感動した!大外学生と盲聾学校生とのふれあいの夕べ

 4月に入り、天気のいい日、安定した日が続くようになった。
 それに伴って、学内でもいろいろなイベントが行われるようになった。水曜日の午後は講義は入っていない。これは学生も教員も同じである。ただ、教員はその時間に会議などが入ることもあるようだが、小生にはほとんど関係ない。

 ある日、3年生のKさん(女子学生)が、一枚のチケット(入場券)を持ってきた。聞けば、大外の学生と盲聾学校生たちのパーティであるという。入場料が3元。これは全額寄付にまわされるらしい。お金を払おうとするといらないという。「これまでキャノン杯(日本語コンクール)の作文についていろいろアドバイスいただいたので、これはそのお礼です」というのが言い分だった。

 4月3日、Kさんが迎えに来た。会場は大外の礼堂(ここは卒業式にも使われるホール)。4時から始まるとのことだったが、実際に始まったのは4時15分頃だった。
 「大外学子與盲聾少年心連心活動晩会」
 これがこのイベントの名前である。Kさんはパーティといっていたが、パーティよりはコンサートといった感じで、日本語流に表現すれば「大外学生と盲聾学校生とのふれあいの夕べ」といった感じだ。主催は日本語学院分団委学生会(これ、どういう組織だろう)。会場の裏方として、知っている学生が忙しく働いていたし、聴衆としても小生のクラスを受講している学生が数多くいた。

 4時15分、幕が左右に分かれ、舞台に楽器を持った11名の盲聾学校生が現れた。一見して盲者だとわかる。年齢は小学校高学年から高校生ぐらい。主体は中学生ぐらいの男子。彼らは目が見えないので、もちろん譜面台ははない。司会進行の女の子2名も盲目だ。
 プログラム1番は器楽合奏で2曲連続。
 最初の曲は『紅領巾之歌』。
 「紅領巾というのは小学生たちが首に巻く赤いスカーフです。」とはKさん。
 いかにも中国の子供たちを行進させる時に使いそうだなと思われる曲調。
 2曲目はプログラムを見てすぐにわかった。
 「これは、ラデツキー行進曲でしょ?」と小生。
 「ええ、そう読みます」とはKさん。プログラムには、『拉徳斯基進行曲』と書かれていた(行進曲ではなく進行曲と表現するのですね)。
 その演奏のすばらしさに、ただただ感動。うまいとか下手だとかそんなことを通り越して、心に響く演奏だった。

 プログラム2番は舞踏。タイトルは『娃娃楽』。こちらは全員中学生ぐらいだ。鮮やかな衣装を来て彼女たちが出てきたとき、元来、涙腺が緩い小生、ウルウル。
 『やばいなー。』
 彼女たちは、笑顔を振りまいて、音楽に合わせて楽しそうに踊っている。ただ、彼女たちは、絶えず、客席後方のある一点を見て踊っていた。客たちの中には、彼女たちの踊りを見ながらもその視線の方向、つまり後方を振り返る者もいた。そこには、手話を取り入れた振りで彼女たちをリードする人がいた。そうなのだ、彼女たちは耳が聞こえないのであった。これを知った小生、涙を止めるのに必死。

 プログラム3番は女声独唱『兵哥哥』。
 「これは兵隊さんといったような意味です。」とKさん。
 この歌を歌ったのは、司会をしている女の子のうちの一人。中国の歌らしい非常に高い声で歌っている。
 「うまいねえ。」
 プログラム4番は薩克斯(サックス)独奏『櫻桃紅了』。もちろん盲目。ラテン音楽で聞いたことがあるメロディだが曲名が思い出せない。「真っ赤なサクランボ」という意味だろうか(そんなタイトルのラテン音楽があったような・・・)。

 ここまで聞いてKさんが中座した。
 同じ時間に、キャノン杯に出場する3年生の最初の選考会があり、Kさんはその選考会に出席するために中座したのであった。
 「終わったらまた戻ります。」 

 その後、さまざまな演奏、歌、踊りが披露された。
 プログラム5番、独唱『祝福』。これは大外の日本語学院の男子学生が友情出演。これがすこぶるうまい。
 プログラム6番、舞踏『小海燕』。もちろん、聾唖者。
 プログラム7番、単簧管(クラリネット)独奏、『単簧管波爾卞』。クラリネットポルカだ(ただし、「卞」の字は日本語にない字で、漢字の上と下を上下に貼り付けた字。カードの意味を持つ漢字)。
 ここで、Kさんが戻ってきた。
 「いやー感動的ですね。」とは小生。
 「そうですか。」とKさん。

 プログラム8番は女声独唱『少女的ha3 da2』(ピンインで表した文字は日本語にはない)。
 「このha3 da2というのは、モンゴルの細長い布のことです。それを子供の歌にしたものがこの曲です。」とKさん。
 見れば、赤い洋服を着た10歳ぐらいの女の子が大声で歌っている。この子は盲目。
 この後がいけなかった。
 プログラム9番は歌伴舞、『盲童的心愿』。「盲目の子供の願い」といった意味。
 先ほどの赤い洋服を着た女の子が切々と歌う。その後ろで聾唖の女の子(15〜16歳ぐらい)6名が「歌に合わせて踊っている」。
 途中でセリフが入る。
 「この女の子は12歳だそうです。そして、目が見えない私の願いは、一度でいいからお母さんの顔が見たいというものです。」とKさん。
 「媽媽(マーマー)」と女の子の叫び声。
 すると、舞台の袖からお母さんが歩み寄って来て、少女を抱きしめる。
 『あー、イカン。』と思うまもなく、ウルウル。見ればKさんも泣いている。
 その歌の途中で、チャリティ・ボックスが廻された。もう感情的になっている小生、迷わずお金を入れた。

 プログラム10番は、友情出演。今度は英語学院の女子学生が独唱。『燭光里的媽媽』。
 「キャンドルのようなお母さんといった意味かもしれません。」とKさん。
 歌としては日本語学院の男子学生の方がうまかったかなと思う。でもこの学生もいい声。
 プログラム11番、小号(トランペット)重奏、『鴿子』。これはハト。盲目の二人がトランペットを吹いている。それにしてもどうやって出だしを合わせているのだろうかと思わずにはおれない。

 思わず口ずさんでしまったのがプログラム12番、薩克斯(サックス)独奏『海之夢』。
 「これは海の夢という曲です。」とKさん。
 「いいや、違うよ。この曲は日本の曲ですよ。」
 「えっ、本当ですか?」
 「本当。もうずいぶん古い曲だけど、今でも歌っているよ。」
 「そうですか。」とKさん。
 なんと、サックスで奏でられたメロディは、加山雄三の『君といつまでも』だったのである。曲に合わせて歌うことができたのは小生だけだったかもしれない(ハハハ)。

 プログラム13番は、中国の民族楽器、管子の独奏、曲は『郷音情』。単純な縦笛のようだが、演奏をした盲目の男の子は、顔を真っ赤にして吹いていた。プログラム14番は、手風琴(アコーディオン)独奏、『云雀』。盲目の女の子の演奏。これが非常に早い曲で、とくに左手の動きが恐ろしく早い。しかもまったく音をはずさない。見とれてしまいアッという間に演奏が終わってしまったといった感じだった。プログラム15番は独唱、『小背簍』(背負いかご?)。
 そして最後は、舞踏『希望』。
 これは、18歳ぐらいとおぼしき女性たちが、色鮮やかな衣装を身にまとい、あたかもバレエをするように、曲に合わせて優雅に踊っていた。あまりに動きが曲に合っているので、なんの違和感もなく楽しむことができたが、彼女たちも、やはり聾唖者で、視線は絶えず、客席奥の一点を見続けていた。

 終了は5時40分。
 会場を出たときには、夕日がまぶしかったが、何となく爽やかな気分だった。

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