グラームス城 Glamis Castle

  7月に入って、英国王室皇太后(Queen Mother)の満100歳をお祝いする話題が多くなった。テレビでもいくつかの式典を放映して、そのたびにクイーン・マザーの元気な姿と笑顔が映し出された。どうもこのところ疲れた感じの女王や冴えない表情の皇太子に比べて、杖を両手に持って歩くものの、クイーン・マザーは、いたって健康、笑顔も可愛らしい。記念のCDも発売され、小生などは思わず購入してしまったほどである。
  クイーン・マザーの誕生日は1900年8月4日。つい最近までその誕生日を知らなかった我々は、テレビで式典を放映するたび、『今日が誕生日か』と何度も思ったものである。

  グラームス城(Glamis Castle)は、そのクイーン・マザーが生まれたお城であるという。地図を見れば、そのお城は、ナント、スコットランドにある。しかもアバディーンからは、60マイル程度の場所だ。
  「100歳の誕生日の年に英国に滞在しているのだから、記念に行ってみるか。」
  こんな単純な発想で、7月の下旬、グラームス城を訪れることになった。

  朝、9時40分に我が家を出てA90をひたすらエディンバラ方向目指して走る。天気はあいにくの曇り空。時々霧雨。
  フォーファー(Forfar)を通過してすぐ、道標に従ってA94に入る。この道は沿道に木々が連なりまさに「街道」といった雰囲気。スクーン宮殿を訪れるために一度通った道だ。
  やがて沿道にグラームス城を示す看板が見え始め、11時10分、アバディーンから64.7マイル走ってグラームス城に到着した。

  まず我々を驚かせたのが、お城に続くエントランス。自動車一台がやっと通過できる門をくぐると、お城にまっすぐ続く道。その両側には芝が広がり、背の高い木々がお城に向かって続いている。お城へのエントランスは、フレイザー城に似ている。しかしフレイザー城のエントランスよりも沿道の奥行きがあって、過去見たお城へのエントランスの中では、広々として最高の雰囲気を持ったエントランスであった。

  駐車場の手前で、係員に入場料を支払う。我々はファミリーで£16.50。そこで「日本語のガイドブックあります」という日本語で書かれた表示があったのでそれを購入(オールカラーで£1は安い!)。
  我々が訪れたときには、駐車場はそんなに混んでなく、お城のすぐ近くに車を停めてお城の中へ。

  中にはいると、すぐ左手にトイレ。「まずはトイレ」ということで入ったが、このトイレの内装も見事。何か場違いなところに来たような感じ。何しろ、壁紙は紋章、蛇口も金色。
  トイレを出て2階に上がると、係員がいて入場料の領収チケットを徴収された。係員に「写真撮影もビデオも禁止です」といわれ前にいた人のあとに並んだ。このお城もまた、係員によるガイドツアー形式でお城を見学するようになっていたのである。我々のツアーは我々以外に10名程度だった。

  最初に見たのはダイニング・ルーム。この部屋に入って、我々は度肝を抜かれた。今まで見てきたこの手のお城とは完全に違っていた。つまり、嘘臭くないのである。ホンマもんの貴族の佇まい。その規模、その美しさ、調和のとれた色調。NTS管轄のお城は、どこか『作っているな』といった感じがしないでもなかった。あるいは、『結局、没落貴族のなごりだもんな』と思うこともあった。一方、グラームス城のダイニング・ルームは、けばけばしさも派手さもない。しかし、入った瞬間「ワー」と驚きの声をあげて、その後、言葉が出ないほど素晴らしかった。とにかく見事の一言に尽きる。

  係員がダイニング・ルームの壁と一体化したドアを開けると、螺旋階段が続き今度はクリプト(地下室)。
  ここは、ダイニング・ルームとはまったく違って、部屋一面が石の壁で覆われている。そしてクリプトに続く階段にもクリプト内にも、猟で得た鹿の角が所狭しと飾られている。鉄製の鎧などが展示され、ちょっと異様な雰囲気。そもそもこのお城は1372年までその歴史を遡ることができるというが、このクリプトはこのお城の歴史の中でも古い部分にあたるという。
  ここで係員は「実は、この石壁のあのあたりには(と指さし)、シークレット・ルームがあります」という。彼によれば、そこに部屋があったことは、お城の外から見れば窓があるからわかるという(あとで確認すると、確かに窓があったが、その窓はふさがれていた)。しかしその部屋の入り口はどこにもない。一説には、そこにゴースト(悪魔)を閉じこめて封印したという。クリプトは、そんな話がピッタリの雰囲気を漂わせた部屋であった。

  クリプトを出ると、次はドローイング・ルーム。壁はピンクで天井は真っ白。当地の貴族たちはピンクがお好きなようで、その色調には驚かなかったが、ここでもやはり、これまでに見たどのお城よりも調和のとれた雰囲気に感じ入った。

  ドローイング・ルームの次は礼拝堂。壁や天井におびただしい絵(宗教画)がはめ込まれている。面白いのは、天井の絵の中には、目だけが絵が画れたものや、耳だけが描かれたもの、あるいは首から上だけが翼を広げて飛んでいる絵があったことだ。不気味といえないことはないが、何かを暗示しているように思えて興味深い(係員はここにもゴースト伝説があるという。ゴーストが多いお城のようだ)。
  礼拝堂の次はビリヤード・ルーム。ここではとてつもなく大きなタペストリーに驚き、マルコム王の間では、きれいに飾られた食器(ボーンチャイナ)に目を奪われた。

  そして、ロイヤル・アパートメント。ここは、レディ・エリザベス・ボーズ・ライオン(Lady Elizabeth Bowes Lyon)が1923年に当時のヨーク公(Dule of York)と結婚した折り、レディ・エリザベスのために、その母が改築した部屋であるという。ヨーク公はのちのジョージY世(George Y)であり、レディ・エリザベスは現エリザベス女王(Queen Elizabeth U)の母、つまりクイーン・マザーその人だ(クイーン・マザーは1900年生まれだから、話が非常にわかりやすい。1923年に結婚したということは23歳で結婚したということだ)。

  レディ・エリザベスは、当時のグラームス城主、第14代ストラスモア伯爵(14th Earl of Strathmore)の10人の子供(女4、男6)の末女。当然、レディ・エリザベスはこのお城で生まれたのだと思っていたら、どうやら、幼女時代のほとんどをこのお城で過ごしたことは事実らしいが、生まれたのは別の場所であるらしかった。とはいえ、このお城の主の子供であることには変わりはない。

  そのロイヤル・アパートメントは、3つほどのそれほど広くない部屋だったが、ここもまた、落ち着いた色調の中に豪華さが見られる部屋だった。

  そのあと、ダンカン王の広間(シェークスピアの『マクベス』の舞台がグラームス城であるらしい。ということは、シェークスピアはこことコーダー城を合わせて物語の舞台を作り上げたということだ)と展示室を見学してお城の外へ。ガイドツアーは30分〜40分程度だったが、まったく飽きさせないツアーだった。これまでのこの手のツアーでは英語での解説ということもあって、ちょっと飽きてしまうこともあったが、何しろ一つ一つが興味深い調度品や絵画だったので、英語なしでも十分堪能できたというわけである。

  外に出てみると、最前にはガラ空きだった駐車場には大型バスが5台に乗用車が多数駐車していた。
  まずは自動車に戻って昼食。出がけに調達したサンドウィッチ。晴れていれば設置されたテーブル付きのベンチで食べようと思っていたが、依然として小雨模様。仕方なく自動車の中での昼食となった。
  サンドウィッチを食べて外に出ると、薄日も射し始めてきた。今度は、お城を外側から眺めてみることにした。正面に向かうと、最初にエントランスを通って見たお城の正面には壁に見事な彫刻がはめ込まれていた。正面のすぐそばにはオランダ庭園と呼ばれる庭園があり(ここは何故か立入禁止)、バラがきれいな花を付けていた。また、お城から見れば、目の前にどこまでも続く芝。その先には、ハイランドクーが数頭、草をはんでいた。その芝の中の道を歩いて、イタリア庭園へ。ここは、クイーン・マザーの80歳の誕生日を記念して新たに造園が施されたところであるという。雨に濡れた木々の緑と造園技術の見事さが我々の目を引いた。

  グルッと一回りして自動車に戻ってくると1時20分。大いなる満足感を持ってグラームス城をあとにした。


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