いよいよ始まりました、講義第一週目

 大連外国語学院日本語学院は、日本流にいえば、大連外国語大学日本語学部に相当するという。中国では総合大学を大学、単科大学を学院と称するらしい。かつては、日本以外で日本語を学ぶ学生が一番多かったのがこの日本語学院であったという(それはまた中国でナンバーワンだったことを意味する)。また、1964年に創設されたときには、日本語学院しかなかったという(学生談)。そんな伝統のある大学で始まった授業。恍惚と不安と、この二つ我にあり。

1.悲劇はここから始まった
 2月26日に大連に来て一週間後の3月4日、当地での講義が始まった。
 あらかじめ連絡を受けていた情報は、次のとおりであった。
 1.担当科目は2年生の「日本事情」週3回、3年生の「日本文化」週3回、1回90分
 2.「日本事情」はテキストあり、「日本文化」はテキストなし
 3.各学年とも1クラスは30名程度で11クラス
 この情報を得た小生は、日本で、テキストがない「日本文化」用の資料を作成した。資料の印刷は大連でもできるといわれていたが、「1クラス30名程度」で、2年生、3年生とも週各3回ということは、どちらも100名ぐらいの学生を担当することになり、その程度ならば、日本で人数分を薄い紙を使って印刷して郵送することにした(中国の紙質は日本よりは劣ると聞いていたので)。
 また、予習しておこうと、「日本事情」のテキストをあらかじめ一冊送ってくれるようにお願いしたが、大連からは「こちらに来てからでも十分です」との返事だった。

2.な、なんですって!
 2月28日に日本語学院の副院長から電話で連絡があり翌日講義の打ち合わせをすることになった。
 3月1日、予定の時間に副院長室。
 まず手渡されたのが教務処(教務課)で作成した2001-2002年度の学年暦。当地では9月が新学期なので、小生が担当するのは第2学期ということになる。学年暦によれば、第2学期は3月4日に始まり、7月20日に終わる。
 まず驚いたのが授業数。20週、つまり20回の授業である。そのうち、7月13日から19日までは考試、つまり定期試験なので19週。休みは運動会が4月26日の午後、27日(この日は土曜でもともと講義はない)、五・一、つまりゴールデン・ウィークが4月28日から5月5日まで。これしかない。実質18週の授業ということになる。小生、漠然と15回程度の授業だろうと考え、15回分の資料しか準備していなかったので、3回分新たに何か考えなければならないことになった(まだ何も考えてはいない・・・)。
 次に教学時間表を見る。これは授業の開始終了時間を記載したもの。次のようになっている。なお、節は、かつて使われていた時間単位で、1節45分だったという。それが現在では90分授業に変更された。

序号 時間
第1/2節 8:00−9:30
第3/4節 9:45−11:15
第5/6節 11:30−13:00
第7/8節 13:15−14:45
第9/10節 15:00−16:30
第11/12節 17:15−18:45

 中国の朝は早い。
 朝8時から授業が始まるのである。北星も8時50分からと、1時間目が早いと思っていたが、そんなのは早いうちには入らない。
 『8時からの講義がある日はちょっと大変だな。』
 「お昼はないんですか」と小生。
 「時間割には第5/6節がありますが、その時間は、授業はありません。」と副院長。
 ということは、北星も一日5コマだから、大外(大連外国語学院の略称)も、基本的には同じということだ。

 さて、今度は時間割。小生は6コマ担当するのだから、6回名前が出てくるハズである。
 時間割は、学年ごとに作られている。しかし枚数が多い。5枚ある。
 一枚ずつ名前を探す。
 「先生の名前は専家と記載されています。」
 専家、これは専門家という意味らしい。
 一枚目は「99級」。1999年入学生で、3年生だ。そこには星期四(木曜日)の7-8(13:15−14:45)に「日本文化 専家 4-301」の字(数字は教室)。以下一枚一枚確認した。2年生の担当科目名は「日本事情」ではなく「日本概況」に変わっていた(ま、どちらでも同じだ、小生の能力では)。結局、この学期に小生が担当する時間割は次のようであった。

日本概況 15:00−16:30
日本文化 15:00−16:30
日本概況 9:45−11:15
日本文化 13:15−14:45
日本文化 15:00−16:30
日本概況 15:00−16:30

 確かに6回。各3回ずつ。幸いなのが朝一番の授業がなかったこと。不幸なのは、毎日授業をしなければならなかったことであった。土日は別にして、水曜日ぐらいに小休止があれば、教材の準備もできようというもの。ま、これは仕方がない。

 しかし、この後、小生を驚愕させる事実が判明した。
 時間割は、一枚ごと、4つのクラス分が並記されている。3年生は12クラス、2年生は11クラスだ。各クラスごと少しずつ異なる科目が配当されている。それはいい。ところが、小生の担当科目は、いずれも、4クラス共通の欄に記載してあった。
 「先生、これは合同講義という意味ですか?」と小生。
 「そうです。1クラスが30〜40名、それが4クラスですから、多いところは160名ぐらいになります。多いですよね。」と副院長。
 絶句・・・・・。
 各学年11クラスのうち、3クラスを担当する、したがって各学年の受け持ち学生数は100名程度、という解釈は、小生のまったくの誤解だったわけである。
 いわれてみれば、副院長が伝えてきたことはほぼ正しい。2年生3回、3年生3回の講義、クラスは30名程度・・・。クラスは30名程度に分けられているが、1回で30名程度を担当するとは伝えてきていない。時間割をもう一度みれば、2000級(2年生)の1回だけが3クラス合同で、あとは4クラス合同。ということは、毎回150名程度を相手にすることになる。
 『まずいなぁ。』
 「先生、実は、『日本文化』の資料は100枚しか持ってきていません。追加印刷していただけるでしょうか?」
 「ええ、いいですよ。全部まとめて印刷しておきましょう。来週末までに印刷しておきます。」
 「でも来週から使いたいんですが・・・。」
 「来週は第1回目ですから、自己紹介と教科の解説をして下さい。ゆっくりしゃべらなければわかりません。」
 というわけで、驚愕の事実を知った3日後、最初の授業に臨んだわけである。

3.クラス編成
 時間割を見れば、各クラスは、専攻ごとに分けられている。コース制のような感じ。しかし、各クラスの学生が受講する科目に大差ないように見える。
 2000級(2年生)と99級(3年生)のクラスを列挙すると次のようになる(参考までに1年生と4年生のクラス編成も掲げておく)。

1年生 言語 9クラス 2年生 言語 2クラス 3年生 言語 2クラス 4年生 言語 3クラス
管理 1クラス 国際貿易 2クラス 言語・国際貿易 1クラス 科学技術 2クラス
法学 1クラス 導遊 2クラス 国際貿易 2クラス 国際貿易 2クラス
言語・計算機 1クラス 科学技術 5クラス 導遊 1クラス
計算機 3クラス 大連理工大学 1クラス
法学 1クラス 導遊 1クラス
11クラス 11クラス 12クラス 8クラス

 ここで、「導遊」は、日本語でいえばガイド養成クラスということになるらしい。「計算機」はいうまでもなくコンピュータである。
 面白かったのは、3年生の大連理工大学のクラスだ。時間割には「大工」と省略されて示されていた。あらかじめ中日辞典で調べてみたのだが、「大工」という単語はなかった。
 『まさか日本の大工じゃあるまいし』と思ったが、もちろん大工ではなかった。これは、日本語学院に在籍しながら、1年間理工大学に通って、日本語以外の科目も修了するという学生のクラスだった。この場合、大学を卒業するまで5年かかるという。このクラス在籍しているのは98級、つまり4年生だった。これと同じことは、2年生の言語のクラスにもある。あるクラスには、大連外国語学院韓国語学院の学生がいる。この学生は現在5年生でこの7月に卒業する。韓国語学院で韓国語を、さらに日本語学院で日本語を2年学んで、韓国語と日本語を修めるわけだ。日本では、このような制度はない(と思う)。3年の理工大クラスの学生は、大外に在籍していながら、1年間、理工大の学生として、理工大の学生証の交付を受けて理工大に通うという(したがって1年間理工大の寮に住む)。理工大では経営管理を学んだという。英国には会計学部に、「会計学と財政学」というようなコースがあったので、英国流の考え方を採用しているのかもしれない(余談ながら、当地の英語はまさに英語で米語は少ない。CenterではなくCentreであり、LaborではなくLabourと綴っていることが多い)。
 さて、教務処の張さんにもらったクラス名簿の人数を、授業時間ごとに当てはめると次のようになった。

2年生 1 言語 25名 2 言語 46名 3 国貿 46名 4 国貿 47名 164名 水:日本概況
5 導遊 46名 6 導遊 47名 7 言語・計算機 45名 8 計算機 44名 182名 月:日本概況
9 計算機 43名 10 計算機 40名 11 法学 40名 123名 金:日本概況
469名
3年生 1 言語 36名 2 言語 36名 3 言語・国貿 33名 4 国貿 36名 141名 木:日本文化
5 国貿 36名 6 科技 36名 7 科技 35名 8 科技 36名 143名 木:日本文化
9 科技 34名 10 科技 35名 11 大工 44名 12 導遊 44名 157名 火:日本文化
441名

 2年生は469名、3年生は441名、合計910名の学生を相手にするわけである。これは、日本語学院の在籍者の半数を超える人数である。
 今さら荷物をまとめて帰国する訳にはいかない。しかしどのように講義を展開するか、改めて計画を練り直す必要に迫られた。とはいえ時間がないことも事実である。
 『ライブ感覚で、その都度一発勝負で行くか。』
 表現は悪いが、そう思うしか為すすべはなかった。

4.Live in Dalian!
 星期一(月曜日)、午後2時50分。緊張の中、教室に入る。日本のように、時間に遅れて教室に入り、時間よりも早く授業を終わる、などということは、当地中国では厳に慎まなければならないことである(自己弁護−小生、北星でも結構時間どおりに授業を開始し終了している)。しかし10分早く教室に入るなどということはない。しかも、初日は、伝統的に(?)早く終わるという習慣だ。それが、10分早く教室に入り、それから90分しゃべり続けるのである。
 『タフな仕事になりそうだ・・・。』
 あらかじめ、ピンマイクを借りていた。しかし、このマイク、まったく不調。使えない。仕方なく地声で話すことにした。
 「皆さん、こんにちはっーーーー!」
 「せんせい、こんにちは」と学生。
 『おっ、調子いいぞ。』
 調子に乗った小生「ニイハオ・マー!」と中国語であいさつ。
 すると、ドッと笑い。次に「ニイハオ」の声。
 『いいねぇ。』
 というわけで、自己紹介などを始めた。
 「ところで、後ろの方、聞こえますか?」
 「いいえ、聞こえませーん!」
 ドヒャー!!
 この教室、緩やかな階段教室になっている。しかし、真ん中から後ろの方に行くと、なぜか前の声が聞こえにくくなる。
 そこで、机間巡視(という言葉があったような)。机は8人がけが中央から二つに分かれ、各12列。192名定員。で、ほぼ満席。話しながらうろうろ。そしてまたうろうろしながら話す。そんなこんなで授業が進む。
 どのクラスでも受けたのは、日本から持参したチョークと黒板消しを使ったとき。歓声が上がったクラスもあった。当地のチョークは、細く折れやすい。まさにこれが白墨といった感じ。黒板消しに至っては、粉をたっぷり吸い込んだ状態で、粉とりクリーナーもない。あまりに受けたので、中日チョーク比べ。一本ずつ持って教室をまわったりする。学生はしげしげとその違いを見ていた。
 また、2年生には、最初の時間に、自己紹介を書いてもらおうとレポート用紙(日本から持参)を準備していたが、出席者が予想をはるかに超えていたため、30名程度には渡すことができなかった。

 何とか最初の時間が終わったときには、精も根も尽き果てて賓館に戻った。

5.初期評価
 一週間の授業を終えて、総括するには早すぎるが、印象と学生から聞いた話を紹介すると次のようになる。
 まず、基本的に、日本語に対する学習意欲は高い。どの学生も「日本語は必要です」という。日本から来たものとして、こんなに支持されていると思うと、素直にうれしい。中には、中学から日本語を勉強している学生もいて、そういった学生は、2年生でも小生の話をほぼ理解し、話し言葉もほとんどOKである。聞けば、2年生の1クラス(唯一の3クラス合同のクラス)だけが大学に入ってから日本語を勉強したクラスで、まだ1年半しか日本語を勉強していないという。確かにそのクラスは、かなりゆっくり話をしたが、それ以外のクラスは日本で講義をしているのと同じ速さでもいいという学生が多いほどだ。3年生にいたっては、小生のくだらないシャレにも、ちゃんと反応して笑ってくれる(日本では、嘲笑がいいところだ)。
 また、キャンパス内で会うと、「先生、こんにちは」と気軽に声をかけてくる。会って時間があると、あれこれ話しかけてくる。彼らにとってはこれも日本語の勉強の一つだ。
 しかも2年生でも、将来何をしたいか、しっかりとしたヴィジョンを持っている。これは学習意欲を高める上でインセンティブになる。
 しかし、問題もある。あまりに急速に学生数が増えたため(3年生が一番人数が多いらしい)、日本語能力あるいは日本語の勉強の程度に差が生じているように思える。現に、小生の話が早くてわからなかったのか、寝ている学生も、ほんのわずかだがいた。150名も教室にいたら、そういう学生がいても不思議ではない(もっとも寝かせてしまう小生にも責任はある)。ある学生は「授業をサボる」と言い方をしていた(誰が教えた、サボるという言い方を!)。基本的に出席はとらず、自分が休む時に、届けをするようになっているという。これは、前提として全員皆出席が当たり前で、休むのは稀であることから有効な仕組みである。しかし、「サボる」学生もいるという。これでは、日本の大学と変わりないと思えてくる。
 とはいえ、やはり一様にまじめで、熱心であることには変わりがない。
 これから、本格的に、授業を展開してみて、もう一度評価が必要になるだろう。[11/3/2002]

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