大外 新任日本語教師のオリエンテーション

 小生、大外には、日本の勤務先である北星学園大学と大連外国語学院との交流協定に基づいて赴任してる。もちろん、派遣が決まってからは協定内容について説明を受け、過去に派遣された諸先生から、さまざまな情報の提供を受けた。
 しかし、中国に入国し、そして大連での生活、大外での講義を始めると、手探りで解決しなければならない事柄が多いことに気付く。「過去に来た皆さんはこんな時どうしたのかな」と迷うこともしばしばである。
 たとえば、小生以外にも日本人教師が少なからず大外で講義を担当しているということは、日本でも聞いていた。たとえば、「テレビの映りが悪いので直してほしい」と思ったとき、中国語のできる日本人教師なら(もっとも中国語できないのは小生一人ぐらい)、その方にお願いして服務員に伝えてもらうこともできる。そこで日本人教師に相談しようと思っても、日本人も中国人も一見して見分けが付くほど甘くはない。誰が日本人教師で、誰がネイティヴかわからない。ここに韓国人も加わればなおさらである(大外には韓国語学院もある)。では日本人教師はどこに住んでいるのか。当初、これがまったくわからなかった。講義が始まった第1週、学院長の呼びかけで、日本人専家(専門家)のミーティングが行われた。そこには7名の日本人専家が集まったが、その時初めて、小生の部屋の向かいに日本人専家の一人が滞在していることを知った。一週間以上、知らなかったわけである。

 当地に来て3週間が過ぎた頃、一本の電話があった。
 昨年9月から大外に勤めている三上先生からだった。
 「新しい先生が来たことは噂で知っていたのですが、どこに住んでいるかわからなかったもので、ご挨拶が遅れました。」
 三上先生の第一声である。三上先生は、専家のミーティングには加わらなかったので、電話での会話が初めての出会い(?)だった。
 「日本人教師のリストを作りますのでメールのアドレスをお教え下さい。」
 これが用件であった。

 数日後、三上先生は小生を賓館に訪ねてきた。そこで、日本人教師リストを手渡された。それを見れば、小生を含めて15名の名前、住所、電話番号、所属部門、赴任年、メールアドレスが記載されていた。見れば、一番古くに赴任した方は1995年である。そして、15名のうち6名が賓館、3名が専家楼に滞在しているのであった。しかも、15名の中には、遠距離教育中心、電教館などの所属も書いてあり、大外の日本人専家といっても、所属が違う方もいることを初めて知った。
 このリストだけでもありがいたいものであったが、三上先生は、さらに、5ページにわたる文書のコピーも持参してくれた。
 それは「大外新任日本語教師のオリエンテーション」と題された文書であった。
【蛇足】
三上先生、北星の元チャプレンS先生と大学の同級生で、S先生の話題でしばらく盛り上がった。三上先生は「もしよろしければ教会も紹介しますよ」とおっしゃってくれたが・・・・・。

 この文書は、大外および大連での生活情報が列挙されたもので、大外での生活が3週間も過ぎれば、だいたいのことはわかっていたことだが、初めて大外・大連で生活する人にとっては、貴重な情報が満載された文書であった(それでいて簡潔)。
 「どうも、日本人同士というのは、知り合って何かお願いすればちゃんとやってくれるのに、始めて来た人には、進んで情報をくれないんですよね。」
 三上先生の弁である。それも仕方ないことである。何しろ、始めてきた人の顔も名前もわからないのだから。
 しかし、来る側が日本人教師の連絡先を知っていれば話は別である。困ったときにはすぐに連絡することができる。そして、日本人には連絡しなくても、事前にある程度の生活情報を知っていれば、これほど助かることはない。
 日本語学院なのだから、困ったときは学生にお願いすれば何とかなるという考え方もあるが、授業が始まる前にはそうもいかない。小生も、講義が始まるまでは、ちょっとした買い物をするにも、学院長か副院長室をたずね、学生を紹介してもらい、お手伝いしてもらった。もし学院長も副院長も不在ならば、しばらく買い物を見合わせなければならないわけである。

 三上先生が持参してくれた文書は、三上先生が入手した情報をまとめたもので、しかも、それをHPで公開しているということだった。

 大外 新任日本語教師のオリエンテーション

 大外で講義をする者にとって、一般的情報として、この文書以上に有用なものはないと思われる。大外に勤務する人は、事前に一度は目を通しておいた方がいいと思われる。[15/4/2002]

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