最後の一日

  6月29日は、グラッシュバーン・スクール(プライマリー・ナーサリー)の今年度最後の日だった。毎年繰り返される年度末の一日であるとはいえ、我が家にとっては最初にして最後の終業日だ。子供達は翌日から夏休みに入ることを喜んだが、親としては感慨深い日を迎えることになった。

  最後の日ということは、当然、担任の先生たちに最後のご挨拶をしなければならない。
  長女はP5、長男はP3、次女はナーサリー、そして長女と長男はEALにも通っているので、挨拶すべきところは4ヶ所ということになる。ちょうどこの日は木曜日なので、長女と長男は午前中はEALに行く日だ。そこで、次女のピックアップ前にEALに行き、その後ナーサリーの終了式に行き、午後からプライマリーの担任を訪れることにした。

  さて、単なるご挨拶だけでは芸がないと思った小生とかみさんは、いくつかのアイデアを出し合ってその日に備えることにした。
  まず、それぞれのクラスメイトには、サンキュー&グッバイカードをあげることにした。そのオモテにはお礼の言葉と日本の住所を書き、この時のために日本から持参した5円玉を貼り付けた(穴の開いたコインは珍しいだろうと思ったからであった)。ウラには、子供達が書いた絵をコピーすることにした。長女はポケモンのイーブィー、長男はハントリー城、次女は自分の姿を書いた。さらにEALの仲間たちには、絵ではなく長女と長男がジミーハット(スコティシュを象徴する赤毛の付いたタータン帽)をかぶった写真を貼り付けることにした。


  また、カードだけではなく、おばあちゃんから送ってもらった日本のお菓子「もぎもぎフルーツ」を一袋ずつ同封することにした(かつて、日本から送ってもらったものを学校に持っていったところ好評だったということを子供から聞いていたからである)。

  次は担任。
  カードはクラスメイトにあげたものとほぼ同じ。その他に、長女と長男のクラス担任とEALの担任には、これまた日本から持参してきた風呂敷をあげることにした。風呂敷は日本のお土産としては定番。とはいえ、最初から担任にあげることを想定して買ってきたものではなく、小生の大学関係の方々にあげるものと一緒に余分に買ってきたものであった。

  ところで、これまでにかみさんの友人や子供達の友人たちから折り紙を送ってもらっていた。それも大きなもの、小さなものなど3種類の大きさだった。その折り紙が大量に残っていた。折り紙があったら何をするか? 当然、千羽鶴だ。小さな折り紙を使って千羽鶴を作り学校にプレゼントすることにした。この作業には3週間かかった。ようやくすべて折りあげたのは6月27日頃(鶴なんて何年ぶりで折っただろう)。一番小さい折り紙とそれよりはやや大きめの折り紙を使って、500枚程度折った。
  また大きな折り紙(これは千代紙といわれるもので柄が日本的)では、モービルを作ることにした。これはナーサリーとEALのクラスにつるしてもらうことを考えたのである。


これが3週間の成果。やっぱり好評でした。

  さらに日本から持参したものとして、けん玉とだるま落としがあった。これは、非英語圏から来る子供達にEALで日本の伝統的おもちゃで遊んでもらおうということになった。
  こうして、最後の一日を迎えることになった。

  6月29日。終業日であるにもかかわらず肌寒い一日。最高気温は14度。
  この日は、EALがあったので、小生が長女と長男を連れて学校からタクシーに乗せ、次女とかみさんがナーサリーに向かった。
  いつもの登校風景と違うのは、制服ではなく、きれいな私服を来て登校している児童がいるかと思えば、花束を持った児童がいたことであった。
  ナーサリーに向かったかみさんは、クラスメイトのトットレーにカードとお菓子の入った封筒を入れ、担任にはカードとモービル、そして残った折り紙をあげた。担任は、早速モービルを天井からつるしてくれた。

  子供達が登校してしばらくして、10時前に小生とかみさんはEALに向かった。事前にEALの担任には10時過ぎに挨拶に伺うことを打診してOKの返事をもらっていたので、教室の前にいると、担任が出てきて我々を教室に迎え入れてくれた。担任の一人が教室にいた児童たちに小生とかみさんを紹介し、しばらく歓談。EALでは小生の子供を含めて8名が英語を学んでいた。持参したけん玉やだるま落としの実演をしたり、写真を撮ったり、20分程度楽しく過ごした。長女と長男の担任は、「よく英語を勉強しましたよ」といってくれた。最後に「スコットランドの大学に入学させたら?」といわれ苦笑(それは本人たち次第)。

  EALから戻って10時45分、ナーサリーへ。教室内で終了式が行われた。そこには小生も参加した。担任が一人一人に修了証書を手渡してくれた。お返しは、担任の先生たちへの花束贈呈(父母が£4ずつ出し合ったそうだ)。その後、それぞれに記念撮影。香港から引っ越してきたミセス・リーに、「我々はもうすぐ帰国しもう戻ってこない」というと大変残念がっていた。かみさんはミセス・リーには何かと良くしてもらったらしく、そんな話をしていると目がうるうる。そんなところに次女が好きだったミセス・グラント(ナーサリー・ナース)が来たものだからなおさらうるうる。

  お昼に、長女と長男がEALから帰宅。
  昼食後、サンキュー・カードを持って登校。

  学期の最終日は、どの学年も2時45分に下校。我々が長女と長男の担任にアポイントメントを取ったのは2時45分過ぎ。
  学校に到着すると、各昇降口から児童が出てきていた。我々の姿を見つけた長男のクラスメイトが「サンキュー、スイーティ」とお礼をいってくれた(スコットランドではいわゆるキャンディーをスイーティといい、お菓子一般をもスイーティというらしい)。
  P7の児童は、次年度からセカンダリーに進学するので、彼らにとっても今日がグラッシュバーン最後の日だ。持参したTシャツにクラスメイトからサインをもらっているものもいれば、担任が花束を抱えている姿も見られた。ミセス・ドーガルノもミセス・フェアリーも、そんな花束を抱えて我々を出迎えてくれた。もちろん、子供達も一緒だ。

  学校のエントランスに入っていくと、ちょうどヘッドティーチャーのミスター・カーマロンも来てくれた。
  思えば、昨年の9月、この場所で、入学手続きをしたわけだ。それが今は別れの時を迎えている。
  まず、一通り挨拶をして、持参した千羽鶴を渡した。それを見てみんな驚きの声をあげた。
  『どーだ、これが日本の伝統芸だ』(そんな大げさなものではない・・・)
  ミスター・カーマロンは、みんなが見てくれる事務窓口の前につるしておきましょうといってくれた。
  「これはペリカン?」とミセス・ドーガルノ。
  「いえいえ、鶴(crane)ですよ」と小生。
  「おお、鶴ね」とミセス・ドーガルノ。
  『ドガちゃんは最後まで笑わせてくれるよなあ』(我々は親しみを込めて、ミセス・ドーガルノをドガちゃんと呼んでいた。)
  「これはマムが作ったの?」とドガちゃん。
  「いえいえ、小生も作りましたよ」というとドガちゃんもミセス・フェアリーも驚いていた。
  「日本では鶴はハッピー・ラッキー・バードです」と小生。
  それを聞いたミセス・フェアリーは、「ハッピー・ラッキー・バードですか」と微笑んでくれた。
  ドガちゃんは、我々が札幌から来たことをミスター・カーマロンに説明している。
  「札幌には美味しいビールがあるんですよね」とドガちゃん。
  「私も知っていますよ。飲んだことがあります」とミスター・カーマロン。
  「そういえば、スーパーで売ってましたね」と小生。
  「私はビールが好きでね。おかげでホラこの通り」とミスター・カーマロンが自分の自慢のおなかをさすった。
  別れの時にこんな話で盛り上がるとは場違いだと思ったが(現にそばにいた子供達は手持ちぶさたのようであった)、こんな話ができるようになったことがうれしくさえあった。
  「帰国の途、気を付けて」という言葉を背にグラッシュバーン・スクールをあとにしたが、校庭に出てみると、子供達がクラスメイトにあげた「もぎもぎフルーツ」の包み紙が2、3枚落ちていた。
  「最後までマナーが悪いよね、まったくもう。日本語で書いてあるから拾って帰ろう。」

  そして帰宅。
  「あれ、退学の書類については何にもいってなかったよね。」
  「ま、いいか、ミスター・カーマロンは何もいってなかったからね。」

  帰宅後、子供達のクラスメイトが、早速お礼の絵などを届けてくれた。
  こうして、我々の「最後の一日」が無事終わった。
  やや感傷にひたれば、突然入学を申し出た日、長女や長男が学校に行きたくないといった日、次女がナーバスになっていた時に助けてくれたミセス・グラントなど、思い出すことが多い。子供達の中でもっともクラスメイトにとけ込んだ長女は、登校時に誘いに来てくれる友達や一緒に下校する友達ができた。下校後友達の家に遊びに行くことも多くなった。通い始めた頃、学校に行きたくないと行っていた長男は、風邪で一日休んだ以外、元気に登校し続けた。毎日、学校でフットボール(サッカー)をして帰ってくるようになった。ミセス・グラントに会いに学校に行くと行っていた次女は、最近では週末になると「学校がないとつまんない」といい始めるようになっていた。

  『親はなくても子は育つ』
  まさにその通りのグラッシュバーン通いだったようだ。

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