ボランティア活動によって想起される感情
0007058 菅原 純子
【目的】
わが国では、1997年の阪神・淡路大震災をきっかけにボランティアの存在が一躍クローズアップされ、その年はボランティア元年と呼ばれるようになった。そして、団塊の世代の大量定年時代を控え、熟年時代の生きがいとして、また児童・生徒の教育プログラムの一環としてその効用が謳われ、NPO法施行による活発化と併せて、まさに「ボランティアの時代」をむかえたといえる。高木・妹尾(2001)は、ボランティア活動によって得られる生きがいや充実感を「援助成果」と名づけ、ボランティア活動によって援助者はなにかしらの援助成果を得られるとしている。 しかし、援助行動の研究やボランティア論などは、つねに“する側”の理論だけが語られ、“される側”の意思とはほとんど無関係に論じられてきた。数少ない“される側”の体験記では、“する側”が善行と信じて行っている援助が被援助者を傷つけていることや、周囲の第三者に迷惑をかけている実例が語られている。その中でも批判が集中しているのは、「自分の自己実現のためにやっている」、「優越感を得るために弱者を利用している」という点である。確かに、“する側”の体験記では自己啓発や自己の成長を強調しているものが圧倒的である。ボランティア活動の結果として援助成果を得られるのは肯定できても、優越感や自己実現願望に動機づけられた活動ならばそれは“される側”を深く傷つけ、ボランティアに対して否定的な評価をされてしまうだろう。 そこで、本研究では、日常的で非緊急的なボランティア活動において想起される感情を測定し、ボランティアする側がされる側の思いを時には無視して、自ら心理的報酬を得るために援助活動を行っているのではないかという、一部のボランティアへの「違和感」の原因と思われる感情を検討することを目的とする。検討する内容は、(1)ボランティア活動をすることにより、自己意識に変化はあるか、経験者と非経験者の比較、(2)高木・妹尾の「援助成果」仮説、(3)援助効果と自己犠牲と感情の関係、(4)ボランティア活動に払う犠牲と自己愛の関係の4点とする。
【方法】
調査対象者:札幌市内のボランティア団体成員 38名
北星学園大学社会福祉学部学生
68名
北海道内自治体職員 40名
一般社会人 104名
質問紙 :
妹尾(2003)による援助成果尺度項目、小塩(2004)による自己愛・自尊感情尺度項目、近藤・鎌田(1994)らによる新性格検査からの性格傾向尺度項目からなる。
手続き:
質問紙の回答は無記名で、自己記入とした。札幌市内のボランティア団体の定例会に赴き、回答させてその場で回収。北星学園大学学生は授業中に記入させ、その場で回収。一般社会人は知人、懇意の会社・団体等へ郵送回収。
【結果と考察】
ボランティア経験者と非経験者の比較では、対人ボランティア経験者とボランティア非経験者の間で「優越感」、「注目・賞賛欲求」、「自己主張」の3項目で差が見られ、ボランティア経験者はこれらの感情が想起されやすい環境にいると考えられる。 ボランティア活動による援助成果の分析では、ボランティア活動による援助効果を得ることにより、援助効果を得られるという、高木・妹尾(2003)の仮説が支持された。 ボランティア活動の動機と自己愛項目には関連が見られなかったことから、優越感などの自己愛項目に含まれる感情によってボランティア活動が動機づけられているのではないと考えられる。ボランティア活動における優越感の規定要因では、対人ボランティア活動による援助効果の認識が援助成果を、援助成果が優越感の想起に関わっていることがわかった。 ボランティア場面における自己愛の規定要因の分析では、援助効果の認識との関連が見られたが、自己犠牲と自己愛の間、および援助成果と自己愛の間に関連はなかった。これにより、ボランティア活動に大きな犠牲を払う行為の動機づけとなるのは自己愛でないことがわかった。 ボランティア活動に大きな犠牲を払う行為の規定要因の分析では、対人ボランティア群で自己実現項目が有意に影響していた。これにより、「自己実現願望」→「犠牲を伴う行為の希求」→「対人ボランティア活動」→「援助効果の認識」→「援助成果の認識」→「優越感の想起」というプロセスがあることが考えられる。また、優越感の想起が援助成果の一つとして考えられる。
(指導教員 豊村 和真 教授)