バルモラル城 Balmoral Castle

  アバディーンを中心にするグランピアン地方には、ビクトリア・ヘリテイジ・トレイル(王室ゆかりの地を訪ねるルート)がある。このビクトリア、1837年から1901年まで英国の女王だったクィーン・ビクトリアに由来する。
  歴史をひもとけば、現在の女王はいわずとしれたエリザベスU世。彼女は1952年からクィーンだが、その前をビクトリアまで遡れば次のようになる。

エリザベスU世 1952年〜
ジョージY世 エリザベスU世の父・ジョージX世の息子 1936年〜1952年
エドワード[世 ジョージX世の息子 1936年
ジョージX世 エドワードZ世の息子 1910年〜1936年
エドワードZ世 クィーン・ビクトリアの息子 1901年〜1910年
ビクトリア 1837年〜1901年

  何やらややっこしいが、いいたいことは、ビクトリアからエリザベスU世までの間には4人の王様がいるということ(すべてキングである)、そしてクィーン・ビクトリアの時代から現在まではおおむね100年から150年であるということ。
  そのクィーン・ビクトリアの名を冠した史跡巡りがここに存在する理由は、クィーン・ビクトリアがこの地をお気に入りだったから。そしてそのお気に入りの地で、1852年に、前の所有者ロバート・ゴードン(Robert Gordon)から買ったのがこのバルモラル城だった。

  とはいえ、我々には王室の歴史や誰が誰から買ったなどということには、あまり興味はない。むしろ、現在でも王室が毎夏過ごす避暑地にあるお城は、いったい他のお城とどこが違うのか、これだけを確かめるためにバルモラル城に行ったのであった。

  バルモラル城には、ブレイマー城を見学したあと行ったが、これがちょっと大変だった。地図を見れば、ブレイマー城からバルモラル城まではA93をアバディーン方向に5マイル程度走ればいいハズであった。しかも王室所有のお城だ。付近にはどでかい道標が立っているだろう、と思っていたのが間違いのもとだった。
  ブレイマー城から5マイル程度走ると右手にツーリスト・インフォメーションが見え、自動車が結構停まっていた。しかしバルモラル城は見つからず、ずーっと過ぎてバラター(Ballater)という町まで来てしまった。地図を見て間違いに気付きながらもバラターまで走ったというのが真相。仕方なく、今度はバラターから南ディーサイドを走るB976をブレイマー方向へ引き返す。この道は右手にディー川を見ながら走る道で、うっそうとした山の中を走る道だが、何といってもB道路。その道は細く起伏がある。しばらく走るとロイヤル・ロッホナガー蒸留所(Royal Lochnagar Distillery)の看板が左手に見えてきた。「ここもビクトリア・ヘリテイジ・トレイルの一つだよね」などと話しながら通過。「ないよなあ、こんなところには」と話しながら、細い道を進むと前方左に何やら建物が見えてきた。「なんて書いてある?」「バルモラル・エステイト(Balmoral Estates)と書いてあるよ」「でもカッスルではないよねえ」と話して通過しようとしたとき、通過する看板にカッスルの文字が見えた。「ここだ」と気付いて、その先の駐車場に駐車。B976を走ったのはわずか15分程度で、結果的に目的地を探し当てたので問題ないが、こんな時はいつも不安になるものだ。
  駐車場のそばをA93が走っている。歩いてA93に向かい、どのあたりだろうと見てみると、先ほど通過したツーリスト・インフォメーションの近くだった。そこには、ロイヤル・ロッホナガー蒸留所の道標と、バルモラルの文字は見えたが、やはりバルモラル城(Balmoral Castle)の文字は見えなかった。

  とりあえず駐車場に車を停めて(50pの駐車料金がかかる)、途中ディー川にかかる橋をわたってバルモラル・エステイト方向に歩く。

  バルモラル・エステイトの看板のあるところに行くと、そこには料金所があった(大人£4、5歳以上の子供£1)。


画面上から下に流れるディー川

画面下から上に流れるディー川(このままアバディーンに注ぐ)

  しゃれた門を抜け、エステイトの道を歩く。太い幹を持つ木々が道の両側に立っていて木陰を作っている。10分程度歩くと、前方の木々の間から白い建物が見えてきた。それがバルモラル城だった。
  ここにはお城だけがあるのではなく、王室所有の土地建物などの不動産があり、それを総称して「バルモラルの王室財産」つまりエステイトというのであった。

  このお城の外観はさすがである。今まで見たどのお城よりも美しく大きかった。何とか伯爵とか、何とか卿とか、あるいは中世の領主のお城ではないのである。それは、現在この国全土を統括する王室のお城なのだ。もちろん避暑地のお城ではあるが、よく手入れが行き届いている。お城を取りまく広場も広く美しい。


外観はさすが!

  ところが、である。肝心の内部はほとんど非公開であった。お城の内部で見学できるのは、王室ゆかりの品が展示してあるお城で一番広いボール・ルームだけ。その部屋の出口を出ると外に出てしまう。たったそれだけである。あとは、売店・レストランの奥にある独立した建物に展示してある馬車の客車など。さらに、庭園は現在育成中で何もなしというおまけつき。

  もちろん、エステイトなのだから、お城だけがそこにあるわけではなく、森やクリケット場などもあり、好きなだけ散策できるのだが、いろいろなお城を好きなだけ散策してきた我々にとって、興味の中心はお城だけ。ちょっともの足りなさを感じてしまった。
  一通りお城とその付近の建物や展示物を見て、天気も良かったのでレストランで一休み。
  ここのレストランのコーヒーはインスタント・コーヒーの自動販売機バージョン。たしか50p程度だったのでそれも仕方ないかとは思った。しかし「王室ゆかりの地だから」とはいわないが、せめて香り高いコーヒーを飲みたかったというのが実感。

  つらつら考えてみれば、英国は何とも不思議な国だ。政治的にはスコットランドは「独立」しているのだ(1999年に独立したスコットランド議会が復活した)。そして、スコットランドにはイングランドとの長い戦いの歴史がある。その戦いには当然、軍を統率する大将、つまり王家がかかわっていた。スコットランドに王室があり、イングランドにも王室があったのだ。それが統合して英国という国を形作り、現在では王室としては英国統一のキングまたはクィーンを頂いている。
  スコットランドに住んでいると、スコットランドは好き、でもイングランドは嫌いという気持ちになってくる。これはスポーツの試合での両者の戦いの観戦を通して、あるいは、よく見るセント・アンドリュース旗のために、ジワジワと精神的にスコットランドびいきにさせられてきたからかもしれない。それはまた、「王室といったって普段はロンドンに住んでいるのだし、しょせん、イングランドだ、フン!」という気にもさせられる(何とも単純な脳細胞だ)。
  とはいえ、王室がここにお城を持ち、毎年夏にここで過ごし、地元の人々(当然スコティシュ)はクィーン一行を大歓迎する。
  また、このお城にはためいていたのは、スコットランドの戦いの旗、スタンディング・ライオンであった。一方、エディンバラ城やスターリング城で見たものはユニオン・ジャックだった。王室所有のお城ではスタンディング・ライオンがはためき、スコットランドとイングランドの攻防戦が繰り広げられたお城ではユニオン・ジャックがはためいている。何とも不思議な気がしてくる。

  そんなことをとりとめもなく考えながら、1時間半程度滞在し、アバディーン方向に向けて出発した。


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