葉桜見ながらお花見気分−2年7班遠足同行記

 4月に入って2年生から「お花見に行きませんか」と誘われた。その後、3年生のあるクラスからも誘いを受けた。どうやら、学生たちは、4月下旬から5月ぐらいにかけて、クラス単位で「遠足」に出かけるらしい。
 かつて日本人専家のI先生と行った龍王塘は、毎年4月20日が桜花祭である。学生たちは、クラスの仲間たちとお花見に行き、バーベキューなどをして一日を過ごすらしい。
 『お花見はいいとして、龍王塘でバーベキューなどできるのだろうか。』

 「4月20日、朝7時20分に賓館に迎えに行きます。ロビーで待っていてください。先生、朝早いですが大丈夫ですか?」
 「前日早く寝て早起きするよ。」
 7時20分とはまた早い。しかし日本でもお花見の時には、朝早くから場所取りをしなければならないわけで、彼らもそのつもりなのかもしれない。
 予定の時間に学生が迎えに来て、寮の前まで赴いた。
 「あのバスで行きます。」
 見れば、バスが寮の前の道路に停まっていた。貸し切りバスだった。

 学生は、2年7班の学生(言語・計算機専攻)で、月曜日の授業に出席している学生たちであった。幹事(クラスの班長、Oさん)によれば、40名ほどが参加しているという。男女比は1:3ぐらい。
 7時40分頃、バスは一路龍王塘へ向け出発。朝から青空が広がって絶好のお花見日和だった。
 バスの中に備え付けられているテレビでは、中国で有名なお笑い芸人、趙本山のVCDを流していた。それを見ながら、女子学生はゼリーやら、飴やら早速おやつを食べ始めた。小生にもお裾分け。
 ある学生は味付けタマゴを小生に勧めてくれた。
 「これはスーパーで0.5元です。美味しいですよ。」
 最初は断っていた小生も、その学生が美味しそうに食べているのを見て、ご馳走になった。
 真空パックに入ったタマゴの色は真っ黒である。さぞ独特の味が付いているのだろうなと思ったが、食べてみると、塩味だけで苦手な香りはしない。
 「美味しいでしょ?」と学生。
 「うーん、色から受ける印象と違う味だなあ」と小生。
 「このタマゴには、田舎風タマゴと書いてあるんです。私たちはみんな好きですよ。」

 バスは順調に進み、9時頃には龍王塘に到着。
 入り口には、桜祭りの横断幕が掲げられ、売店も出ている。
 バスは指定の駐車場に入る。とはいえ、そこは、ダムにたまった水を排水する人工的な河川が作られていた場所だが、ダムに水などないわけで格好の駐車場に変わっていた。
 「11時半までここで過ごします。」
 「ということは、バーベキューはここでしないの?」
 「ええ、別の場所です。」
 たしかに、龍王塘の中には、バーベキューをする場所などない。これで合点がいった。

 学生たちは、お花見という言葉は知っている。日本の風俗習慣であることも知っている。
 何故って?
 それは、小生が講義で採り上げたからである。講義では、花見の名所とともに「ソメイヨシノ」「場所取り」「酎ハイ」「酔っぱらい」「カラオケ合戦」など、お花見にまつわる話をした。しかし、ほとんどの学生にとって、実際に桜を見ることも、お花見も初めての体験であった。
 龍王塘には1,500本の桜の木があり、一部八重桜もあるが、その多くがソメイヨシノである。
 「先生、どれが桜ですか?」
 「これだよ」と指さした桜の木は、見事に葉桜状態であった・・・。
 「やっぱり今年は暖かかったんだよ。もうほとんどのソメイヨシノは散っている。」
 「残念ですねー」と学生。
 それでも、まだ花を付けている桜も何本かあって、その前で写真撮影。


桜ダンス

 中には、音楽に合わせて自分たちで考えたという、「桜ダンス」をする学生もいて、訪れた客で人だかりができるほど。
 「どうして日本人は桜の花が好きなのですか?」
 「うーん。たぶん、桜の散り際の美しさが日本人の感覚に合っているのかもしれないな。桜の花は満開になったら一週間ぐらいしか咲いていないんだ。その後はすぐに散ってしまう。雨など降ったらアッという間だ。いつまでもダラダラと咲いていないんだよ。そこがいいのかもしれないな。」
 こんな説明で合っているのか、あるいは学生が「散り際の美しさ」を理解してくれたかどうか、まったくわからなかったが、それでも学生たちは納得顔をしていた(と思いたい・・・)。

 一通り見て回った後は、三々五々、グループを作って自由行動になった。
 小生と一緒に行動してくれたのは男子2名、女子6名。
 ダムの方に向かうと、ライラックがまさに満開だった。
 「この花はライラックというんだよ。リラともいうけどね。これは、ボクの勤めている大学の花なんだ。」
 由来を説明しながらそぞろ歩く。
 桜の並木の下では、小学生低学年と思われる女の子たちが、琴の演奏会をやっていて、お祭り気分を盛り上げてくれた。

 桜の木の下で車座になって座り、しばらく雑談。人出は多いものの、場所取りなど無縁。
 女子学生はKIROROの「長い間」を歌ってくれた(もちろん日本語で)。何かの授業で習ったらしい。
 「先生も一曲歌って下さい。」といわれたが、これには困ってしまった。
 「ボクは、歌詞カードがないと歌えないんだ。いつもカラオケばっかりやっていて、そこでは歌詞が出てくるから覚えられないんだよ」といって乾いた笑い。
 すると、別の学生が「だんご3兄弟」を歌い始めた。
 「うーん、その歌も知ってるけど全部は歌えないな。じゃ、その代わり、ゲームをしよう。」
 こういって、「どびん・ちゃびん・はげちゃびん」を教えた。「簡単な言葉だけど、間違えたら失格だよ」というと、みんな緊張の面もち。はじめは言葉を覚えられなかった学生も、何回かやるうちに慣れてきて、大いに盛り上がった。
 「次はこんなゲームをやろう」といって、教えたゲームは「ナンバーコーリング」。
 「これはリズムをはずしてはいけないんだよ。もちろん、番号を間違えても失格。」
 これまた、慣れてくると大いに盛り上がった。小生もムキになってしまった。
 「面白いので寮に帰ってからも遊びます。」


桜が満開ならなおよし


日本の花見よりゆったり

 11時30分、一行が乗り込んだバスは、旅順方向に走る。学生はまたまたおやつを食べ始める。
 30分ほど走って停車した場所は旅順の小高い丘の登り口だった。
 Oさんの指示に従って学生たちはバスを下り始めた。小生も下りようとするとOさんが「先生はちょっと待って下さい」という。
 Oさんと運転手が何か話している。「不行(プシン)、不行(プシン)」の声が聞こえる。
 結局、小生はバスの中で足止めされてしまった。
 Oさんに聞けば、そこは外国人立入禁止の場所だった。その丘の名前は白玉山。
 かつてI先生は、旅順には軍港があり、軍港が丸見えの場所には外国人は行くことができないといっていた。ここがそういった場所の一つだった。Oさんは、何度も詫びていた。バスの運転手は「日本人はダメダメ」、つまり「不行(プシン)、不行(プシン)」といっていたのだった。
 「私もバスに残ります。」
 「いいですよ、Oさんも行ってきて下さい。」
 「いいえ、私はいいです。」
 小生こそ恐縮してしまった。
 バスの中には、小生とOさん、そして運転手。
 「ボクは黙ってれば中国人に見えるんじゃないですか?」
 「いいえ、ダメです。すぐに日本人だとわかります。」
 「そうかなあ。ボクは学内で会う人が日本人だか、中国人だか、韓国人だか、なかなか見分けがつきませんがね。」
 「いいえ、私たちはすぐにわかります。」

 バスのまわりに行商が近づいてくる。大連の地図を売る者もいる。海産物を売る者もいる。
 運転手は、ある行商から、小さな巻き貝を買ってくれた。その巻き貝(Oさんが名前を聞いてくれたがはっきりとはわからなかった)は、大連周辺の海岸で採れる巻き貝で、大きさも色もカワニナに似た感じ。行商は王冠に穴を開けたものと一緒にくれた。どうやって食べるのかと思えば、王冠の穴に貝の尻を入れて、テコの原理よろしく力を入れて倒すと、尻の部分がポキッと折れる。そのあと太い方を口に入れて吸う。すると、中身がスッととれて口の中に入るというわけである。はじめは、『大丈夫だろうか』と思ったが(食あたりを大いに警戒)、一度塩を入れたお湯でボイルしているとのことだったので、恐る恐る食べた。これが結構いける。
 運転手が小生の方を見たので「好、好」というと、ニッコリ笑って、彼も食べ続けた。

 その後、学生たちが戻ってきたのは小一時間ほど過ぎた頃。時計は午後1時を大きくまわっていた。
 全員が戻ったところで、バスは大連方向に向きを変えて出発。20分ほど戻っただろうか、道路左手に砂浜が見えてきた。
 その砂浜にバスは停車。そこでバーベキューをするのだった。

 持参した道具を使って炭おこし。これは男子学生の仕事。
 ところが、海から吹き付ける強風のため、思うように炭がおきない。3カ所ぐらいに分かれて炭おこしをするが、どうにもうまくいかなかった。
 その間、女子学生はお菓子を食べながらおしゃべり。
 小生も炭おこしを手伝ったが、万能火おこしなどあるわけはなく、新聞紙と木っ端を使っての炭おこし。これはなかなか厄介。空腹感も手伝って、風がなおさら冷たく感じる。
 それでも、男子学生の粘りの甲斐があって、3時前に炭がおきて、バーベキュー開始。

 メインは、羊肉の串焼き。これは、大連市内でも一本1元ぐらいで売っている非常にポピュラーな食べ物。
 焼きはじめにオイルを塗る。そして焼き上がったところで、香辛料をたっぷり付けて食べる。基本は塩と唐辛子。唐辛子の量は半端ではない。それでも、羊肉の臭みがとれて美味である。学生は小生に気を遣ってくれて、最初に焼き上がった2本をくれた。その2本を食べ終わると、また別のところで焼いた串焼きを2本。食べ終わるのを見計らってどんどん持ってくる。ビールも持参していて、一本持ってきた。コップなど用意してなく瓶ビールのラッパ飲みである。
 大連に来て驚いたことであるが、当地では辛いものをよく食べる。女子学生の何人かは、串焼きに辣醤(日本でいえば「辛みそ」といわれる韓国のみそのようなもの)をたっぷり付けて食べていた。小生も食べたが非常に辛い。でもうまい。でも辛い。じゃがいもやさつまいも、また堅く焼いたパンのようなものもオイルを付けて焼き、またまた辣醤をたっぷり付けて食べる。

 一通りおなかがふくれたところで、後始末。
 何しろ、風はどんどん強くなり、みんな「寒い、寒い」を連発。
 4時過ぎに撤収。

 その後、大連市内に入り、まっすぐ帰るのかと思えば、大連の景勝地、濱海路を通って帰るという。
 大連と北九州市は友好都市のようで、その友好記念に架けられた北大橋には、ちょうど結婚式のために、ビデオを撮影しに来た、5、6組のカップルがいた。中国では、結婚式の前に、撮影業者を雇って、景勝地でビデオ撮影をするという。結婚記念だ。そのポーズたるや、見ている方が恥ずかしくなるような大胆なポーズ。それを写真とビデオにおさめている。
 結婚式は洋装である。
 「チャイナドレスじゃなんだね」と聞くと、「チャイナドレスは披露宴の時にお色直しで着ますよ。正装ですから」とのこと。
 「中国でも洋風のものにあこがれているんです。」
 『ふーん、日本と変わりないなあ。』

 というわけで、賓館に戻ってきたのは、あたりがすっかり暗くなった午後6時30分だった。[24/Apr/2002]

Indexへ