということで、またまた待ち時間。
 2:00pmに手荷物検査。まったく問題なし。
 出国審査を終え、搭乗待合室へ。

 仙台から大連には、中国国際航空(Air China)が就航している。機内は比較的空いていた。3:30pm定刻に離陸。
 途中、上空はほぼ快晴で安定した飛行。水平飛行に入った時に機内食。
 『やっぱ、KLMの方が美味しいわな。』
 食事の後、入国カードと健康申告書をもらって記入。
 予定到着時間は日本時間6:30pm。しかし、6:00pmちょっと前から機体が結構揺れはじめる。高度は下げているようだったが、到着時間になっても着陸する様子もない。何より、外がまったく見えない。厚い雲だ。6:40pm頃、雲の下に突然建物が見え始めたと思ったら大連周水子空港着陸。後でわかったことだが、当日は霧が出ていたのであった。
 入国審査。入国カードとパスポートを提示。何も聞かれず(中国語で聞かれても答えられないわけだが)、検疫へ。健康申告書を提出するところに係官がいない。近くにいた係官に健康申告書を見せて、検疫を指さすと、そこに係官がいないことを理解してくれて、そのまま出ていいというような仕草をする。小生、手荷物だけだったので、大きな荷物を受け取るために待つ必要はない。
 外に出る前に人民元にいくらか両替しておこうと思って両替所に行くと、そこにも係員はいない。ちょっと待ってみたが現れる気配がなかったのでそのままゲートを出た。
 あらかじめ受け取っていたファックスでは、大外の誰かが迎えに来ているということだった。姿を現したのは日本語学院長その人だった。

3.2月26日の入国
 学院長が運転する自動車で大外に向かう。
 空港を出ると、あちこちで爆竹や花火の音と光。半端ではない。
 『小生の大連入りを大連市民がこぞって歓迎してくれていたのであった』という冗談はさておき、2月26日は、中国では「正月十五日」で、この日は家族揃って料理を食べ、新年の締めくくりをお祝いして爆竹や花火をうち鳴らすということだった。折からの霧と相まって、市内は視界が悪くなっていた。
 「こんな日だから、申し訳ありませんが、私一人だけでお迎えに来ました。」
 学院長は、丁寧に詫びてきた。
 教訓:中国に来るときにはできるだけ2月26日(正月期間)は避けよう
 時期的にこの日しか大連入りできなかったとはいえ、やっぱりこちらも恐縮してしまった。中国の正月の風習を知っていたならば、2月26日は避けていたかもしれない。このことは、その後の手続きに少しずつ影響を及ぼすことになったのである。
 なお、その後入手した情報では、大連は港町なので、1月、2月はとくに霧が発生しやすいという。霧が出て大連に着陸できなかった時はどうするか。日本の飛行機(JAL、ANA)ならば出発地に引き返すという。中国の飛行機ならば、北京まで行くという。日本まで引き返すならまだいい。北京まで行ったら・・・その先は知らない。

4.手続き
 大外の賓館に入って、フロントで宿泊手続き。といってもパスポートを提示し、鍵を受け取っただけ。本来ならば、ここで鍵の保証料100元を預けなければならないということだったが、あいにく両替ができなかったので手持ちがないというと(もちろん、日本語で学院長に、だ)、その旨係員に伝えてくれた(その後今でも預けていない)。
 学院長の話では、正月休みなので、まだ先生たちも戻ってきていないので、副院長から連絡があるまでゆっくりしていて下さいといわれた。
 副院長から電話連絡があったのは2日後の2月28日。
 翌日、副院長室に行って、講義について打ち合わせ(この日のことについては、別稿参照)。打ち合わせが終わると、外事処(国際交流センター)に行って、外国人登録について手続きをして下さいといわれ、その足で外事処へ。
 外事処は賓館南楼の右手の奥にある。中にはいると、女性2人と男性1人。まず日本語で話をすると男性が流ちょうな日本語で話しかけてきた。すると今度は、年かさの女性が英語で話しかけてきたので英語で挨拶(といってもたいした挨拶をしたわけではないが)。パスポートを見せながら、外国人登録をしなければなりませんねというと、3人で何か話をしたあと、
 「このビザなら外国人登録はいりません。Fビザは登録はいらないのです。ラッキーですね。」
と男性がいってきた。気になったのはその後の一言。
 「先生のことは、賓館で手続きをしたときに、公安に伝わってます。コンピュータでつながってますからね。」
 『・・・・・・・・・・。』
 というわけで、外国人登録に関する手続きはなし。ほんとにいいんだろうかこれで・・・。(注)
 『まさか、不法滞在で罰金なんてことにはならないんだろうねぇ。』
 ちなみに、外事処の年かさの女性(といっても小生と同じぐらいかな)は、柴田理恵の造作を良くして小柄にした感じ、若い女性(彼女も英語は流ちょう)は、一見、ウィンク(なつかしー)の相田翔子に似ている。男性は、ま、演歌歌手でしょ。3人とも、とても親切だった。
:その後、知り合った日本人専家と話をしたり確認を取ってもらったりした。その結果、Zビザで入国した場合には、入国後24時間以内に公安に届け出る必要があり、入国30日以内に、公安出入境管理処で居留証を取る必要があるとのことだった。しかし、小生のようなFビザの場合、やはり賓館のパソコンが公安につながっていて、チェックインの際に小生の情報が公安に伝えられ、しかも、どうした理由か不明ながら、手続き的には居留証も不要とのことが判明した。

5.荷物の発送
 大連に何を持ってくるか。これは大きな問題だった。当初、講義資料以外何も持たずに来ようと考えていた。物価も日本よりはるかに安いわけだし、衣類などはすべて当地で調達し、大連にはダイエーもマイカルも、カルフールもあって、日本食なら何でも手に入るということは知っていたので、手荷物一つで大連に来ようと考えたわけである。
 しかし、何人かの経験者に聞けば、講義のためにも、自分の勉強のためにも本はたくさん持参した方がいい、中国の紙質はあまり良くないから、講義資料として配付するものは日本で印刷していった方がいい、レトルト食品などは、大連では恐ろしく高いので持てるなら持っていった方がいい、などとアドバイスを受けた。そこで、本と講義資料を箱詰めして送ることにした。またどうせ送るということであれば衣類も大連で捨ててもいいと思われるものを送って着古して処分してこようと、これまた送ることにした。箱数は2個であった。この箱数が後日ちょっと問題を引き起こすことになる。
 経験者の何人かは、その荷物を日通を通して大連に送ったということなので、まず日通に電話した。こちらが送り先を告げると、中国ならば、できるだけ手に持って自分と同じ便で入国した方がいいですよといわれた。通関手続きがなかなか面倒らしかった。そのアドバイスを受け入れて一度は自分で持っていこうと考えたが、箱2つの荷物とはいえ、到底自分で持ち運べる重量ではなくなっていた(43sだった)。
 次に、佐川急便の国際飛脚便を利用しようと考えた。資料も入手したが、佐川は、大連ではDHLに業務委託しており、もしトラブルが発生したときには中国語での対応が必要であること、また通関手続きを円滑に進めるためには1箱あたり評価額45米ドル以下の荷物が望ましいとのことだった。どう考えても書籍は45米ドル以下であるハズがなかったし、過去に佐川急便を利用した大連経験者はいないようだったので、ちょっと腰が引けてしまった。
 さらに、国際郵便EMSを利用して荷物を送ることも検討したが、あまりに高かったのでこれはすぐに対象外になった。
 結局、当初の予定どおり日通に荷物を委託することにした。時間的に出国が迫っていたこと、すぐに土日が入ることなどの条件が重なったので、千歳まで持参して手続き。担当者は、大連での通関手続きに関して、日通はお手伝いできない、自分で手続きすることをお忘れなくといってきた。そのときは、日本語学院の誰かが手伝ってくれるだろうと思っていたので、それに同意。荷物は小生より一足早く、24日に大連周水子空港に到着するとのことだった。

 かつて荷物を送った方々は、荷物の受け取りに相当苦労されたようだった。日通を利用して荷物を発送すると、大連空港の税関から荷物を引き取るようにというカードが送付される。そのカードは大外に届くのであるが、だいたいが留学生の荷物だと思って、漢学院の受付に回される。そうした経験を聞いた小生は、宛先を賓館(専家楼)と指定して荷物を発送したのであった。
 2月24日には荷物は到着しているはずだったので、26日に賓館到着後、カードが届いていないかフロントで尋ねると、届いていないという。そのときは、『やっぱり正月期間なので税関の処理も遅れているんだろうな』と思ったものである。
 しかし、2日経っても届かない。『もしかして漢学院に行ったかな』と思って、漢学院の寮の入り口に行き、あちこち調べてまわった。漢学院の寮は、入って左側に寮生あての郵便物が並べられている。その郵便物を探す。ない。そこで、せっかく漢学院の寮に来たのだから北星からの留学生に会おうと思い、階段を上ってしばし雑談。帰りしな、階段を下りた所にあるホワイトボードを見て驚いてしまった。
 「太原○○ 至急」(決して大ではない、太だ)
 それを見た小生は、慌てて外事処に行って事情を話す。不幸にも日本語を話せる演歌歌手は不在だったので英語での会話。すると、相田翔子嬢が漢学院の受付まで同行してくれた。そこには、カードがあったのである。サインをして(正しく書いたのに、受付の女性はわざわざ「太」に書き換えた、ハハハ・・・)、カードを受け取った。見れば、専家楼の文字はしっかり省略されていた。つまり、住所と名前だけで専家楼は記されていなかったのである。
 教訓:荷物を送った場合は、到着後すぐに、漢学院の受付脇のボードを確認すること
 そのカードを受け取って、相田翔子嬢に尋ねると、「日本語学院の誰かに手続きしてもらって下さい」という。
 『おいおい、聞いていた話と違うぞ。過去にはみんな、外事処で手伝ってくれたといっていたが。』
 それでも、到着して3日目でカードを入手できたので、『今日中に荷物は引き取れそうだな』とほくそ笑んだ。

6.荷物の受け取り
 カードを見つけたのが3月1日。すべての手続きが終わって、荷物が「小生のもの」になったのは、3月5日であった。5日間もかかったが、2日、3日は土日だったので、実質は3日間だった。しかし、この5日間は本当に苦しい思いをした。
 結論からいえば、関税手続きは決してラクではない、ということである。そして、誰が荷物の引取を手伝ってくれるか、これにも大きくかかわる。小生をサポートしてくれたのは、4年生の学生、R君だった。R君に関税手続きなどわかるはずがない。R君にとっては厄介な仕事を押しつけられたも同然である。しかし彼は複雑な手続きに必死に耐えて、最後までやり遂げてくれた。

 3月1日、R君と二人で、空港まで行く。関税の手続きをするところは、空港から10分ほど歩いたところにあった。まず事務手続きをする場所に行くと、パスポートのコピーをとってこいという。1元払ってコピー。すると書類に荷物番号と署名を書かされ、荷物についてきた書類(日通で作成したものだ)にカードを付けて返され、引取所に行けという。ここからが大変だった。まず引取所は事務手続きをする建物とは結構離れている。何度か係りに聞いてやっと到着。そこは深業大廈という建物だった。今度は持参した書類をカウンターに提出すると、ごった返しているカウンターの奥から「おえらいさん」とおぼしき男が出てきて、R君に何か話している。おえらいさん直々に先導してもらってビル内を歩く。後で聞いた話では、たとえ自分の荷物でも引取に手数料(リベートという言葉が聞こえた)が必要とのことだった。300〜400元かかるという。R君は小生に、このことを知っているかと尋ねてきたので「知っている」と答えた(荷物の引取に手数料がかかることは経験者から聞いていた)。おえらいさんは何人かに声をかけて歩いたが、どうも交渉は不調。これもあとで聞いたことだが、荷物を引き取るために、代理人が必要で(そこでリベートが必要なわけだ)、小生の荷物はあまりに少なく、リベートが稼げないため、代理人は断っているようだった(なんだが変な話)。それでもある有限公司の部屋で、おえらいさんが交渉し、なんとか引き受けてくれるようなことになった。それにしてもこの交渉、聞いているだけで恐ろしくなる。お互いが口角泡を飛ばしながらの交渉だった(だからといってケンカ腰だったわけではない)。しかし時間は3:00pmをまわっていて、今日中は無理、月曜に、大外の証明書を持ってもう一度来てくれといわれた。
 これまたあとで知ったことだが、この小生の荷物を引き受けた部屋の隣に、隠れるようにして日通大連支店が入居する部屋があった。このことを先に知っていれば、小生も交渉に加われたかもしれなかった。

 3月4日月曜日、朝10:30amにR君から電話があって早速空港近くの代理店へ。R君は、外大の印が付いた証明書(小生が確かに大外の教員として滞在している者であるという証明書だ)を持ってきた(副学院長から書いてもらったという)。代理店では、海関(税関)ビルに行ってもう一通証明書をもらってくるように指示された。R君も何の証明書か、いまいちわからないらしい。とりあえずその足で海関ビルに向かう。11:30am到着(恐ろしく巨大なビルである)。しかし、職員が1:00pmまで昼休みに入っているといわれ、二人で昼食をしながら時間をつぶす。
 1:00pmに海関ビルに行って事情を説明すると、女性の係官が居留証がなければダメだというようなことをいったらしい。大外の外事処で半年の滞在なので申請しなくてもいいといわれたというようなことを伝えてもらうと、正式ではないが大外の印を押してある証明書に一筆書いてくれた。R君不安げな顔(小生はもっと不安だ)。しかしそれを持って代理店へ。代理人は我々を連れて空港の海関窓口に行き、書類にはんこをもらい、いったん代理店へ戻る。代理店では手数料260元を支払った(これがリベート)。そして3月1日に最初に訪れた事務所に行くと、保管料等42元を請求される。そこで保管料等を支払って、その建物の隣にある引取所に行くと、すぐに荷物は出てきた。この時は、二人で抱き合って喜んだものだ。そこの荷役が外に運び出したので、これですべては終わったと思い、そのままタクシーで荷物を運んだ。2:30pm賓館到着。小生もR君も、この日は3:00pmから授業があったので、危機一髪間に合ったわけである。
 ところが、授業を終えて部屋に戻ると、R君から電話があった。
 「検査を受けないで持ってきてしまった・・・。」
 サポートしてくれたR君によれば、我々が荷物を引き取った後、税関の検査を受けないで帰ってしまったので、代理店からR君の携帯電話に連絡が入ったという。これは中国では犯罪行為に当たるという(日本でも犯罪だろうな、きっと)。しかし、我々が荷物を受け取った場所では、倉庫の中に荷物が保管され、係官2名が立ち会って荷物を運び出したのである。我々は、当然検査は終わったと考えたのであった。
 R君は、明日荷物を持ってもう一度空港に行くという。朝7:30amに迎えに来るという。不安な一夜を過ごしたのはいうまでもない。

 3月5日、検査はあっという間だった。
 7:30amにはR君が迎えに来て、二人で荷物を持って、まず代理店が入っている深業大廈へ。R君は代理店の男性を連れ出して来て同行してもらった。どこに行くのかと思ったら、ナント、昨日申請書を出してはんこをもらった空港ターミナルの海関だった。そこで、20分程度待っただろうか、窓口が開き、中の係りの女性と代理人が何か話している。すると、係官ははさみを差し出した。中身を見せろという。二つのボックスを開封。衣類のボックスには興味を示さず、本の方だけを見ていた。「なぜこんなに経済の本があるのか」と質問してきたので、「私の専門なので」と答える。何も問題は起こらなかった。8:30amには空港を後にする。賓館到着は9:00am過ぎ。帰路、代理人に「本当のもうこれで終わりか、確認して」とR君に伝えると、代理人が降車するとき聞いてくれた。
 「これで終わり。」
 このときばかりは急に力が抜けていくのがわかった。
 R君は「検査は表面のこと」という。つまり形式だという。しかし我々が、検査を受けないで荷物を持ち出したことには変わりはない。よく無事に終わったものだと思わずにはいられない。

7.いくつかの教訓
 荷物の引取に関していくつか記しておきたいことがある。
 教訓:カードを受け取っても、誰が同行するかによってその後の展開は異なるので注意すること
 『もし外事処の職員が同行したのなら』と思わないでもない。しかし、誰が同行するかは時と場合によるだろう。小生の場合、相田翔子嬢に、日本語学院に行ってくださいといわれたので、その指示に従ったのであった。荷物を引き取ることがそんなに大変であることがわかっていたら、外事処にお願いしていたかもしれない。
 教訓:誰が同行しようとも、深業大廈で代理人を探すことになるので、まっすぐ日通大連支店に行くこと
 そこで断られるかもしれないが(日本で日通の社員から「現地ではお手伝いできませんよ」といわれたことを思い出す)、少なくとも日本語ができる社員がいるので、交渉に参加することができる。
 教訓:土日は極力避けること
 小生の場合、火曜日夜に大連に入った。翌日漢学院に行っていれば、カードは届いていたハズだ。正月休みということを考えても、木曜日午前中には入手可能だった。そしてもし木曜日午前中にカードを手にしていれば、遅くとも金曜日中には荷物を引き取ることができたハズである。それが、カードの受け取りが金曜日の午後だったため、土日をはさむことになってしまった。到着曜日に左右されることではあるが、早く荷物を引き取るのならば、土日ははさまない方がいい。
 そして最後に一言。小生のように2個ぐらいの荷物なら、迷わずに日本で運送料が高額になっても、郵便局からEMSで送るべきである。EMSで送っても通関手続きは必要だが、これは、大連駅前の国際郵便局で行うことになる。空港よりははるかに近い(空港までは片道26元程度。国際郵便局までは不明だが半額以下だろう)。郵便局でも保管料などを徴収されるようだが、少なくとも威圧感はないだろうし、現に、漢学院に来ている日本人留学生は、EMSあるいは船便で荷物を送っているのが普通のようである。そしてもし2個以上の荷物を日通で送るのなら、10個ぐらい(あるいはそれ以上)送るべきである。荷物が多ければ多いほど代理店は手数料収入が増えるから、引き受け手はあまただろうし、小生のような苦労はしないで済む。
 小生の場合、大連に入ってから一週間で荷物を引き取れたので、早い方なのかもしれない。しかし、大外の4年生にタフな交渉をさせたのは忍びない。土日を挟んだのでなおさらである。
 最初にカードを手にしてから荷物を受け取るまでの5日間は、非常に長く感じられた。幸いなことは、小生がまったく中国語を理解できなかったことぐらいだ(情けない・・・)。

 もちろん、荷物を受け取った現在、きわめて快適に過ごしていることはいうまでもない。[20/Mar/2002]

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