ファイヴィー城(Fyvie Castle)

  ファイヴィー城は、アバディーンの自宅からはB997からA947に乗り換えて、この道路を北上したファイヴィーという町にあるお城である。
  A947はバンフ(Banff)に通じる道路だ。すでに我々は、タリフ(Tarriff)にあるデルガーシィ城に行くために一度通っている。

  我々が訪れたのは4月下旬、イースター・マンディであった。この日は天気予報を見れば曇り時々雨。曇り時々雨の予報は当地の予報では珍しいことではないけれど、NTS管轄のお城を訪ねるにはちょっと気が引ける空模様だった。というのも、NTS管轄のお城は、概して庭園があり、そこを散策するには雨の日は避けた方がいいに決まっていたからである。
  しかし、それでもその日にここを訪れたのには理由があった。それはNTSが発行する『What's on 2000』という、2000年のNTS管轄施設で行われるイベントを書いた冊子によれば、この日はファイヴィー城で、イースター企画が行われることになっていたからである。その冊子には、この企画は子供達のための企画で、お城の内部に隠れたヒヨコを探すというものだった。「詳細はお城で」ということなので、とりあえず行ってみることにしたわけである。

  まだ明るい雲が広がるアバディーンの自宅を出たのが午後1時10分。順調にファイヴィーの町に入る。ファイヴィーの町からは、道標を頼りに細い道を右折してお城に向かう。やがて、門柱が付いた、さらに細い道に入る。そこはもうファイヴィー城の敷地だ。右手に池を見ながら2〜3分徐行。駐車場到着は1時50分。走行距離は24.6マイル。

  駐車場に車を停めて外に出ると、ぽつりぽつり雨が落ちてきていた。我々は足早にお城の入り口に向かう。
  このお城は、見るからにお城といった佇まい。とにかく外から眺めても大きい。
  ドアを開けて内部にはいると、まず入場料の支払い。我々はすでに会員になっていたので無料。そこでイベントに参加するための両面刷りの用紙を手渡された。それを読むと、各部屋に隠されたヒヨコを探してその用紙の所定の場所に記入することと記載されている。正解は売店にあるという。
  『用紙に書く・・・・・。ということはやっぱり英語だよなあ』
  そんな小生の憂鬱な気持ちとは裏腹に、すでにヒヨコ探しは始まっていた。最初のヒヨコは、入り口付近のアーマー(armour:鎧)の肩の後ろに見えた。紙でできたヒヨコだ。子供達が小声で「あれあれ」と指差す。確かにその場所はわかる。しかし問題なのはそれをどうやって文章で表現するかであった。アーマーという言葉が思い出せない。仕方なく「left side shoulder of soldier」と書いておく(なんか語呂合わせのような表現だ)。次の部屋でも子供達はヒヨコ探しに余念がない。見付けては小生に報告するのだが、それをどうやって表現すればいいか言葉が見つからない。途中からはinsideやon the deskなどの表現が多くなる。「暖炉の上にあるよ」といわれて暖炉を英語でどういうかわからない(fireplaceでいいのかしらん?)。
  『こりゃ、売店で答えをチェックされたら、「ワタシ、ニホンジン、エイゴ、アンマリワカリマセン」というしかないな』
  と観念して、適当に単語を見付けては答えを書いて最後の部屋まで来て売店へ。子供達は(そして小生も)『イースターエッグ・チョコレートぐらい賞品でもらえるかな』と期待していたのだが、売店のレジの近くに答えが書いてあるのみで、何の賞品もなかったのであった。

  さてファイヴィー城。
  我々は、スコットランドで見るお城には、戦いの歴史が刻まれ、それが現在では廃墟として存在するものと、つい最近まで使われており、それが貴族の邸宅として存在していたものとの、2種類があることに気付き始めていた。前者はHS(ヒストリック・スコットランド)の施設に多い。後者はNTS(ナショナル・トラスト・フォー・スコットランド)が管理する施設に多い。
  このファイヴィー城は、まさについ最近まで貴族の邸宅として使われていたお城であった。概観からも、いかにも貴族の館といった雰囲気が感じ取れる。


正面が入り口。意外にこじんまりしている。

  ファイヴィー城は13世紀初頭(推定では1211年か1214年。遅くても1222年)までその歴史を遡ることができる。それが1982年にこのお城の主、サー・アンドリュー・フォーブス・リース(Sir Andrew Forbes-Leith)からNTSに引き渡され、一般公開されるようになったというわけである。一度は売りに出されたらしいが、このお城そして調度品の散逸を防ぐためにNTSが引き取ったという(なぜ売りに出されたのかは不明)。外壁などは新しい。また内部もきれいだ(ユニットバスがあったことが最近まで使われていたことを物語っている。トイレもまた水洗式)。NTSが結構修復工事をやったらしい。
  見どころは無数の肖像画や16世紀まで遡ることができるタペストリーなど。
  入り口にある幅の広い階段。おびただしい数の調度品。高い天井。豪華なベッド。ため息が出るものばかりだ。
  『大金持ちとはこういうことをいうのだな』と思わずにはいられない。成金と違うことは、そこに住んでいる人々が、数世紀にわたってそこに住み続けてきたことだ。

  このお城の最後の主、サー・アンドリュー・フォーブス・リースの名前を見て、最初にピンときたことは、「フォーブスといえばウィリアム・フォーブス、そしてトルクホン城」ということだった。家系図を見ればその感は当たっていた。サー・アンドリュー・フォーブス・リースのルーツはフォーブス家に遡ることができたのである。フォーブス家の始祖サー・ジョン・デ・フォーブスは15世紀初頭の人で、3人の子供がいた。その3人が、リース・ホールやトルクホン城の主になったのである。このファイヴィー城は、フォーブス家と姻戚関係にあったリンゼイ(Lindsay)家によって建てられたものらしい。そして驚くべきことは、ずーっと遡れば、このリンゼイ家はスコットランド王ロバート・ザ・ブルース(Robert the Bruce)にまで至るということだ。まさに血筋がしっかりした華麗なる一族。その一族のお城がこのファイヴィー城であったのである。

  もはや何のケチも付けようがない(もちろん初めからケチを付けるつもりもないが)。『シンデレラはこんなお城に住む王子様と出会ったのだろうな』『白馬の騎士はこんなお城に住んでいたのだろうな』などと思いながらファイヴィー城を見学。

  約1時間見学して外に出ると、案の定、外は蕭々と降る雨。その雨水に濡れて芝がその青さを増している。その中をキジが一羽、ゆっくりと歩いていく。


お城側から見るとこんな風景が広がっている。

  あいにくの天気のため、お城のまわりを散策することはできなかった。今度は天気のいい日に散策目的でこのお城を訪れようと思いながらアバディーンに向かって車を走らせた。 

【ファイビー城再訪】
  7月の中旬、心残りになっていた「晴れた日のファイビー城」を再訪した。快晴の空ではなかったが、暖かでのんびりした中のファイビー城の敷地内をゆっくり歩き回ってきた。

   

  キジの姿は見えなかったが、ところどころに可憐な花が植えられ、しっとりした雰囲気が漂っていた。

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