最初で最後の汽車・バス旅行−本渓・瀋陽・鞍山

 言葉が不自由だというのは本当に情けない。遠出をしようにも一人でどこにも行けないのである。
 で、頼みの綱は学生さんということになる。

 仕事が一段落し、まとまった時間が取れるようになった。ところが今度は、学生が試験期間で身動きできない。
 そこで、困ったときのCさん頼み。院生のCさんに瀋陽と鞍山に行きたいことを伝えると、「瀋陽ですかあ?」と気乗りしない返事。聞けば瀋陽は面白くないとのこと。
 「九・一八に行ったことある?」
 「いいえ。」
 「じゃ、瀋陽の故宮は?」
 「いいえ。」
 「だったら、一度見てみてもいいんじゃない?」
 「はあ。」
 ということで、瀋陽への小旅行を企画してもらうことにした。
 小生は、漢学院に留学しているN君を誘った。Cさんは、学部時代のルームメイトのKさんを誘ってくれた。
 こうして4名の旅行が実現することになった。

大連6時15分発・本渓行K601・硬座


大連駅臨時改札口

 試験が終了した6月中旬の土曜日。朝5時30分、大外正門前。ムッとするような、蒸し暑い朝だった。
 タクシーで大連駅に向かう。
 大連駅は、現在改修工事中で、臨時の切符売り場や入場口が設置されている。朝早いというのに切符売り場にも待合室にも人・人・人。
 我々が乗車する列車は、6時15分発本渓行き。切符は、あらかじめCさんが手配してくれていた。
 駅舎は工事中なので仮駅舎から構内に入る。我々が乗車した汽車はK601、本渓行き。座席指定ながら冷房はない。通路をはさんで4人がけと6人がけ。硬座といわれる座席だけあって、座席も背もたれも硬い。
 6時15分、定刻に発車。車内は、窓を開けていても非常に蒸し暑い。
 車内で軽い朝食。N君は持参したパンと牛乳。この時点で、これがあとで思いがけないアクシデントを生むことを誰も知らない。
 K601は、普蘭店7時20分、瓦房店7時42分、熊岳8時38分、蓋州9時、大石橋9時25分、海城10時、鞍山10時35分、遼陽10:55分、安平11時30分に停車した。
 車内は、しょっちゅう服務員が見回りに来る。
 本渓に近付いた頃、服務員がテーブルを拭きに来た。テーブルの上にあったゴミを見付けると、それを、ナント、窓から捨てた。
 次に来たときには、車内を箒で掃きに来た。埃が舞い上がることなどお構いなし。
 最後はモップで拭いていた。
 そのたびに足を上に上げさせられた。仕事熱心なのはいいが、やはり日本とは違う。
 終点、本渓には12時15分到着。ちょうど6時間の乗車時間だった。全員やれやれとした表情を浮かべながら下車。
 出札口では、切符を見せるだけだった。

本渓水洞・春餅・ライブ演奏


軽工賓館

 本渓到着後、早速ホテルへ。軽工賓館という2つ星クラスのホテル。303号室が小生とN君の部屋。
 本渓はCさんの故郷なので、CさんとKさんは、Cさんの実家に泊まることになっていた。
 昼食は、Cさんお勧めの韓国料理店。ここで、本渓の地ビール龍山泉を飲む。
 昼食後、ホテルでちょっと一休みして3時頃、本渓水洞(鍾乳洞)に向かう。
 本渓水洞に行くために、Cさんのお父さんの知り合いの人が運転手を引き受けてくれた(もともと運転手として仕事をしているらしい)。
 本渓はすべて山の中。
 水洞に向かう途中、運転手に「中国で運転するときに何が一番重視されるか」と質問してみた。
 というのは、黄色のセンターラインだというのに追い越しする車は多いし、スピードもかなり出ているので、不思議に思ったからだ。運転手の答えは、ハッキリしなかった。あまりそんなことは考えないのかもしれない。制限速度は40〜60キロらしい。
 4時頃、水洞到着。入場料は65元。保険料1元。
 入り口にはベンチコートが置いてあり、それを羽織って中に入る。10分ぐらい歩くと、ボート乗り場がある。そこでボートに乗って鍾乳洞を見て回る。真っ暗な中で、さまざまな形をした鍾乳に名前を付け、そこに赤や緑のスポットライトを当てて我々を楽しませる。水は冷たい。洞内は恐いぐらい。天井からは鍾乳が池間近まで突き出しているところもあり、船頭がわざとそんなところを通るので、なかなかスリルがある。往復でだいたい50分。


本渓水洞入口

ベンチコートを着て中へ

暗くてわからないかな・・・

 出てきて、係員に「この水洞は世界でどのぐらいの大きさですか」と質問してももらったところ「世界一です」とのこと。そんなバカな。
 本渓市内に戻って、夕食は、春餅(chun1 bing3)。肉や野菜の料理(たとえば青椒肉絲など)を、クレープのような、小麦粉を薄くのばして焼いた皮に巻いて食べる料理。ここで運転手は「飲酒運転が一番問題だ」といいながらビールを飲んでいた。


真ん中の女性は歌がうまい

 その後、Cさん行きつけのバー。アルコールを飲みながら、地元のバンドや歌手の歌を聞く。
 それにしてもこのバー、CさんもKさんもあきれるほどの応対があった。
 最初に生ビールをオーダーすると、小姐が「今日はない」という。仕方なく青島ビールを頼んだ。
 次にチンザノを頼んで氷を入れてくれるように頼む。すると今度は「今日は製氷器が壊れている」という。
 飲んでいると他の客のところに生ビールを持っていく。
 Cさんが「生ビールがあるじゃないか」とクレームを付けると、「今は生ビールあります」という。小生面白がって見ていたが、Cさんはプンプン。
 何とも商売っ気がない。
 10時頃帰ろうとすると、外は大雨。本渓は、ここ4日ほど、毎晩大雨だという。稲妻もあって土砂降りといった感じ。タクシーでホテルに戻った。
 ホテルに戻ると、N君の様子がおかしい。
 「どうした?」
 「ちょっとおなかの具合が悪いです。」
 「どのように?」
 「時々、刺すような痛みがあるんですよ。」
 「いつから?」
 「本渓に着いたあたりからですね。今朝までは大丈夫だったんですが・・・。」
 「何か悪いものでも食べたかな。」
 「たぶん、あのパンです。ちょっと古いパンでしたから。」
 というわけで、N君は初日からダウンしてしまった。

瀋陽・高速バス・鞍山


瀋陽北駅

 2日目の朝も、N君は最高に調子が悪い様子。
 朝食は賓館の食堂で食べた。バイキング方式。小生はそれなりに美味しく食べたが、N君は粥のみ。朝食後もベッドで横たわっていた。当初から、Kさんは、瀋陽へは行かずに鞍山に戻って我々を待つ予定だったので、N君もKさんと鞍山に行って鞍山のホテルで待機するように勧めると、N君もそれに同意。
 朝9時15分、Cさんがホテルに来た。チェックアウト後(デポジット165元が返却された)、Cさんに事情を話す。
 しかし本渓から鞍山に行く適当な汽車もバスもなく、とりあえず瀋陽まで行って瀋陽から鞍山に向かうことにした。
 本渓駅前を9時20分発。9時50分に高速道路に乗った(通行料はたしか20元)。
 「今、ほとんどの日本人は瀋陽の名前を知ってますよ。」
 「どうして?」
 「だって、あの映像はみんな目に焼き付いていますよ。」
 「・・・・・・。」
 「あそこは一番の観光地かもね。」
 といって気づいたこと。あの事件のことは知っていても、当地ではあの映像は流れていなかったので、小生の話は誰もわからなかったかもしれない(N君でさえ)。
 10時40分、瀋陽北駅着。瀋陽は今週は韓国周ということで、五星紅旗と太極旗が沿道の街灯に飾られていた。
 北駅で汽車の予約を行ったが、快速は予約が取れず、11時45分発の普通列車に乗ることになった。バスの方が早いとのことだったが、バスにはトイレが付いてなく、いざというときに困るということから、汽車で行くことになり、北駅で、KさんとN君と別れた。
 Cさんと小生は、運転手さんに連れられて九・一八歴史博物館へ。11:45分到着。入場料は20元。


九・一八博物館

 ここはかなりショックだった。1931年9月18日、関東軍が南満鉄柳条湖で鉄道を爆破。これを中国軍の仕業だとして中国東北地方に進出するきっかけにした事変。写真が多かったが、日本語でも解説が行われていて、日本人にも見せようとする姿勢が見て取れる。Cさんも小生もあまりの凄惨さに気持ちが悪くなったほどだ。
 12時15分過ぎに九・一八歴史博物館を出て、故宮付近に行き、そこの食堂で昼食。
 本当は老辺餃子を食べようと思ったのだが見つからず、薫肉の専門店、月陽楼飯店というお店に入った。ここは100年ぐらいの歴史があるという。薫肉は、日本でいえばチャーシューのようなものだが、これは美味しかった。水餃子も美味しく満足。ここで瀋陽のビール、雪花を飲む。でも、ここの小姐、すこぶる愛想がない。Cさんも怒っていた。
 運転手さんとはここで別れ、Cさんと小生は瀋陽故宮へ。
 2時30分頃から3時30分頃まで故宮見物。入場料は50元。
 それなりに広いのだが、あまりに歴史が古いため、あちこち大規模に修理したようで、古さを感じない。


故宮につながる瀋陽路は趣がある

瀋陽故宮

瀋陽故宮

 Cさん一口メモ。
 いわゆるチャイナドレスは中国では旗袍(qi2 pao2)という。これはもともと満族の服装だったという。瀋陽の故宮は満族が作ったもので、満族関係のものが多かったのでそんな話題になった。
 故宮を出て、今度は徒歩で張氏師府へ。故宮から近いということだったが、Cさんも場所がわからず、何人かに聞きながら到着。4時頃だったろうか。入場料は16元。
 ここは街の中にあるわりには趣のある邸宅で、中国の伝統的建築様式である四合院という造りになっている。各部屋に張一族の歴史を示した展示物がある(8部屋だったかな)。しかし最初は張学思という、Cさんも知らない人の展示があって、それほど面白いとは感じなかった。奥の部屋には、張作霖そしてその長男張学良の生涯を示した展示物があった(張作霖は、4人の奥さんとの間に8男6女をもうけたというから驚き)。
 四合院のとなりに大青楼、小青楼という趣のある建物があるのだが、大青楼は大規模改修中で、小青楼だけが見ることができた。
 ここは、張作霖が1928年に関東軍に襲われ、瀕死の状態で連れ込まれたところで、ここには、張作霖が死んだかどうかを確かめに来た、当時の日本の大使夫人と張作霖の奥さんが面会している様子の人形が置いてあった。
 それにしてもかなり蒸し暑く、とくに四合院の中はムッとするほどで、4時30分頃そこを出て、瀋陽南駅に向かうことにした。
 暑かったのでタクシーを拾って駅へ。到着すると、バス乗り場は駅からちょっと歩いたところにあるというので、ごみごみした中を歩く。
 「鞍山行きのバスなんか見あたらないな」と話ながら歩き、やっとのことで見付け乗車。するとすぐに発車。5時ちょうどに瀋陽を出た。鞍山まで18元。冷房付きで快適。
 鞍山駅バスターミナルには7時に到着。
 バスターミナルからホテルまで徒歩2〜3分。


きれいな部屋(藍天大厦)

 鞍山でのホテルは藍天大厦(Blue Sky Hotelと書いてあった)。3つ星クラスホテル。すでにN君が来ているハズだったので、そのままエレベーターで部屋へ。部屋番号は8006号。
 N君は2時頃到着して、Kさんに世話をしてもらい、一人で寝ていたという。
 我々が到着したときにはKさんは実家に戻っていた。N君、まだ体調不良が続いていていた。
 部屋の冷房があまり効いてなく、Cさんが服務員に問い合わせると、集中管理をしているので部屋ごとに調整することはできないらしい。
 7時30分頃、実家に戻っていたKさん到着。
 夕食に出ようとしたが大雨。しばらく待ってみたがやむ様子がないのでタクシーで近くの粥の店に行った。粥や湯などを注文。小生はここで鞍山の地ビール、千山泉を飲む。このビール、青島ビールが製造している。どことなくキレがなくボンヤリした味。瀋陽の雪花の方が美味しい。ここの小姐も愛想がない。最初にビールを頼んだのにもかかわらず、しばらく持ってこなかったので、「ビールはまだか」と聞いたところ小姐から「私の担当ではない」という返事。Cさん、Kさん怒る。
 夕食からの帰りも雨で、N君と小生は歩いてホテルへ戻る。9時30分頃だった。

幻の千山


鞍山駅前広場(部屋の窓からの眺め)

 最終日の朝、N君はだいぶ快復したようだが、まだ本調子ではないようだ。
 朝食は4階の餐庁で食べた。ここもバイキング形式。しかし本渓の朝食の方が美味しかった。N君もそこそこに食べることができた。
 朝のうちは曇り空。
 この日は、東北三大名山のひとつ、千山に行くことになっていた。
 9時前にCさんから「これから行きます」と電話があったが、すぐにまた電話があり「大雨で動けない」とのことでしばらく待つことになった。ホテル付近は雨は降ってなかった。
 ところが時間が経つに連れ雨が降り出し、またまた大雨に。
 Cさん、Kさん、そしてKさんの妹さんが到着したのは9時30分頃。しばらく待機。
 せっかく鞍山まで来て千山に行けないなんて、何とも悔しい。
 しかしやむどころかさらに雨足が強くなってきた。やむなく千山行きは中止して大連に戻ることにした(後日聞いたところでは、この日は3時過ぎまで雨だったようだ)。
 鞍山からは、汽車の予約が取れないので、バスで行くことにした。
 N君の調子があまり良くないので、冷房・トイレ付きのバスを予約。75.5元。
 大雨の中、バスターミナルに向かい、バスに乗車。
 11時発車。バスには大連まで3時間と書いてあったが、実際には4時間かかるとのことだった。
 発車後1時間ほど走ると雨は小やみになり、だんだん晴れ間も見えるようになってきた。
 バスはすこぶる快適。N君も満足げ。
 しかし、瀋大高速道路は、いたるところで工事中で、車線変更や交互通行が多かった。高速でまっすぐ走ったという印象がまったくない。
 大連到着は3時15分。快適だったのでN君の調子も悪くはならなかったようだ。

軽工賓館・藍天大厦
 予約をしたCさんによれば、本渓の軽工賓館の標準房は、198元の部屋が138元になったという。60元も割引されたのである。
 標準房は、いわゆるツインの部屋で、当地では部屋単位で料金設定がされているため、シングルに泊まってもツインと同じ料金になってしまう。
 フロントでパスポートを示し、デポジットを含めて300元を支払った。
 シャワーを浴びようとすると、シャワーカーテンがない。仕方なくシャワーを浴びたがバスルームが水浸し。
 それにしても、シャワーを浴びて驚いたのは、顔も耳の中も真っ黒だったということ。着てきたYシャツも襟首が黒くなっていた。これは汽車のせいだ。ディーゼル車ですすが開けていた窓から入り込んできたのだろう。でもホテルは冷房が入っていて快適。
 一方、鞍山の藍天大厦。ここはあらかじめCさんが予約したホテルだが、予約した部屋は豪華房で、本来なら328元のところ、交渉して120元にしてもらったという。208元も割引されたわけである。額面が信じられない。
 N君によれば、チェックインの時に100元のデポジットを支払ったという。
 このホテルもシャワーカーテンがない。またまたバスルームをびしょびしょにしながらシャワーを浴びた。

 こうして最初で最後の、公共交通機関を利用した旅は、何とか終了したのであった。[17/Jul/2002]

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