リース・ホールと庭園(Leith Hall & Garden)

  カッスル・トレイルの中で、最後に訪問したのがこのリース・ホールである。

  5月もまもなく中旬を迎えるという日曜日。前日の天気予報では晴れて最高気温が15度にも上がるという予報だったので、リース・ホールの庭園やグラウンドを散策するには最高だなと思っていたが、朝起きてみると雲が広がって太陽は見えない。しかも肌寒さまで感じる。『また予報がはずれたな』と思うと同時に、『こんな日は決まってお昼頃から晴れてくるもんだ』という経験則も頭に浮かんできた。

  朝11時に自宅を出た。リース・ホールもNTSの管轄なので、開館は1時30分。アバディーンからリース・ホールまで1時間ぐらいの時間をみて予定到着時間は12時。ここで昼食と庭園・グラウンドの散策をして1時30分から館内を見学するという計画を立てた。
  自宅からはA90を走り、市内でA96に乗り換える。あとはそのままA96をインヴァーネス方面へひた走る。最近は、A90やA944あるいはA93ばかり走っていたので、A96を走るのは久しぶりだ。今までとは違って、芝が青さが増し、他の道路と同じように菜の花がきれいに咲いているのが見える。やがてインバルアリーを通過。日曜日の午前中ということもあって車はほとんど走っていない。
  インバルアリーを過ぎてちょっと走ると、やがてB9002と分岐する地点に至る。そこには、B9002方面に、リース・ホールまで10マイルの道標があった。思い出せば、この道は、古代史公園(Archaeolink)に行ったときに通った道だ。そのA96に別れを告げ、その道を走る。B道路だけあって道幅は狭い。5マイルも走るとインス(Insch)の町を通過。ここからダニディーアがよく見える。さらにB9002を走ると、ちょっとした集落に入り、その集落を過ぎたところにリース・ホールに入る道標が見えた。アバディーン方向から見れば、B9002の右手にリース・ホールの入り口があった。

  ここのエントランスも、建物に到着するまでしばらく走る。ゆっくりと走り駐車場に到着。自宅からは35.7マイル、予定通り約1時間の道程だった。
  駐車場に入る前に、入場料を支払うボックスがあったが、係員は不在だった。『開館時間の前なのでいないのだろう』と考えて、駐車場に車を停め、早速昼食。リース・ホール前のグラウンドに設置されたベンチでサンドウィッチを食べる。食べていると、名前のわからない野鳥が近づいてきた。試しにパンの切れ端を木の上に置くと取って行った。子供達はそれが面白いらしく、今度は芝の上に置く。するとやや警戒はするものの、やはりそれをくわえて飛んでいく。日本では考えられないことだが、野鳥が人間のすぐ近く(2メートル以内)にやってくるのである。

  昼食後、まずは散歩道の一つを散策。小川が流れる、なだらかな丘陵を歩く。しばらく行くと墓地が見えてきた。何の気なしに行ってみると、そこはリース家の墓だった。
  その後、グラウンドで遊んだり、庭園を散策。

  ここの庭園も広い。自然の傾斜を利用して、さまざまな草花や木々が植えられている。今の見頃はチューリップ。ただやはり時期的にちょっと早いのだろうか、そんなに花を咲かせているものはなく、バラなどはつぼみも見えなかった。面白いのは、この庭園にはピクト人のシンボル・ストーンを展示してある小屋があることだった。その数は20を超える。ピクト人が描いたと思われる模様や動物を描いた石もあった。この家の誰かが収集したものらしかった。

  庭園を見終えたのは2時頃だった。その時間でも駐車場のチケット・ボックスには係員の姿が見えなかったので、とりあえずリース・ホールの入り口に行ってみることにした。すると入り口が開いていて、中から係りの女性が「Welcome」。まだ訪れる客が少ないからなのか、館内で入場料を支払うシステムだった。ここで会員証を提示。すると、「ガイド・ツアーをします」という。ここも、クレイギーヴァー城と同じように、ガイド・ツアーでお城を見学する形で、所要時間は30分程度(と入り口の看板に書いてあった)。係りの女性は「どちらから来たのですか」と聞いてきた。「日本です」というと、「英語が分かりますか」と尋ねてきた。「ほんの少し」というと、「ではご案内します」といって別の中年の女性が先導してガイド・ツアーが始まった。小生、てっきり日本語で書かれたリーフレットを貸してくれるのかと思ったがそうではなかった。

         

  このリース・ホールはお城ではない。高貴な方の館である。これまで訪れたお城やハウスと比べてもこじんまりとした館だった。壁には相変わらず、沢山の肖像画がかけられていたが、調度品はおびただしいというほどでもなく、色調もしっとりとして、ちょっとしたホテル並みの施設設備だった。

  この館の主は、リース・ヘイ(Leith-Hay)家。もともとはリースという姓だったのが、リース・ヘイという二重姓を使ったのは19世紀を生きたアレクサンダー・セバスチャン・リース・ヘイ(Alexander Sebastian Leith-Hay)。
  リース家がこの土地を取得したのは1650年。17世紀からの歴史だ。

  一つ一つの部屋に案内され、その部屋が何のための部屋か簡単に案内してくれた。ここであることに気付いた。それは、「英語がほんの少ししかわからない」といったため、その説明もほんの少しだけだったことである。この絵がどうの、とか、そもそもその館の歴史はどうの、といった込み入った話は一切なし。しかし、それでもそのほんの少しの説明が非常に良かった。見て問題がなければ次の部屋に移る。何か質問があればそれを聞くだけ。あとは我々が勝手に部屋を見て回って想像すればいい。

  考えてみれば、我々のお城巡りは、歴史的な展開など眼中になく、とにかく、スコットランドにはお城がたくさんある、しかもいろいろな形のものがある。それらをこの目で見てみたいという、たったそれだけが目的だったのだ。誰がいつまでそこに住んでいたのかは、ガイドブックを後から読んだりして、改めて仕入れたことである。
  それでもいくつか見てくると、何となく、人間関係が見えてくるから面白い。

  我々が最初に訪れたお城は、トルクホン城だった。そのお城の主はフォーブス家。このフォーブス家は15世紀まで遡ることができるが、その家系は、やがて、結婚により、リース家そしてリース・ヘイ家につながる。またかなり遠い姻戚関係ながら、ファイビー家やアバディーン伯爵家にもつながっているのだ。ファイビー家はファイビー城の主である。アバディーン伯爵家(現在は侯爵)はハドー・ハウスの主である。
  また、ヘイという姓をなぜ付けたのかはわからないが、デルガーシィ城の主はヘイ(Hay)家だった。このあたりともつながっているのかも知れなかった。
  知らないながらも、同じ地域のお城や館を見てくると、その人間関係が複雑に絡み合っていることがよくわかる。つまりは上流階級は上流階級と結びつくわけだ。そうやってお互いの領地を守り、利害関係を調整していったに違いない。その意味で日本の戦国時代と同じなのかもしれない(見方を変えれば、そういう人物だけが歴史上に名前を残すともいえるわけだ)。

  さて部屋巡りの最後は3階の戦争資料室。3つの部屋に分けられてリース家の戦争に関する品々が展示されていた。その部屋を見学して、最初のホールに戻ってきて見学はおしまい。こじんまりとしていてそんなに時間はかからないだろうと思ったが、それでも40分弱ほどの時間が経過していた。

  外に出てみると、青空が広がり、強い日差しが照りつけていた。経験則通り、午後から晴れたのである。


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