フレイザー城(Castle Fraser)

  我々がフレイザー城を訪れたのは4月の最終日曜日だ。例によってNTSイベント誌『What's on 2000』を見ると、この日は、3時から4時までプロムナード・リサイタルとやらが開催されることになっていたので、お城の見学もさることながら、それも楽しみにしていた。
  4月のアバディーンは毎日雨がちで前日の土曜日もどんよりとした曇り空。天気予報では晴れの予報だったが日曜日も天気は期待できないなと思っていた(天気予報には何度泣かされたことか)。
  ところが、日曜日は朝から快晴。気温もぐんぐん上がった。それでも今までの経験から、こんな日は決まって午後から曇ることが多かったので、午後まで持つかな、と内心心配していた。予想通り、午後から若干の雲は出てきたものの、終日風もなく、穏やかで爽やかな一日だった。

  自宅を1時過ぎに出て、まずA90を走り、途中からA944に乗り換える。あとは基本的に道なりに進めば良かった。A944はハイランド・ルートと呼ばれる道の一つで、この道をアバディーンからどんどん離れていくと、やがてインヴァーネスに着く(かなり時間がかかるが)。アバディーンの郊外に出ると、相変わらずの風景。しかし、道中左手に見えるスケーン湖(Loch of Skene)には何艘ものヨットが浮かんでいたし、右手には、黄色のじゅうたんを敷き詰めたように、丘一面に菜の花が咲いているのが見えて、我々の目を楽しませてくれた。思わず『春なんだなあ』と思わずにはおれない風景が広がっていた。
  30分も走るとデュネヒト(Dunecht)の町に入る。その町に入るとすぐ右手に入る道がある。B977である。この道をちょっと進むと、今度は左手に入る名もなき道が見えてくる。その道にはフレイザー城まで3マイルと書かれた道標がある。この道をしばらく進む。またまた右手に、丘陵に広がる広大な菜の花畑。思わず感嘆の声。
  10分程度走っただろうか、右手にフレイザー城に入るエントランスが見えてきた。自宅から21.4マイル、約40分でフレイザー城の駐車場に到着した。

  フレイザー城は、駐車場の入り口に料金所がある。『駐車料金を払うのか』と思ったがそうではなかった。ここで入場料を支払うのであった。今までになかったケースだ。仮会員証を示してお城の内部に入るためのチケットを受け取り、駐車場に車を停めた。

  このお城は、駐車場からの眺めがすこぶる良かった。お城にまっすぐ向かう芝のじゅうたん。両脇には背の高い木が続いている。しばし歩を止めて見とれてしまったほどだ。


お城のイメージにピッタリのお城

  しかし城内への入り口は駐車場側ではなく裏側だった。お城の脇を通り入り口へ向かう。受付ディスクで、駐車場の料金所で受け取ったチケットを渡した。ここにも、日本語で書かれたリーフレットがあったのでそれを借りて部屋巡りへ(ここのリーフレットは4ページもあり詳しい)。

  我々は順路どおりに、キッチン、グレイト・ホール、ダイニング・ルーム、喫煙室、グリーン・ルーム、ピンク・ルームを見て回る。基本的に床は板張りだが、螺旋階段は石作りで結構勾配が急だ。各部屋に、とにかく数多くの肖像画が掛かっている。みればそのほとんどがこのお城の主とその家族のものであることに気付く。グリーン・ルームやピンク・ルームと名前が付いているが、色調にそんなに変わりはない。グリーン・ルームは19世紀には子供部屋だったというし、ピンク・ルームは普通の寝室のようである。ただ、グリーン・ルームにはこのお城の幽霊伝説があるらしかった。それは、この部屋でお姫様が殺害され、その遺体は階下に引きずられた。暖炉の前と階段に残った血痕はどれだけ磨いても取れることはなかった・・・、というものだが、もちろん、現在ではそれを確かめることはできなかった。何故なら、床にはじゅうたんが敷き詰められていたのだから。

  その後、41段(これはリーフレットに書いてあった数字)の階段を登って、タワーの最上階にある展望台へ。

  ここからの眺めは最高に良かった。晴れていて、しかも風も無かったため、最高の風景を楽しむことができた。鉄柵は付いているものの、柵に近づくとちょっと恐いと思うほどの高さだ。お城の一番高いところにある風見鶏がはっきり見える。このお城の主の旗が、時折吹く微風にたなびく。

      

  しばし風景を堪能した後、また階段を下りて図書室や刺繍の間などを見る。
  図書室に下りる前に、このお城の歴史的文書などを展示している部屋があった。その部屋には、このお城が売りに出された頃の新聞の写しなどが展示されていた。それによれば、このお城が売りに出されたのは1921年。このお城の主であったフレデリック・マッキンジー・フレイザーの死後、その妻であるセオドラがカウドリー(Cowdray)卿に売却したという。当時の金額で£40,000程度だったという(いくつかの金額が出ていたが、どれが売却価格かはわからなかった)。そういえば、どこかの部屋にセオドラさんの肖像画があったが、他の肖像画と比べて、どうも人相が悪かった。歴史と伝統があるお城を売りに出すなどもってのほか、しかも嫁の分際で、といったところだろうか(単なる思い込み、他意はない)。

      

  ところで、このお城、歴史を遡れば16世紀まで遡れるというが、他のNTS管轄のお城と同じように、最近まで使われていたお城なので、その時代まで遡れるものがあるかといえばそれはなく、もっとも多いのはビクトリア時代のもの。19世紀のものなので、確かに豪華ではあるが、取り立てて「すごい!」といえるものは少ない。たとえば、寝室にあったトイレは現在でも使えるようなもの。便器の付いたボックスがベッドサイドに置かれている(立派なおまると思えばよろしい)。そこで用を足し、レバーをひねるとアレが下に落ちるという仕組みだった(でもベッドサイドで用を足すというのもどうかと思う。日本の方がよっぽど衛生的だ。「便所」は離れにあったのだから)。
  1921年にこのお城を買ったカウドリー卿。そのあと、このお城はカウドリー卿の家族とその知り合いの手で修復が行われながら使われ、1976年に、NTSがこのお城を買い取って現在に至っている。したがって、随所に新しい修復工事の跡が残っていた。
  また、ずいぶん広いお城なのだが(その作りがアルファベットの「Z」の形になっているので「Zプラン」のお城というらしい)、見学できる部屋は半分ほどしかない感じだった。半分ほどはクローズされていたのである。その理由は、それらの部屋には何も見るべきものがないのか、それとも資料室なのかわからない。しかし何もない部屋こそ、往時を忍んであれこれ想像をめぐらせることができると思うのだが・・・。


大木の切り口にムスカリを植えてある。

  さて、一通り見終えて、リーフレットを受付に返して、中庭を通って売店へ。ここでちょっとしたお土産を買い、お城の周囲を歩く。「そういえばリサイタルがあったハズ。もう3時を過ぎているよね」などと話しながら、耳を澄ます。リサイタルをやっているとすればどこからかピアノの音ぐらい聞こえると思ったからだ。しかし何も聞こえない。小生自身は聞かなくてもいいかなと思っていたのだが、リサイタルを当てにして来たかみさんはそれでは収まらない。かみさんは売店に行ってどこでリサイタルをやっているか聞いてきた。係員によれば、リサイタルをやるハズの出演者たちが、急にこれなくなったという。ということはリサイタルはキャンセルされたということだった(ガックリ)。

  3時半過ぎに庭園を見て(ここの庭園はパッとしない)、広場に出てのんびり過ごす。4時を過ぎてもまだ日は高い。聞こえるのは鳥の鳴き声だけ。空気も美味しい。ホントにのんびりできる空間がそこにはあった。

  2時間半ほど滞在して自宅に戻ることにした。

【勝手な想像】
なぜフレイザー城はFraser CastleではなくCastle Fraserというのだろうか。フレイザー家のルーツを辿るとフランス出身であったという。Fraserはフランス語のFraiseに由来するという。Fraiseはイチゴだ。フレイザー家の紋章(coat-of-arm)にはイチゴが描かれている。それはいいとして、フランスワインなどでは「シャトー・マルゴー」などと表現されている。というわけで、フランス語的にこのお城を呼び慣わしたのではないかな、と思ったりしているが・・・。

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