黄砂に抱かれて花見気分−龍王塘・203高地

 今年の日本の桜前線は例年になく早く北上しているようで、NHK国際放送のニュースによれば、すでに東北地方を通過中であるという。
 当地、大連にも桜の木がある。しかし学生によれば、中国では、花見などという習慣はなく、したがって、桜の下で、飲めや歌えや、ということはしないらしい。とはいえ、小生が所属しているのは日本語学院。日本語を学んでいる学生は、日本の風習として花見を習っており、クラスの仲間たちと花見に行く学生もいるという(もっとも弁当やお酒を持っていくといったことまではしないらしい)。


植物園:れんぎょうも満開

植物園:ソメイヨシノも満開

 大連の桜は、毎年4月20日頃が見頃であるらしい。日本の桜前線が例年になく北上を早めているのは、気温の高さによるが、大連の気温もかなり高めに推移している。賓館の向かい側の部屋に滞在しているI先生は、大外近くの植物園に一本だけある桜(ソメイヨシノ)が満開になっていると伝えてきた。ということは、名所の桜ももう咲いているのではないかと期待させられる。
 4月初旬、I先生から桜を見に行きませんかと誘われた。行き先は、大連市内からバスで1時間半ほどにある龍王塘。

 前日は見事に晴れ渡った翌日の日曜日。朝から曇り空。日本なら一雨来そうな空模様。
 朝8時、賓館ロビーで、I先生、そしてI先生に誘われた4年生のSさんと3年生のHさんと合流して4人で出発。
 ところが外に出た我々を最初に出迎えたのは、黄砂であった。
 部屋の窓から見えた曇り空は、雲ではなく黄砂が原因だった。小生が当地に来て2度目の黄砂だが(1度目は北海道にまで飛んでいったという)、最初の黄砂の時は外に出ることが少なく、それほど砂が降ったという意識はなかった。今回は、終日外にいることになる。黄砂に包まれての花見である(黄砂に包まれた太陽は灰色に輝いて見える)。


黄砂に覆われた空

 まず大外近くのバスターミナルから23路バスに乗って黒石礁ターミナルへ。日曜ということもあって道路は比較的空いていたが、車窓から見る風景は、一様に黄色味がかって見える。30分ほどで黒石礁ターミナルへ到着。そこから今度は、龍王塘を経由して旅順ターミナルに行く旅順南路バスに乗車。黒石礁ターミナルから龍王塘までは4.5元。このバスはマイクロバスで、高速道路を通って旅順に向かう。満席になったところで出発。高速道路を通るのだから、当然満席になれば途中で乗車客は乗せないというのは日本の常識。当地では、途中でバス待ちをしている客がいれば、停車して乗車させる。後から乗ってきた客は立ったまま。
 『大丈夫かなあ。』
 9時20分、車掌の案内で下車。龍王塘であるという。しかし、どう見ても桜が咲いている場所があるようには見えない。不安になり、一緒に下車した客に聞いてみると、まっすぐ歩けばいいという。そのまま歩く。高速道路は人は歩けない、というのは日本の常識。当地では数は少ないものの、高速道路といえども歩けるところは人が歩いて当然。

 10分程度歩いてやっと龍王塘の入り口の到着。
 そこから矢印のとおりに歩く。すぐに一人のおじさんが近づいて来て何かしゃべっている。4人とも無視。小生はなから何をいっているのかわからないので無視するしかないが、I先生や学生は軽くあしらっている。


龍王塘の桜はこれから

 龍王塘への道は、いかにも田舎の細道。左手にはちょっと高台になっていて民家が続いている。のどかな風景。桃の花が満開。
 これまた10分ほど歩くと、エントランスに到着。ここで入場料15元を払って公園内へ。
 「桜は咲いているでしょうかね?」
 「たぶん、咲いているでしょう。」
 という我々の期待とは裏腹に、満開に咲いているのは桃の木ばかり。
 ここの桜花園はソメイヨシノが1,500本あるというが、到着した我々を待っていたのは、ピンクに色づいた桜のつぼみばかりだった。
 「いやー、やっぱり早かったですね。」
 「ええ、ここは、大連より風が冷たいですしね。あと1週間後ぐらいでしょうかね。」
 園内をそぞろ歩く。中には、我々のために(?)、わずかに花を付けている桜もあり、その前で記念撮影。

 ここは、もともとダムであって、現在でも旅順の水瓶となっている。
 したがって、ダムの施設もあり、貯水池もある。ダムは、庭園の奥にある。下から見上げれば、ダムの放水施設の上に少なくない数の観光客が見えた。そこで、我々もそこまで登ることにした。
 放水施設の上に到着した我々が見たものは、水がほとんどない貯水池だった。
 「これはひどい。」
 「数日前の雨程度では水不足は解決しませんね。」
 大連は水に弱い都市である。それは、水源となる川がないということ、降雨量が少ないということなどが原因だという。しかしさすがにこういった風景を目の当たりにすると、水を大切にしなければならないと思い知らされる。
 本来的には、貯水池からあふれ出た水を逃がすために作られたと思われる人工の川もあるのだが、そのコンクリートの川底はみごとに乾き、現在では、観光客の自動車が駐車場に使っていたり、ご丁寧にもベンチまで付けられている。まったく役に立たない川である。


旅順の水瓶はご覧のとおり

 お目当ての桜が咲いていないのでは当てはずれ。
 10時20分に龍王塘を出た。
 I先生は、「せっかくここまで来たのだから203高地ぐらい見ていきますか」という。異存はない。
 バスターミナル付近まで歩いていくと、到着したときに近づいてきたおじさんがバイクで我々のところに来た。また何かいっている。
 I先生によれば、彼は、さっき自分と一緒にバイクで行けば、入場料が安くなったのにといったという。たしかに一人15元は安くはないが、もし彼のバイクに乗っていったとすれば(普通のバイクの荷台に二人ずつ乗せるようになっている)、入場料が安くなったとしても彼に対するサービス料(運賃)が必要になったわけで、何がいいんだかわからない。
 そのおじさんをようやく振り切って、旅順行きのバスに乗車。旅順まで4元。
 「黒石礁からここまで4.5元。そしてここから旅順まで4元。これって何だかヘンじゃありませんか?」
 黒石礁から旅順までは、高速道路経由で約30キロの行程である。そして龍王塘から旅順まで13キロ。もっと安くなってもいいというのが小生の言い分。
 「確かにおかしいですね」とはI先生。
 何はともあれ、旅順へ。

 途中、旅順のバスターミナルから203高地まではタクシーを利用することになる。そこでI先生は、ターミナルから203高地までチャーターしていくらぐらいかかるか、車掌に教えてもらうように学生に指示していた。I先生によれば、日本人とみれば、最初は200元ぐらいをふっかけてくるという。100元、悪くても150元程度なら許せるというのがI先生の考えだった。
 学生から質問された若い車掌は、あまりそういったことは知らないらしく、運転手にいろいろ聞いている。すると、203高地を見て水師営を経由して50元ぐらいだという。
 「安い。」
 と、安心する間もなく、早速、運転手がタクシーをチャーターしてくれたという。運転手は、携帯電話を取り出し、知り合いのタクシードライバーに連絡したのであった。
 当地でも自動車を運転しながらの携帯電話は禁止されている。テレビでもキャンペーンをしている。しかし、我々の目の前で、プロのドライバーが、客が申し出ないにもかかわらず、高速道路を走りながら携帯電話を使っていたのであった。

 旅順バスターミナルの手前で、バスは突然停車。バス停ではない。一台のタクシーがバスの前に停車。運転手はそれに乗れと我々を下車させた。我々はいわれるままにタクシーに乗車。
 203高地までは、ちょうど札幌のような片側2車線の綺麗な道路が続いている。左手には海も見える。
 「このあたりは、観光客は立ち止まることも、まして写真を撮ることも禁止されているようですよ。」とI先生。
 左手には中国軍の護衛艦が見え隠れする。
 『とすれば、この舗装された道路も軍のためかな。』

 11時に203高地の入り口に到着。入場料は一人30元(高ーい!)。
 タクシーは203高地の駐車場に入り下車。
 タクシーを降りるとすぐに流ちょうな日本語をしゃべる老人が写真集を持って近づいてきた。
 小高い丘になっている203高地は、その頂上まで、ちょっと坂道を歩く。
 今度は、坂道の下にズラッと並んでいたカゴ屋が近づいてきて、「上まで2キロ、カゴどうですか」と日本語で近づいてきた。
 「2キロもあるわけないよ。ちょっとだけだよ。」とI先生。
 4人で坂道を歩く。
 「それにしても何で日本人ってわかるんでしょうね。」と小生がいうと、学生は、「先生たちは日本人らしい顔をしていますよ。」という。
 「いやー、普通のカッコして、普段着で来てるので観光客とは違うと思うけど。」と小生。
 そんな話をしているとアッという間に頂上。入り口から5分程度。やっぱり2キロはウソ!

 何しろ、この日は黄砂が大気を覆っているので視界は悪い。
 モニュメントがある山頂に着くと、早速、写真を持ったおばさんが「こんにちは。記念写真いかがですか。」と日本語で近づいてきた。その隣からは、今度はおみやげを売るお姉さんが「こんにちは、絵はがきいかがですか」と日本語で近づいてくる。
 『まだ着いたばかりだぞ!』
 天気が悪いにもかかわらず多くの観光客がいた(観光は天気に左右されないけど)。日本人と中国人が半分ずつ。I先生と小生は、「あれは日本人」「これは中国人」と、国籍当て。二者択一の世界。

 203高地。小生、明治の頃の歴史、とくに戦争の歴史にはまったく疎い。でもここは、日露戦争(1904年)で日本とロシアが占領をかけて行った激戦地であることぐらいは知っている。乃木元帥率いる日本軍が、艱難辛苦の末、ロシア軍を破ってここを占領、その結果、この戦争で日本側が勝つことになる。
 203高地はこの地域にしては、高台となっており、ここを押さえれば、四方八方、海までも見渡すことができるわけだ。
 「でも、日本とロシアの話題として語られることが多いけど、そこには中国、中国人が見えないんですよね。」とI先生。「確かに。」
 203高地には、中国語と英語で、ここが日本帝国主義によって占領された土地であることが書かれた看板が立っている(日本人観光客が多いのだから日本語でも書いたらいいのにと思ったが、日本語で書いたら、貴重な外貨を落としていく日本人の感情を害するかもしれない、という配慮かな)。


お決まりですが、爾霊山紀念碑

 20分ほどいて(景色がなければ、見るべきものはなにもない)下山しようとすると、同行の学生がさっきの記念写真に興味を持ったらしく、一枚写してもらうことにしたという。おばさんによれば「日本人30元、中国人10元」といっていた。しかし学生が、我々が大外の教師であることを告げると、「先生なら10元でいい」といったという。I先生によれば、このおばさん、大外の2ヶ月社会人日本語特訓コースに通って日本語を覚えたという。したがって大外の教師には恩があるというわけだ。3分ほどしてできてきた写真は、ハガキの半分ほどのサイズに日付と場所が入ったものだった。

 11時30分に203高地を出て、水師営へ。かつて訪れたことがあるI先生は、中に入らなくても外から写真が撮れるので写真だけ撮って帰りましょうといっていた。ところが着いてみると、水師営の建物の周りには塀が構築され、外からは屋根の一部しか見ることができなくなっていた。I先生によれば、中は大したことはないとのことだったが、それでも見たければ待っていますから見てきてくださいという。
 エントランスを見れば入場料40元。
 「40元!高ーい!」
 と思わず声をあげると、「40元が高いと思うのはもう中国の生活に慣れた証拠ですね。日本人にすれば、たったの600円ぐらいですからね。」とI先生。
 確かに、日本円に換算すれば安いと思うかもしれないが、当地で生活している現在、日本円に換算して考える必要はない。日々の生活の中で、40元が高いか安いかというその判断だけだ。そして40元は、やっぱり高い。
 「帰国前にまた来るときがあるでしょう。そのときにでも入りますよ。」

 そのままタクシーで旅順のバスターミナルに向かい、そこから黒石礁行きのバスに乗車。運賃は7元。
 12時5分に、我々以外一人の客を乗せただけのマイクロバスは、来たときと同じように、途中ところどころで客を拾いながら、終点到着時には立ちながら乗車している客が出るほどの客を乗せていた。

 黒石礁バスターミナルには1時到着。
 近くの「老辺餃子」のお店(このお店はチェーン店)で遅い昼食を取り(ここのおすすめは蒸餃子)、23路バスに乗り換えて大外に戻ってきた。[10/Apr/2002]

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