大連外国語学院大運動会

 4月28日、星期天、大外の大運動会が開催された。
 この運動会の開催については、特別な連絡はなかった。日本人専家の競技への参加も観戦も自由である。したがって「何時からどこで」という情報は学生から入手したわけである。
 さて、大外の中には、サッカーができるグラウンドがある。そのグラウンドで、運動会の朝練や午後練をする姿を見てほぼ一ヶ月。いよいよ本番を迎えたわけである。
 これまで、運動会に関するいくつかの情報を入手したが、そして別のページで紹介したが、最初に誤りを訂正する。
 これまでの運動会は学内のグラウンドで行われていたが、今年は大連のサッカーチーム大連実徳のホームグラウンドである大連市人民運動場という、4万人収容の施設で実施されることになった。このことについて、ある学生は「今年は特別の何かがあるのでしょう」といっていたし、「大連市内の他大学との対抗戦もありますよ」などともいっていた。しかし、小生が考えるに、そのいずれも間違っているし、現に間違っていた。学内のグラウンドで運動会ができない理由。それはひとえに学生数が急激に増加したからであろう。


大連市人民運動場

 さて、当日は、午前中いっぱいは快晴で日差しが強く、肌が真っ赤に焼けるほどだったが、午後から曇り始め、それと同時に冷たい風が吹き、運動会が終了して帰る頃には小雨がぱらつくという、下り坂の天気だった。

 小生、朝6時15分起床。
 窓からグラウンドを見ると、すでに学生たちが、お揃いのスポーツウェアを着てグラウンドに集まっていた。
 『早い。』
 6時30分過ぎ、学生たちは隊列を組んで徐々に歩き始めた。彼らは、会場である大連市人民運動場まで歩いて行くのである。所要時間は40分とのことだった。
 小生は、朝7時30分に23路バスに乗車し、運動場に向かった。こちらの所要時間は15分。運動場に着くと、学生たちが続々と運動場内に入るところだった。
 入場は自由(つまりチケットも入場料もいらない)であることは聞いていたが、運動場は非常に広いので、どこから入ればいいのかわからない。学生が一通り入ったあとに、正面横の小さな階段を登って場内へ。都合のいいことに、そこは日本語学院の席だった。
 入って、通路に立って見ていると、3年生が小生を見付けてくれて、自分たちの席に案内してくれた。

 8時にはマーチングバンドの演奏に従って、入場行進が始まった。とはいえ、すべての学生が入場するのではなく、しかもすべての選手が入場するのではなく、各学院の代表がお揃いの衣装で入場するのだった。
 日本語学院は、英語学院に次いで学生数が多いので、2001年級、2000年級、1999年級、1998年級の旗を持って、中国海軍の服装(ま、水兵さんです)を借りて入場(貸衣装だとのこと)。


傘をさしているのは日光が強いため

 それにつけても驚いたのは、大外の学部の多様さだった。
 外国語学院(日本でいう外国語大学)なのだから語学学院(日本でいう学部)が多いのは理解できる。一番伝統のある日本語学院、一番学生数の多い英語学院、その他、韓国語学院、ドイツ語(徳語)学院、フランス語(法語)学院、ロシア語(俄羅斯)学院、そして日本と韓国からの留学生が多い漢学院は知っていた。
 また、延安路には国際芸術設計学院もあるのでこれもわかる。さらに、大外のグラウンドをはさんで賓館の対面に立派な校舎がある。ここは国際旅行ホテル(国際旅遊與酒店)管理学院の校舎である。しかし、今日はじめて知った学部もあった。それは国際経法学院だった。入場行進では、社会科学部という団体や研究生(これは大学院生)、さらには党学院支部まで入場してしていた。彼らは入場したばかりではなく、ちゃんと競技にも参加したのであった。


向正面

韓国語・徳語・法語などの応援席

 すべての学部・団体が正面を向いて整列したところで、全員起立の号令。
 国歌(義勇軍行進曲)の吹奏に合わせて国旗、五星紅旗の掲揚。
 そのあと、大外学院長(学長)の挨拶があって、いよいよ競技開始。

 最初の競技は100M走。
 男子、女子、教員などの部に分かれて競技が行われた。
 これが結構本格的。あまり厳密ではないがフライイングも取っていたし、ゴール地点では選手ごとのタイムも測定されていた(そのために専門の係員が準備していた)。
 100M走に平行して、遠くの方では砲丸投げをひっそりとやっていたし、正面スタンド前では脚光を浴びることなく、走り幅跳びや三段跳びなども行われていた。
 トラック競技は、100M走の他に、200M走、400M走、3,000M走、5,000M走となかなか本格的。さらに400Mリレー、1,600リレーなども順次行われた。

 日本語学院の応援団は、各学年ごとに陣取り応援を行っていたが、もっとも活発だったのが1年生(2001年級)と2年生(2000年級)。かけ声に合わせてタオルを振りかざして応援したり、パネルを使って人文字を作ったりにぎやかに応援していた。
 3年生のあるクラスの班長から「日本風の応援をしたい」という要請があったので、三三七拍子のリズムを教えたところ、早速それをやって応援していたが、これが日本風の応援かどうかは小生としてもちょっと不安が残った。


元気なのは1年生と2年生

 お昼頃に、正面スタンド前で、各学院代表の応援合戦があった。印象的だったのは、韓国語学院の武術、そして徳語学院の中国の民族踊り。
 我が日本語学院はダンスを披露していたが、あまり印象に残らなかったのが残念。


競技の最中に応援合戦

 ところで、競技に出ない学生は、一般に、大いに退屈そうであった。
 理由はいくつか考えられる。
 まず、一般の学生にはプログラムも配布されないし、出場選手もわからない。競技が始まる直前、自分の学部の学生がレーンに出てきて、そしてそれを発見して応援するというあんばい。場内放送も競技終了後にどの学部の誰が一位だったのかを放送するのみ。これでは応援のしようがない。
 そして多くの学生は、楽しみで運動会に来ているわけではないようだった。朝、出発前に出欠確認が行われるので、休むわけにはいかない。でも自分は競技にはでない。時間が長い。退屈、となるわけだ。中には、友達とトランプをする学生もいたし、コミックや小説などを読む学生も、ほんの少しだが、いた。
 小生、3年生の場所で観覧したが、多くの3年生が「去年はがんばって表彰された競技もあったけど今年は力が入らない」「自分のことが忙しく、運動会どころではない」と弁解していた。それが本心だろう。

 「先生、日本の大学は運動会はありますか?」とある学生が質問してきた。
 小生、他の大学の状況はわからないが、勤務先の状況を話した。大外では、競技に参加しなくても全員参加。日本の勤務先では競技に参加しない学生はフリー。話をしていて、『どちらが楽しいかな』と考えざるを得なかった。

 風がかなり冷たく感じ始めた3時30分、すべての競技を終えて閉会式。
 各賞の発表。日本語学院で盛り上がっているのは1年生と2年生だけ。
 「これにて閉会します」との声とともに、一斉に帰路を急ぐ学生の群れがあった。帰りは三々五々、バスやタクシーで寮に戻ったのであった(それにしても最後は風が冷たかったなあ)。[7/May/2002]

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