ハドー・ハウス(Haddo House)

  これまで我々が訪れた名所・史跡の中で、「ハウス」と名が付くところは、バンフにあるダフハウスだった。ダフハウスの外観、その内部を見て、『これをハウスというのか』と改めて認識したものである(もちろん、ハウスという英語には鶏小屋(hen house)というものもあるので、でかい・豪華ということのみをあらわすのではないことは百も承知。でも、ダフハウスをハウスというのならば、我が家など鶏小屋なみのハウスだ)。

  ハドー・ハウスというからには、ダフハウスと同じような、大きく、豪華で、由緒正しい家なのだろうと想像していたが、訪れてみてその通りであることを実感した。

  アバディーンの自宅からハドー・ハウスには、A90からターベス方向に分岐するB999を走る。この道は、過去に何度か走っているが、今回は、5月の半ば頃ということで、他の道と同じように、沿道の丘には、いくつもの菜の花畑が見られ、黄色のじゅうたんが広がっていた。
  B999を20分も走るとトルクホン城の道標。それを過ぎてちょっと走ると、左手にハドー・ハウス入り口を示す道標が見えてくる。矢印は右手を指しているので右折して、その道をまっすぐに進む。その道がそのままハドー・ハウスにつながっているのであった。ハドー・ハウスの敷地を示す外門から駐車場まで遠い遠い。
  自宅からの走行距離は18.2マイル、所要時間は、30分弱であった。

  この日は、駐車場に多くの車が停まっていた(満車というわけではなかったが)。
  駐車場に車を停め、ハドー・ハウスと書かれた方向に歩く。大きな建物が最初に見えてくるが、これはハドー・ハウスではない(売店や喫茶室、トイレなどがある建物だ)。ハドー・ハウスはその建物の奥にある。


見える建物の奥にハドー・ハウスがある。

  まず驚くのは、ハドー・ハウスといわれる建物は、正面から見れば、両脇に半円形を描いた階段があることだ。何といって表現すればいいかわからないが、かつては、その階段をのぼって2階から出入りしていたようだ。ちょうど舞台のようだ(宝塚の世界?)。
  その階段は、現在は進入禁止で、我々は1階のドアから入る。


これがハウスだ。

  入ってすぐ受付。会員証を提示。
  すると、受付の女性が「こちらの女性が案内しますので5分ほどお待ち下さい」という。時計の針は1時55分を指していた。見ればそばに若い女性スタッフが立っていた(この女性スタッフ、アナウンサーの渡辺真理を知的にしたような顔をしている)。
  「自由には見られませんか」というと「ノー」の答え。
  案内されてもわからないし、子供もいることなので自由に見て回りたいと思ったのだが、クレイギーヴァー城と同じく、各部屋を案内するシステムになっているようであった。これはちょっと考えればその理由がわかる。それは、例によって各部屋にはさまざまな貴重な品々が置いてある。これはちょっと邪(よこしま)な気持ちが起きれば、いつでもバッグに入れることができる。一方、スタッフを各部屋に配置すればいいが、部屋数がありすぎて人件費が大変だ。だとすれば、入場者を連れてガイドしながら部屋を見て回った方がいいということになる。
  幸か不幸か、我々と同じ時間に訪れた客はなく、そのスタッフは我々だけを連れて案内することになった。受付で「翻訳資料が必要ですか」といわれたので「日本語のものを」というと「残念ながらありません。」
  『こりゃ、大変だ。渡辺真理と英語でやりとりしなければならないぞ』
  渡辺さんは(いつから渡辺さんになったんだ?)、「どんな形で見て回りますか」と聞いてきたので、「よくわからないので、とりあえず各部屋を紹介する形でお願いします」というと「わかりました」ということで、ハドー・ハウスめぐりが始まった。

  この家は、ウィリアム・アダムが第2代アバディーン伯爵(Earl of Aberdeen)のために、1732年に、もともとその場所にあったケリー城(tower house of Kellie)の上に、新しく建てたものであるという(そう、ダフハウスもウィリアム・アダムの作。相当な建築家だったらしい)。最終的な完成は1880年代だというから、ウィリアム・アダム以降も建築は続けられ150年かけて建てられた家なのだ。小生、ここで二つの疑問が出てきた。一つはそもそもハドーとはどういう意味か。そしてアバディーン伯爵とはいかなる身分の者なのかということである。まず第1点については、渡辺さんは、「ハドーはスコットランド語です」という。どうやら地名らしい。しかしその後何といったのか理解できなかった(我々が似たような言葉で知ってることといえば、ハドック、つまり鱈の一種だけだ)。もっとわからなかったのは伯爵。小生の質問に渡辺さんは、「これは中央政府から与えられたものです」という。それはわかる。いわゆる爵位だ。しかしアバディーン伯爵とはいかなる人物がその地位に付くのかがわからない。「それは今でいえば市長のようなものですか」と聞くと、「いいえ、まったく違います」との答え。『今でもそんな爵位を持つ人がいるのだろうか』と思いながらも、追加の質問が思い浮かばない。
  『仕方がない、後についていこう』

  それにしても、ここの調度品も、いずれもため息の出るものばかり。部屋に入るたびに「ヘー」「うひゃー」の声。それとは逆に、食傷気味にもなる。そりゃそうだ、ここ1ヶ月ほど、毎週末、ここと同じような豪華な調度品を見続けているのだ。ストーン・サークルが恋しくなるってものだ。

  どの部屋にある調度品も、他のNTS管轄のお城と同じように、おおむね19世紀のもの。100年から200年ほど前のものだ。印象的だったのはチャペル。正面に見える大きなステンドグラスと、右手にあるパイプオルガン。思わず神聖な気持ちになる(余談ながら、このチャペルの大きさは、小生の勤務先にあるチャペルの1階とほぼ同じ大きさ)。
  また我々を楽しませてくれたのは、ジェームス・ジャイルズ(James Giles:アバディーンの美術家で19世紀末の人のようだ)が、第4代アバディーン伯爵の要請によって描いたアバディーンシャーにあるお城の絵。80枚ほどの絵が、一部屋の壁中に掲げてある。ファイビー城、キルドラミー城、ハントリー城、クレイギーヴァー城などなど。すでに我々が訪れたお城が見事に写し出されている。その中に、トルクホン城を描いた絵もあった。このお城の名前の読み方には、以前から興味を持っていたので渡辺さんに尋ねると「トゥクーン」と発音した。トルクホンでもトゥフーンでもなかったわけだ。
  そしてさらに驚いたことは、このハドー・ハウスの一部は、現在でも使われているということであった。我々が見学した一角には、4つのドアがあり、いずれにも「Private」の文字が見えた。渡辺さんは、「ここは立ち入り禁止です。今でも使ってますから」という。「何人が住んでいるのですか」と質問すると、指折り数えて、「ご家族の方が4名とハウスホルード(管理人)が1名です」という。その住人は、当然アバディーン伯爵の血筋の方々だ(現在では侯爵(Marquess)の爵位を持つらしいが)。その現在でも使われている建物を、一般公開しているのだから驚くばかりだ。

  なんだか良くわからないことばかりで気が滅入りそうになったとき、ようやく入り口に帰ってきた。建物を一周する形で案内が行われたのであった。渡辺さん、もとい、案内の女性にお礼をいって外に出た。所要時間は50分。


裏手に広がる庭園

  そのあと、ハドー・ハウスの裏手にある庭園にまわって散策。今はチューリップが見事に花開いていた。庭園からは裏門に続く小道がまっすぐにのびているのが見え、絵になる風景を作っていた。庭園それ自体はこじんまりしているのだが、それがまた何ともいえない雰囲気を作っている。


沿道のスイセンはもう終わる頃。

  ちなみに、ここには、ハドー・カントリー・パークが併設されている。とにかく広い芝がどこまでも続いている。他のNTSの施設にも森や散策のための丘などがあるが、ここのはカントリー・パークとして独立しているほどの規模だ。
  我々は、カントリー・パークは歩かずに、ハドー・ハウス周辺に2時間半程度滞在して帰宅した。

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