大連広場めぐり1−労働公園・人民広場・奥林匹克広場・中山公園

 大外は、比較的立地条件が良く、中心部にも歩いて出ることもできるし、大外を始発にして中心部を経由して大連理工大学まで運行している23路バス(1元の均一料金)を利用すれば、さらに中心部が近くなる。

 当地に来てすぐ、「2002大連交通旅遊図」を入手した。中山広場付近で、道ばたにシートを引いて店を広げているおじさん、おばさんが沢山いて、彼らのところで買って5元(約80円)。
 この地図、大連市の全路線バスの番号と停留所が記載されている。ヒマがあれば大外を中心にして、どこに何があるか、どうやっていけばいいかを調べていた。
 しかし、この地図には難点があった。
 その一つ。縮尺が示されていない。バスだけを利用するのなら、縮尺など不要なのかもしれないが、徒歩で移動するということになると、何とも心許ない。わかるのは「近いか、遠いか」という相対的なことだけだ。地図上では近いけど歩いていけるのか。これは実際に歩いてみるしかないのである。
 もう一つ。等高線が示されていない。大連は、大連港方向以外、三方に小高い丘や山がある。地図によれば、大外のすぐ裏手にも、南山と表示された山があり、実際に見上げてみると、それほどの標高はなく、いつでも登れそうな山である。しかし、その山頂がどれほどの高さなのかは、地図からはまったくわからない。これまた実際に登って見るしかない(登っても標高はわからないのだけれど・・・)。蛇足ながら、中心部付近には、大小いくつもの道があるが、地図上、その道の上に黒い字(当たり前だがすべて中国語漢字)で代表的な施設(たとえばホテルなど)が所狭しと書いてあるので、道路が見えなくなっている部分もある(地図を監修している大連市勘察測絵研究院の皆さん、ぜひ、縮尺とだいたいの等高線を書き入れてくださーい)。

 さて、4月に入って暖かくなり、桜の花便りが聞かれ始めた頃、学生を誘って、徒歩で巡る広場・公園ツアーに出かけることにした(そんなに大げさなものではない)。

 大外を午後1時に出発。最初の目的地は大連労働公園。
 大連市中心部で最大の公園である。
 ぶらぶら歩いて15分ほどで到着。
 ここは、朝7時から夜7時までの時間帯は入場料5元。学生によれば、早朝と夜7時以降は無料になるとのことだった。早朝には太極拳をする老人の姿を見ることが出来るという。ただ、無料というより、服務員がいないので勝手に入ることが出来るというのが正確だろう。
 これまた学生によれば、労働公園には、桜の木もあって、毎年4月中旬頃、満開になるとのことだった。
 園内に入ると、公園の奥にサッカーボール型の構築物、そしてさらに奥の山の上に電視塔が見える。
 我々はまず、案内図を頼りに、桜の木があるあたりに行くことにした。
 園内には、れんぎょうを中心として、名前はわからないながら、色とりどりの花が咲いていた(ほとんどが木に咲く花)。遊歩道を歩いていると、どうやらこれが桜かなと思われる木を一本だけ発見。
 しかし、すでに葉桜状態だった。
 今年の大連も暖冬だったということなので、早々に満開になってしまったのだろう。樹皮を見れば、それはたしかにソメイヨシノのようだった。
 大きな幹を持つそのソメイヨシノの近くに記念碑が建立されており、学生と一緒に読んでみると、それは、7年ほど前に、大連に産業技術を教えに来た日本の団体が、大連との交流を記念して、ソメイヨシノの苗を寄付したという。その苗は、大きな幹を持つソメイヨシノの近くに植えられていたが、現在でもまだ低木で、大切に手入れされていた。相当数の桜の木なので、それらが大きくなれば、その付近は、絶好のお花見スポットになると思われた。
 その後は、遊歩道を当てもなく散策。
 この公園には、いくつかの施設がある。
 まず大木の枝に、作り物の葉を付けて、これまたあたかも木に彫刻を施したかのような感じでゾウや猿の姿を映しだし、人を呼んでいる場所がある。その大木の下にいたのは、クジャクだった(アバディーンで見た、尾の長い真っ白の鳥もいた。もしかしてクジャクのアルビノ?)。


すべて本物の木なのか、非常に怪しい。

 クジャクたちのまわりには、一応、柵はある。しかし、しょっちゅう柵から外に出る。それを服務員が長い棒で追い立てて柵の中に戻している。
 「でもクジャクならきれいな羽を広げるはずなのにね。」
 「そうですね。」
 柵の近くに、こちらを向いて何かしゃべっているおばさんがいた。
 学生も、最初は何をいっているのかわからなかったらしい(大連の方言は中国の中でも「一流」の難しさなんだとさ)。
 「あれは、えさを買いませんかといっているようです。」と学生。
 「プーヤオ(不要)」といって、さっさとその場を離れた。すると今度は動物園にあるような鶏小屋があり、その中を覗くと、クジャクが、大きな羽を広げてこちらを見つめていた。
 「ということは、外に出ているクジャクは羽を広げられない?」

 さらに歩くと、ダチョウと丹頂鶴と一緒に飼っている小屋があったり、芝生に鹿が群れていたりと、何だかよく理解できないコンセプト。
 公園自体は、なだらかな丘のようになっていて、入り口からどんどん丘に登る感じだ。
 その緩やかな斜面に作られた道を登っていくと、正面に、赤と白の巨大なサッカーボールが見える。これは大連市建築芸術館という、立派な施設らしいが、我々は割愛。サッカーボールを見ながらさらに登ると、左手に遊園地が現れた。観覧車もメリーゴーランドもあるが、客は、一人か二人しかいない。
 遊園地の近くにリフト乗り場がある。このリフト(3人乗り)は、電視塔(テレビ塔)の前に運んでくれるらしい。しかも、帰りは、超長ーい滑り台を降りてくることもできるらしい。
 そこ振り返って公園を見渡すと、目の高さに、中心部の高層ビル群が見える。まさに都心の公園といった風情。

 2時40分に労働公園を出て、今度は人民広場に向かう。人民広場へは、解放路を左折して五恵路に入り、途中から中山路をまっすぐ進む。
 このあたりは道幅も広く自動車の往来も多い。しかも五差路になっているような場所もある。歩道を歩いている限り問題ないが、ひとたび横断するということになると命がけになる。何しろ、交通ルールが有ってないようなもの。もちろん、横断歩道はある。歩行者用信号もある。しかし、歩行者用信号でじっーと青になるのを待つ人は少ない。また、赤信号で自動車は直進はできないものの、右折はできるようで(自動車は、一応、右側通行)、歩行者用信号が青だからといって安心して渡ることはできない。
 「ったく、どうなってるの?」と愚痴る小生。
 人民広場に向かいながら学生が話してくれた小話。
 「ある中国人男性がアメリカに行きました。そこでアメリカ人の女性と恋人になりました。ある時、二人は道をはさんで横断歩道で向き合いました。信号は赤でした。男性は、自動車の間をぬうようにして女性の方に歩きました。それを見た女性は『あなたのような交通ルールを破る人とはつきあえ会えないわ』といって去っていきました。ショックを受けた男性は中国に戻りました。中国で男性は中国人女性と付き合いました。またまた、横断歩道で向き合いました。信号は赤。アメリカで懲りた男性は青になるのを待っていました。青に変わって女性のところに行った男性に、女性は『あなたのようなのんびりと信号を待っている人とはつきあえないわ』といって去っていきました。」
 中国の交通事情を言い表した良くできた話。

 3時過ぎ、人民広場に到着。
 ここは芝生が広がる長方形の広場。中に交差する歩道が造られている。公園の中に入って見回すと、公園を囲むように、国徴(国の紋章)を掲げた古めかしい建物が建っている。広場に入って前方(北側)に見えるのが市政府の建物(大連市人民政府と市人大。『地球の歩き方』によれば旧関東州庁だという)、その左側(西側)には市法院(旧高等法院)、右側(東側)は市公安局の建物だった。


奥に見えるのは公安の建物(凧が見えますか)

 そして多くの人々が凧揚げを楽しんでいた。
 これが噂に聞く中国の凧揚げ。
 子供だけではなく、というよりむしろ大人が高くあげて楽しんでいる姿が印象的。凧を持たない我々に凧売りが近づいてくる。
 その凧は、ほとんどが薄いビニール製で、どちらかといえば、日本の凧ではなく西欧のカイトである。
 大連は風が強いので凧揚げには絶好の場所だ。走って風を受ける必要はない。その場でちょっと糸を引けば風に乗って揚がる。無数の凧が風に乗って飛んでいる。それでも、学生によればこの日は少ないという。

 人民広場から西の方に中山路を歩いて、程なくして奥林匹克広場(オリンピック広場)に到着。
 ここは、それほど広くはないが、こぎれいな感じがする。
 奥林匹克広場の中央に五輪のマーク。
 「これは北京オリンピック開催を記念して作られたのかな?」
 「?????。」
 敷地内にはサッカーのグラウンドがある。そして五四路をはさんで南側には大連市人民体育場がある。ここは大連のサッカーチーム大連実徳のホームグラウンドだという。
 「ここで、私たちの運動会をやるんです。」
 「へー、こんな立派なところでやるの?」
 「そうです。私は出場しませんけどね。」
 「どうして?」
 「去年出ましたから。スポーツは苦手で・・・。でも彼女は、今年出ます。1,500メートル走です。」
 運動会は結構本格的らしい。


五輪の後ろにも凧

大連市人民体育場

 奥林匹克広場がこぎれいな理由。
 それは、ここに、アメリカ資本のスーパー沃爾瑪(Wal-Mart:ウォルマート)があるからかもしれない。大連市民のみならず、大連に住む外国人が日常的に訪れる場所だから、とくにきれいにしているのかもしれない(念のためいっておけば、全般的に、大連市内はゴミの少ないきれいな街である)。

 ここまで来て、地図を広げれば、北側に中山公園なるものがある。なかなか大きそうだ。
 そこで、中山路から東北路に入り、東北路を左折して黄河路を歩く。
 するとすぐに、大きな中国らしい建物が見えてきた。
 「あれは何だろうね。」
 「お寺?」
 などと話しながら、近づいてみると、それはレストランだった(と学生がいっていた)。そのレストランを右に見やってしばらく歩くと、中山公園の入り口だ。

 紛らわしいのだが、大連市の中心部に中山広場というのがある。そして広場のまわりがランダバウト(ロータリー)になっている。我々が来た中山公園は中山広場ではない。余談ながら、中山路という大きな道路もある。かつて学生に聞いたところによれば、中山とは大連にゆかりのある人物の名前であるという。中山といえば孫文が確か孫中山という名前だったような。しかし孫文と大連の結びつきは、乏しい小生の知識内にはない。

 さて、中山公園では面白いものを見付けた。それはゲートボールである。ちゃんとしたゲートボール場があり、老人たちが興じていた。
 「あれはゲートボールだよ。」
 「ゲートボール?」
 「そう。たしか日本で生まれたスポーツ。現在では若者の中にもゲートボールをする人もいるようだけれど、だいたいは老人のスポーツだね。」
 ルールは知らないながらしばらく観戦。学生たちも興味津々といった感じで見ていた。

 公園の中には、ゲートボール場以外、これといった施設はない。ブラブラ歩く場所。片隅で老人たちがトランプに興じていたり、木陰で太極拳をしている人もいる。
 われわれもブラブラ歩く。
 公園の奥の方に大連電視台の広播電視中心(マスコミセンター)の建物が見える(大連電視台の放送でよく出てくる建物)。
 公園のすぐ近くに巨大な建物。
 日本にそっくりだ。ロケーションは違うが、大通公園のまわりにビルが林立しているのと同じ印象。

 さすがに公園を歩いていて足に疲れを感じ始めた。時計を見れば4時を回っている。
 「さ、帰ろうか。でも今度はバスで。」
 「そうしましょう。」
 ということで、最寄りの31路バスに乗車し中心部に戻ってきた。[16/Apr/2002]

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