クレイグストン城(Craigston Castle)

  このお城を訪れたのは、我々が日本人初といってもいい過ぎではないだろう。何しろ、日本語のガイドブックはもちろん、愛用しているロードアトラスにも、その所在は記載されていないのだから。

  だいぶ前に、市役所(Aberdeen City Council)に行って、公共交通機関の無料ガイドマップをもらっていた(陳列棚から持ってきただけだが)。その一つにアバディーンシャー(Aberdeenshire:地域名)、モーレイ(Moray:地域名)およびブルーバード(Bluebird:中長距離バス会社)が共同で発行している運行ガイド(Public Transport Guide)があった(1999年4月発行)。これにはバス路線が記載されたグランピアン地方の地図が記載されていた。この地図には、地域のおもな見どころ(といってもお城が中心だが)も記載されていた。
  その地図をつらつら眺めてみると、すでに行ったことのあるお城やこれから巡ろうと計画しているお城などとともに、今まで聞いたことがないお城があった。それがクレイグストン城であった。地図を見れば、このお城は、タリフ(Turriff)を越えたところに位置している。しかし、この地図、バスの運行系統番号は詳細に記載されているが、道路番号は一切記載されていない。考えてみれば、バス利用者のための地図であるので、その場所に行くために何番のバスに乗ればいいのかだけが重要な情報であって、道路番号は必要ないわけだ。それはいいとしても、我々は自分で行こうというのだからこれでは不便この上ない。仕方なく、その地図とAAのロードアトラスを突き合わせながらそのお城を目指すことにした。

  当面の目標であるタリフには、自宅からはまずB997に乗ってA947に入る。A947はバンフ(Banff)に向かう道路で、グランピアン地方の内陸部を走るのどかな道路である。例によって道路の両側には草をはむ羊たちが見える。4月に入ってベビーラッシュらしく、どの道を通っても、かわいい子羊を見ることができる。この道も例外ではない。
  小一時間ほど走ってタリフを通過。通過してやや行くとB9015と交わる。助手席でナビゲーターをしているのは長女だ。バス地図ではどうやらこのB9015を入ったところにクレイグストン城があるという。まずは右折。長女は「近くにフィントリー(Fintry)というところがあり、その右手にお城があるはず」という。その言葉どおり、B9015に入って5分も走るとフィントリーの文字。「この辺りだね」といいながら走ったが、どこにもクレイグストン城を示す道標は見つからず、一度はフィントリーを越えてしばらく走ってしまった。
  どうやらおかしい、ということに気付いて引き返す。今度は進行方向左側にお城があるはずだったので、注意深く車を走らせると、ちょうどフィントリーという集落に入る手前でカーブしている道の左手に、小さな文字でCraigstonと書いてある標識を見付けた(標識といっても相当小さい)。
  その道を入ると、Craigston Castleの標識。やがてCar Parkの標識。「あった、あった」


こんな小さな標識にCastleと書いてある

  駐車場に車を停めると、Castleを示す標識。やっとクレイグストン城に到着した。自宅からは43.2マイル、1時間ちょっと。しかし、B9015からお城に通じる道は狭く、駐車場付近には家が建っていたが人の気配はまったくない。静寂だけがあたりを包んでいる。何かイヤな雰囲気。
  それでも駐車場から徒歩でお城に近づく。周囲は背の高い木々。
  駐車場からお城まではほんの1〜2分の距離だったが、駐車場の近くにある建物のせいで、駐車場からはお城が見えなかったのであった。

  お城のそばには自動車が一台停まっていたので、誰かいるのかもしれなかったが、依然として人の気配はない。ただ大きなお城がそこに建っているだけであった。中央入り口の門は固く施錠されていた。窓越しに中を見ると、窓際に人形や、ビリヤードの台などが見え、どうやら最近まで、もしかすると現在でも使用されているかもしれなかった。壁にはいくつかの彫刻があったが、その一つに1607年の文字が見える。しかし、このお城が誰のもので、どこまで歴史をさかのぼれるかはまったく不明だった。

  裏庭の方に廻ると、芝の上にたくさんのウサギがいて、我々を見付けると一斉に脱兎のごとく茂みに逃げ込んだ(脱兎のごとくではなくウサギそのものだが)。そしてまた静寂。子供は恐いといい始める。
  午前中は晴れていた空も雲行きが怪しくなり始めてきた。内部にも入れず資料らしきものもなかったので、15分ほど歩き回って車に戻った。


正面
   
裏庭から見たCraigston Castle

  それにしても、このお城はなぜAAのロードアトラスに記載されていないのだろう。そしてなぜ、バス地図には記載されていたのだろう。何もわからないまま、「我々が日本人初」という、ただそれだけを祈念して、クレイグストン城をあとにした。


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