行ってきました!北方の桂林−冰峪溝

 「ひょうよくこうに行きたいんだけど・・・。」

 キャノン杯が終わってから、社会人の部で金賞を受賞した大学院生のCさんが小生の講義を聴講している。
 6月最後の木曜日の講義には、もう一人の院生Kさんとともに出席していた。
 「そういえば、今週の土曜日にロシア語学院の院生が冰峪溝に行くということですよ」とKさん。
 「できれば一緒に行けませんかね。」
 「聞いてみます。私たちもまだ一度も行ってませんから」とCさん。
 木曜日の夜、金曜日と、Cさんはアレンジのためにあちこちに連絡を取ってくれたようだ。そして同行できることが決まったのは、金曜日の夜8時過ぎだった。
 こうして、突然、冰峪溝行きが決まったのであった。

 当地に来て1泊の旅行も経験していなかった小生には、一度だけでも、訪れてみたい場所があった。
 冰峪溝(bing1 yu4 gou1)。
 北方の桂林という異名を持つ、この景勝地の名前を聞いたのはいつのことだったろうか。

 当日の朝、6時30分に正門前に集合。
 当初、ロシア語学院の院生が10名程度参加の予定とのことだったが、最終的には2名で、一方、日本語学院は、Cさん、Kさん、小生と3名。乗りかかった我々が数の上では多くなった。
 タクシーで北港橋バスターミナルに向かい、そこから冰峪溝行きのバスに乗る。
 Cさんの話では、冰峪溝へは、高速道路を使って行くルート(だいたい80元)、タクシーを使うルート(700元)などがあるという。
 また、以前、M先生に聞いた話では、冰峪溝へのツアーは、勝利広場の九州華美達酒店(Ramada Inn)の長江路向かいにある大連渤海旅游国際総公司(281−8480)で申し込め、土曜日の朝8時に出発して、安波温泉に1泊して、日曜日午後大連に帰り、250元くらいとの情報を得ていた。
 で、我々が乗ったバスは、各停留所に停まりながら行く、フツーの乗り合いバス。冰峪溝まで、22.5元(安い!)。
 バスは、朝7時25分にバスターミナルを出発。途中、金州を8時30分、普蘭店を10時、庄河を10時50分に通過。
 沿道に見える風景は、日本の田舎とほとんど同じ。田んぼが見えるところもあれば、果樹畑、トウキビ畑が見えるところもある。違うのは近く遠くに見える民家。石や煉瓦造りの家々。
 そして1泊することになっていた宿に到着したのは11時50分だった。4時間半の行程だった。


1泊10元

 「ここに泊まります。民宿です。」
 Cさんが指さしたのは、正面にはトウキビ畑、裏手に岩山が見える、1階が物置や作業部屋、2階が住居という造りの民家だった。
 民宿には違いがない。しかしそこは典型的な農家の家。非常に興味がそそられた。
 「1泊10元です」とCさん。
 「10元?」
 「安いでしょ?」
 10元といえば160円だ。ナント、160円で泊まれる。
 部屋を見て回ると、全部で6部屋あり、オンドルの部屋もあれば、4畳半ほどの部屋もある。泊まろうと思えば20名程度は泊まれそうな大きな家だ。
 庄河を過ぎたところから、5歳の女の子を連れた女性がバスに乗ってきたが、その女性は、わざわざ我々のために迎えに来た、その農家のお嫁さんであった。
 あちこち見て、小生は山側の4畳半の部屋に泊まることにした。
 「こういったところで日本人が一番困るのはトイレでしょうね」と院生の2人。
 たしかにそうだ。トイレは、建物の外で、男用、女用に分かれているものの、煉瓦で囲っているだけ。角度によっては外から丸見え。排泄物はそのまま畑の肥やしになるようにできている。日本でも30年ぐらい前の農家はこういう作りだったような気もする。
 ロシア語学院の2人は、あらかじめ別の民宿を予約していたようで、この農家に泊まるのは日本語学院組3名で、結局この日に宿泊するのは我々以外にはいなかった。
 到着後、ロシア語学院の2名が民宿に来て、とりあえず我々の民宿で遅い昼食。
 外のテラスで農家料理を食べる。肉も野菜もごった煮といった料理。意外と油は使っていないなといった印象。
 「これが農村の料理なんですよ」と院生は教えてくれたが、最後には「ここのは美味しくない」と、評価は手厳しいものになって昼食は終わった。


英納湖

 1時20分頃、家の裏出口を出て、丘の細道を歩いていよいよ冰峪溝観光へ。
 15分ぐらい歩くと、フェリーターミナルに到着。ここは英納湖と呼ばれる湖で、そこからフェリーに乗って景勝地に向かう。フェリーは大人が60元(帰りは、もちろんタダ)。院生の皆さんは学割で45元。ロシア語学院の一人の院生がガイド証を持っていて心強い。
 フェリーが静かに岸壁を離れる。天気は薄日が差す程度。湖の水はにごっている。両側には、ゴツゴツとした岩山が見える。しかし、何の変哲もない風景といえばそれまで。こういった岩山の風景は大黒山に登ったときにも見ていたので、はじめはちょっと拍子抜け。
 途中、向かって右側の岸壁に瀟洒なホテルが建っており、大きな横幕が垂れ下がっている。そこには「日式施設、4名1室480元」とある。
 15分ほどで、景勝地側の岸壁に到着。
 ここも普通の観光地によくある風景。売店や餐庁などが軒を並べている。


山の風景区

 冰峪溝は、全員が初めて訪れたところなので、すれ違う他の観光客や係員にルートを聞きながら歩く。
 最初は急な坂道の石段を登る。そして下る。

 やがて、モンゴル族の普段着のような衣装を着た人に手招きされて、最初のスポット、モンゴル族のパオがある場所を見学することになった。
 ここでは、モンゴル族の花婿・花嫁の衣装を着て写真を撮ることができ、院生の皆さんはそれぞれに楽しんでいた(もちろん有料)。みんななかなか似合っている(小生も写真を撮ったのだが、絶対にホームページにのせてはダメというCさんの要望により写真は割愛)。
 そしてさらに奥に歩くと、今度は山道に入る。その入り口には20頭ほどの馬がつながれている。その馬に乗れば往復50分ほどの道のりであるという。価格交渉をしたものの(60元が25元にまでなった!)、結局、徒歩で行くことにした。
 所々に奇岩があり、それぞれに名前が付いている。猿の頭の部分に見えるとか、鷲に見えるとか。足下には小川が流れ、小さな魚が無数に泳いでいる。
 しばらく歩いたが、どうにもしっくりこない。これは全員が思っていたことで、『これが桂林?』という思いがあった。
 途中で戻り、パオのある場所から川沿いに上流に向かうことにした。
 この頃には天気は急速に回復し、上空は雲ひとつなくなっていた。
 そしてその川は、英納湖とは違って澄んで透き通っていた。

 「桂林はこちらのほうですよ。さっきのモンゴル族の方向は山の風景を見るところだったようです。あの人たちにダマされたあ」とKさん。
 川には、所々に渡り石があって、左岸から右岸、右岸から左岸というように、川を渡ることができるようになっている。
 CさんもKさんもサンダルを持ってきていて、川の中を気持ちよさそうに歩いていた。
 小生は、渡り石をソロリソロリ歩く。
 ふと振り返ると・・・「あっ!」
 Kさん、川底の小石に足を取られ、あえなくドボン。下半身ずぶぬれ。
 「大丈夫?」
 「大丈夫じゃなーい!」
 それにもめげず、Kさんも上流を目指す。

 上流に行くに従って、次第に川幅が狭まり、それと同時に両側の岩山が迫ってくるようにそびえ始める。

 川の水はどんどん澄み切っていく。
 そして4時頃、小桂林といわれる冰峪溝の中心部に到着。
 そこは、川幅が広がり、ちょっとした遊び道具や売店などもあった。ここでしばし休憩。
 そこにあった地図を見れば、我々が歩いてきたところは、冰峪溝景勝地といわれる地域のごくごく一部で、ここからさらに奥に仙人洞国家森林公園が広がっている。ある地図によれば、そのあたりは、47平方キロに及ぶというから想像もつかないほど広大。

 「最後のフェリーが出るのは8時です。ちょっと時間がないので、森林公園の方には行かないで、この川をもっと上の方に行ってみて、その後戻りましょう。」
 休憩の後、川沿いの道をさらに上流に歩く。日はだいぶ傾き始め、うっそうと茂った赤松などの木々によって部分的に暗くなる場所もある。しかし、岩山の頂には日の光があたり、その部分だけが金色に輝いて見える。

 午後6時頃、もうこれ以上行けばフェリーに間に合わなくなるかもしれないと思われる場所でたたずむ。
 たゆたゆと流れる水。
 それを囲む岩山。
 静寂。
 静まりかえった中で、せき止められた部分の一部から噴出する水の音。
 ヒンヤリとした空気。
 まさに山紫水明。

 桂林には行ったこともないけれど、そして桂林はここ以上に幽玄な風景が広がっているのだろうけれど、冰峪溝にも、我々を感動させる風景がある。
 全員、しばし声も出ないほどの風景が、目の前にあった。


ここが中心部

幽玄です。

 帰りは、川沿いの舗装された道を電気自動車で戻った。
 料金は交渉次第。ロシア語学院の院生は、さすがにガイド証を所有しているだけあって交渉上手。相手がお手上げの表情を見せるほど値切って乗車。
 さらに、最初は山道を歩いた場所では、渡し船(2〜3分ほどで2元)を使って英納湖のフェリー乗り場に向かう。
 フェリー乗り場付近には別荘が建ち並んでいた。
 午後7時15分、乗り場に到着したフェリーに乗船してフェリーターミナルに戻る。
 すでに直射日光はないが、それでもまだずいぶん明るい。

 夕食は、ロシア語学院の院生が泊まっている農家で食べた。
 キュウリとクラゲのあえ物、卵焼き、そして典型的な農家料理であるというジャガイモ、ささげなどが入っている煮物。日本でも食べるような煮物だ。卵焼きの美味しかったこと!
 小生は料理とともに「冰峪」という地ビールを、グラスではなく茶碗で飲む。
 「ホントは、白酒を茶碗で飲むんですよ」とはKさん。
 そこの若い夫婦と話をして(というのは院生たちだが)、9時過ぎ、我々3人は民宿へ戻ることにした。

 外に出ると真っ暗。
 そして・・・。
 「!!!!!」
 次の瞬間、全員が歓声を上げた。
 満天には無数の星々のきらめき。
 我々の驚きとは別に、見送りに出ていた若い夫婦は「我々はいつでもこんな星空を見ていますからねえ」と涼しい顔でいっていたそうだ。
 大空を見上げながら細い道を歩く。
 「きれいだなあ。ホントにきれいだなあ。」
 「先生、足もとに気を付けて!」といわれた矢先よろめく(ははは、ビールのせい?)。
 真っ暗な中、小生がたまたまもっていたライトを点けて道を確認しながら歩く。2度ほど家を間違えたが、9時30分頃到着。

 その後、あまりに星がきれいだったため、農家のテラスの椅子を3つ並べて、3人で星を見た。
 3人がわかるのは北斗七星だけ。
 あとは、ただただ無言で見上げているだけ。
 「あ、今流れ星!」とCさん。
 しーんと静まりかえった中で、360度、見えるところには星がある。プラネタリウムの比ではない。
 大連では(というよりほとんどの町でもそうらしい)、これほど多くの星を見ることは不可能。中国は日本以上にネオンやライトが明るい。そのため、見える星は相当等級が高い星だけで、しかも数えるほどだ。それがここには手を伸ばせば届くほどに星々が間近に見え、しかも隙間がないほどの多さだった。
 「このまま、ここで星を見ながら寝ていたいなあ。」
 これは実感だった。

 翌朝は快晴。
 日の光を浴びながら、Kさんが持参したモーニングコーヒーとしゃれ込む。
 太陽が昇り始めていた。
 7時30分、ロシア語学院の院生と合流して帰路。
 帰路は、途中、庄河でバスを乗り換え(ここでも価格交渉)、心地よい疲労感を抱えながら大外に戻ったのは、午後1時だった。
 付き合ってくれたCさん、Kさん、そしてわがままな日本人の同行を許してくれたロシア語学院の方々、多謝。[4/Jul/2002]

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