インタビュー(個別面談)

  プライマリー・リポートとともに入っていたのが、学級担任とのインタビュー(個別面談)の案内状(A6サイズ)だった。そのインタビューは案内からほぼ一週間後の日時の10分間が設定されていた。案内状には、日時とともに、インタビューの10分前に教室に来れば、子供が学んでいる教室を見ることができますと書かれていた。

  小生、日本にいて、授業参観への参加や、個別面談あるいは家庭訪問という担任との話し合いはかみさんに任せっきりだった。ところが、今回のインタビューは小生が出向かなければならないことになった。かみさんより、ちょっとだけ英語ができたからである。

  我が家には、グラッシュバーン・スクールに通う子供が3人いる。それぞれナーサリー、P3、P5に所属している。ナーサリーのインタビューは、クラスが始まる時間と終わる時間の中から自分の都合のいい時間を選択することができたが、プライマリーは時間指定であった(ご丁寧にも調整に苦労したので決められた時間の変更はくれぐれもご容赦下さいと記されていた)。配布物などから推察すると、このインタビューは一週間(月から金の5日間)にわたって、一人10分、一日5〜6名を対象にして行われるものであった。
  我が家の子供達に割り当てられた時間は、P3に通う子供が月曜日の午後7時から10分間、P5が火曜日の午後5時から10分間、そして、ナーサリーは水曜日の午前11時15分から10分間ということになった。これは小生にとって大学での研究以上にスリリングな時間であった。日本でも面談に参加したことがないのである(決して自慢してはいけないけれど)。それが制度の違う英国で、個別面談を、当然のことながら英語で行うのである。しかも3日連続。むろん、相手は3日間とも違う。この期に及んで「1年も在籍しないのだから面談なんていいですよ」などとキャンセルはできない(そりゃそうだ、子供達が毎日お世話になっている学校だし、それを知っている先生からの招待なのだから)。

  プライマリーの案内には、指定された面談の10分前に学校に来れば、教室内を見学できるし、子供達の作品も見ることができると書かれていた。その案内の通り、指定された10分前に行くと、確かに教室を見学できたし、子供達が勉強してきたものが入っているファイルが入った私物入れ(トットレー)が面談室の前に置かれていた。そのトットレーのストッカーの上には「時間まで子供達の成果をご覧下さい」と担任が書いた紙片が貼ってあった。

  考えてみれば、ホームワーク以外家に持ち帰るものはないわけだし、もちろん教科書も家に持ち帰らないのだから、学校でどんな勉強をやっているのか、親にはわからない。そこで、この機会を利用して、それまでやってきた勉強の足跡を見てもらおうという趣旨だ。
  そうやって時間を過ごしているうちに、面談室から前に面談した親が出てきて、小生が呼ばれて面談室に入ることになった。面談には、自分の子供のトットレーを持って入る。面談室は、通常は資料室や視聴覚室として利用されていると思われる個室だった。
  面談は、まずプライマリー・リポートに基づき、担任がリポートで評価した理由を述べてくれる。

  初日は長男。長男のクラスは、入学早々担任のミセス・フェアリーが産休に入ったため、6ヶ月間、ミスター・コンスティボーが代用だった。小生とのインタビューも、ミスター・コンスティボーからの要請だった。しかし、面談室に入っていくと、ナント、そこにはミセス・フェアリーも同席していたのであった。長男は、ミスター・コンスティボーの最終日にサンキュー・カードを手渡さなかったことを悔やんでいたので、この面談に長男も連れていった。早速長男がカードを手渡すとミスター・コンスティボーは快く受け取ってくれた。ミスター・コンスティボーは、長男の努力を高く評価してくれた。前提として英語の理解力不足は仕方ないことであったが、とくに算数と体育の能力の高さを評価していた。ま、算数の内容は、2桁の足し算・引き算が中心だったわけで、これは日本でもすでに学んでいた内容だったので、できて当たり前といえば当たり前。体育は、小生とは違って体育会系の能力を持つことはわかっていたから、これも当たり前。しかし英語環境の中でそれらを評価してもらうというのは、素直にうれしかった(ハハハ)。
  二日目は長女。長女の担任は、例のミセス・ドーガルノ。「恐い先生だ」という長女の言い分とは裏腹に、気さくで話し好きな先生だった(この先生、最初に会ったときには、札幌でオリンピックがあったことを話題にしてくれたし、今回も有珠山の噴火も知っていて話題にしてくれた)。ミセス・ドーガルノは、長女の算数と絵の能力の高さを誉めてくれた。算数はかけ算九九と4桁までの加減乗除を学んだようだが、かけ算九九は、これまた日本で2年生の時に覚えたので難なくクリアーして当たり前(ちなみに、当地ではかけ算はタイムス(times)といい、九九に相当するいい方はない。また九九の早見表(Times Table)はあるが、これは12×12までが書いてある)。4桁までの加減乗除も、ホームワークを見る限りそんなにできるようには思えなかったが、何故かミセス・ドーガルノは高く評価していた。また、絵についてはとくに誉めてくれた。
  どちらも「誉め殺し」にあっているような感覚になるほど、「スーパー」「グッド」「エクセレント」「ファイン」という表現が耳についた(これは決して悪いものではないが)。あとでゆっくり考えてみると、いいところを誉めて伸ばしてあげるという、日本でも普通に行われる指導法なのだろうと思ったが、日本でそんな経験がない(つまり面談を体験していない)小生には、なぜか面映ゆく感じた。

  ナーサリーの個別面談時間は、ちょうどお迎えの時間だったのでかみさんも同席した。ナーサリー・リポートを見ながらの話し合いだったが、担当の先生(ミセス・ドノード:日本語ではドナルドなのだが、ドノードに聞こえる。ちなみにリポートを書いてくれた先生は別の先生だった)は、「ドローイング・ブック」(子供が描いた絵を綴ったもの)を見せながら、「これはこんな絵本を読んだとき描いたもの、こちらはこんな題材をモチーフにして描いたもの」と一枚一枚説明してくれた。ミセス・ドノードは、「言葉の問題は一番大きかった。しかし、先生のいったことを理解できないときには、友達のマネをして一緒に動いていたし、最近では何となくわかるようになってきたのではないでしょうか。子供の能力は素晴らしいし、覚えるのが早いですね。日本に帰って日本語環境の幼稚園に通えば、きっともっとのびのび活動するでしょう。」といっていた。言葉の問題以上に、そこまで見ていてくれたのかと思うとありがたさを感じてしまう。終わった後、何となく爽やかな気分になった。

  こうして、3日間にわたる、初めての体験が終了した。
  印象的だったのは、長女の担任は「日本でもここで学んだ英語を継続できますか」と聞いてきたことだった。もちろん、それが継続できれば申し分ない。しかし、それは限りなく不可能に近い。日本に住んでいる限り、その善し悪しは抜きにして、日常生活において日本語以外必要としないからだ。小生、そのことをいうと、「それは良くわかるわ」と答えてくれた。
  また、長男の担任からも長女の担任からも、日本からぜひ手紙を下さいといわれた。長男の担任、ミセス・フェアリーはそれを強く勧めていた。英語で文章が書けるほど英語能力はない。それは担任は良くわかっている。それでも手紙を書いて下さいという理由は、「せっかく友達ができたのだから」というものだった。ミセス・フェアリーは、そのことがグラッシュバーンのクラスメイトにもプラスになるともいっていた。確かにその通りかもしれない。

  それにしてもつくづく思うとことがあった。それは、「もしこれが日本だったらどうなのだろうか」ということである。
  学校には我々が1年以内に日本に戻るということは伝えてあった(ミスター・コンスティボーは知らなかったようだが)。各担任もそれを承知していたようだ。それであるにもかかわらず、こうしてリポートを作成し、面談まで実施し、子供達の勉強や活動のことをお話ししてくれたのである。「短期滞在にせよ、自分が受け持った児童であれば、教師として当然のことです」といわれればその通りかもしれないが。
  思い起こせば、「この学校に通わせたい」と直接グラッシュバーン・スクールに行ったのが9月の中旬。そこで書類を書かされ、制服などを買って、その日のうちにクラスが決まり、あとはこちらの希望の日から子供達の通学が始まったのであった。入学に関して、学校の事務担当者から「まずは教育委員会に行って下さい」などという指示は一切なかったし、提出に困るような書類(たとえば住民票など)の請求もなかった(パスポートだけは見せてほしいといわれたが)。その場での手続きだけで終わりである。その上、アバディーン市が運営しているEAL(外国語としての英語学校)への通学も決まったのであった。
  ところで、日本以外の国から来た、日本語がまったくできない親子が日本に短期滞在することになり、地元の小学校に突然来て、「この学校に通わせてほしい」といったとしたら、どのように対応するのだろうか。これについては、帰国後、小学校の先生に聞いてみようと思う(お願いします、原田先生!)。

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