散歩で見付けたこんな街−旧ロシア人街

 朝から晴れ上がった日は、暖かくなったこともあり、朝のうち散歩がてら当てもなく歩くことが多くなった。
 だいたい延安路をまっすぐ下りて中山広場に向かい、友好広場、勝利広場を経由して労働公園のそばを通って大外に戻ってくる。いつもあちこち冷やかしながら歩いているので、所要時間1時間ほどだ(札幌では考えられないほど健康的!)。


勝利橋郵電局(旧大連郵政局新局舎)

 ある日、延安路から中山広場の中心を通り抜け、中国銀行まで横切ってみた。
 進路をやや左に変えると中山広場から上海路が大連港の方に向かっている。
 上海路は、道路をふさいで建設工事中でいつも埃っぽい。しかし、上海路ということばの響きに誘われて、工事中の壁の脇を通り抜けて歩いてみた。何の変哲もない商店街が続いている。
 しばらく歩くと、右手に古めかしい建物が見えてきた。当地に来てからの習性で、石造りの建物を見ると『もしかして日本人が建てたものではないか』と思うようになった。交差点を右折して正面にまわってみる。郵電局の文字が壁に掲げられている。ちょっと目を凝らすと、その入り口のそばに、大連市人民政府の掲げた由来書があった。見れば、1929年に、大連郵政局新局舎として日本によって建てられたものであるという。そして現在は勝利橋郵電局として使われているという。
 『勝利橋?』
 持参した『地球の歩き方』には、勝利橋は、かつては日本橋と呼ばれていたことが紹介されていたハズ。
 勝利橋郵電局の建物を背に、進行方向を見る。上海路と交差している道路は長江路。長江路には路面電車が走っている。そしてその向こうには、たしかに橋が架かっている。しかしこの橋、川を横断するための橋ではない。橋の下は鉄道であった。

 勝利橋の右側には歩行者専用の鉄橋が架けられている。大した長さではない。
 この先に何があるか興味津々で鉄橋を渡ってみた。
 鉄橋を渡り歩を進めるにつけ見えてきたのは、何とも異国情緒豊かな建物だった。


勝利橋脇の歩道橋

ここを横断するのは至難の業

 橋を渡りきり、その建物を間近に見ようと交差点を渡ろうとしたが、これが一苦労だった。
 何しろ、橋のたもとを中心として、放射状に5本の道路がつながっている。
 そしてあちこちから自動車が突っ込んでくるのである。その中を、地元の人は、自動車の間をくぐり抜けるように、あたかもそこに道が開けているように渡っている。
 当地に来て、道路の横断方法を一応マスターしたつもりの小生。しかしこの交差点を渡るまでにはずいぶん時間がかかった。

 何とか横断して最初に見えた建物を間近に見て、そこが旧ロシア人街であることに気が付いた。正確な住所は団結街。
 交差点に面している建物は、現在は、大連芸術展示館として絵画などを展示する建物として使われているものだった。その建物にも、大連市人民政府の手によって掲げられたプレートがあり、それによれば、この建物、1900年に建てられ、ロシアがこの地を占領していた当時、東清輪船公司というロシアの会社が入っていた建物であったという。ロシアが当地を占領していた時期は日本より先のことなので、中山広場のわまりの建物より歴史的には古い建物だ(余談ながら、中国では、ロシアは俄羅斯と表現する。発音はe2 luo2 si1.「ウォロス」に聞こえる)。


ロシア街の左手入り口にある建物

ロシア街正面にある撮影スポット

大連芸術展示館(旧東清輪船公司)

 その建物を右手に見て、一本のきれいな道がまっすぐに延びている。そしてその道の両側には、明らかに中国とは違う雰囲気を持った建物が並んでいる。
 最初に見たとき、直感的に、大外近くの南山旅遊風情街を思い出した。何となく街並みの造りが似ていたからである。


南山旅遊風情街に似ている・・・(ホントは全然違う)

マトリョーシカ専門店

 しかし、違うのは、道路の両側の歩道には、おみやげ屋の屋台が並んでいたことだ。つまりは、ここは、大連の観光スポットのひとつなのである。
 大連の観光スポットとはいっても、街はロシア街。当然、おみやげもロシア風ということになる。ロシア風といっても、ロシアに行ったことのない小生にとって、『これだよな、ロシアのおみやげは』といえるものは、あの人形しかない。そう、マトリョーシカ。だるまのような形の中に、入れ子構造で小さい人形が入っているアレ。
 普通のマトリョーシカは、かわいいロシア娘の絵が描いてある。
 ところが、数多く並んだマトリョーシカの中には、毛沢東の若かかりし頃の絵が描いてあるものもあって、なかなか笑わせてくれる(思わず記念に買おうかと思ったほど)。

 ゆっくり歩いて見てみると、ロシア風の建物はあるものの、本当に古い建物は数えるほどしかないことに気付く。しかもそれがどれほど古いのかはわからない。
 あちこち見回りながら歩いて10分程度。ロシア街の突き当たりにはロータリーがあった。
 そのロータリーの正面には、ロータリーの角度に従ってカーブを描いた大きな建物がある。
 屋上には五星紅旗が翻っていたが、現在でもその建物が使われているのかどうかは不明。正面の入り口には施錠され、その前で、年寄りたちがトランプに興じていたのであった。


ここで終わり

懐かしいと思いませんか?

 ロータリーをグルッと回って帰り道。
 小生の目を引いたのは、ロシア風の建物よりは、ロシア街に接続している路地の数々だった。
 ロシア街を一歩はずれて脇道にそれると、そこは大連市民の普通の生活の場があった。
 それが、何とも懐かしい風景だった。
 小生の記憶の奥底に眠っていた、ふるさとの町の古い街並みがよみがえってきたほどである(これは決して大げさなことではない)。
 たぶん今の日本にはない、誰もが知っている風景が、そこにはあった。[7/May/2002]

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