ー大人になることへの拒否―          `99,10,26(TUE)

        発表者:四宮 ふみ子   司会者:鷲見 彩

 

 最近、私たちくらいの年齢の人々が、大人になり切れていないというようなニュースを耳にしました。大人になり切れていなかったり、大人になることを拒否する若者が増えているのは一体どうしてなのかと思い、このテーマを選びました。途中、永遠の少年について、最も如実に表れてると言われている小説である「星の王子さま」の解釈について触れながら、このテーマについて発表していきたいと思います。

 

 

 

 永遠の少年とは、もう立派に成人してもよい年齢になっていながら、思春期の心理状態にとどまっている人間のこと。つまり、17.8歳の年齢ならばごく尋常であるような諸特性がそのまま大人になっても尾をひいている人間のことである。(フォン・フランツ、1970「永遠の少年の問題」) 永遠の少年とは、古代ギリシアの神の名であり、オヴィデイウスの転身物語に由来する。この神は成人することなく死に、太母の子宮のなかで再生し、少年として再びこの世に現れ、決して成人しない英雄であり、神の子であり、太母の申し子である。この神話に由来して、上記のような症状を持つ人間のことを、C.G.ユングは「永遠の少年」と名付けた。

 

 

*永遠の少年の持つ特性

 

 フォン・フランツによると、永遠の少年とされる人間にはいくつかの特徴があるとされている。

 

まず一つ目は、

  現実的な社会への適応が難しく、ある種の誤った個人主義を抱いている、

ということである。なぜなら彼らは、自分はどこか特別な存在であるから、社会に適応する必要はないと考えるからである。したがって、この観念のために彼らはどんな職業に就いても、決して望みどおりの職業だとは思えないのである。彼らは、どんな職業も自分にはふさわしくないものだとして、未来のいつか自分に見合った本当のものがくるという空想を抱いている。こう言った態度は、H.G.ベインズ(1882−1943/英)のいう「仮の人生」がそれで、自分はまだ本当の本来の人生を生きていないという現実逃避的な感情・態度といえるだろう。

   

次に二つ目として、彼らは

  危険なスポーツ、特に登山や飛行と言った、出来る限り高く登れるようなスポーツに強く惹かれる、    

ということがあげられる。この態度もまた、現実逃避の一種として考えられ、現実や大地、日常生活といったものから逃避したいと言う気持ちの現れである。この種の特性を強く抱く場合は、飛行機事故や、山の遭難で若死にすることでさえ稀ではない。

 

そして最後に、最大の特性として、彼らは、

  母親に大変強く依存している、

ということが言える.これは彼ら、つまり永遠の少年を生み出す最大の要因として考えられている。彼らにとって母親は絶対的なものであり、偉大なものである。彼らは、常にその懐に抱かれている人であり、抱かれていたいと願っている。ときに彼らは、その懐から抜け出し、死をも恐れない大胆な跳躍を試みることもあるが、真実のところその背後に働くのは太母の子宮への回帰の願いであると言われている。彼らは母親による庇護の下で、前述のような現実を逃避した世界に安住しているということが言える。

 

 

 

 ユングによると、母親の原理は、「包括する」機能によって示される。それは全てのものをよきにつけ悪しきにつけ包み込んでしまい、そこでは全てのものが絶対的な平等性を持つ。「我が子である限り」すべて平等にかわいいのであり、子供の個性や能力とは関係のないことである。しかしながら、母親は勝手に子供が母の膝下を離れることを許さない。それは、子供の危険を守るためでもあるし、母―子一体という根本原理の破壊を許さないためといってもよい。このようなとき、ときに動物の母親が実際にすることがあるが、母は子を呑み込んでしまうのである。かくて、母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑み込み、しがみつきして、死に到らしめる面を持っている。

 つまり、このような母親の庇護に安住し、抜け出すことの出来なくなってしまった人間が、永遠の少年となってしまうのではないだろうか。

 

 

*星の王子さまは永遠の少年か

 

 さてここで、「星の王子さま」という作品に触れておこうと思う。ユングの高弟であったフォン・フランツによると、この作者であるサン・テグジュペリは典型的な永遠の少年であったと述べられている。

 −星の王子さま―

 フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによって書かれた。1900年リオンに生まれ、1944年、フランスの飛行中隊長としてコルシカ島の沖合い偵察中に姿を消したといわれている。20歳ごろから、航空に異常なまでの興味を持ち始め、何度となく危機に陥ったが、その度ごとにますます情熱を燃やし続けたと言われており、これが永遠の少年の二つ目の特性に通じることからも、彼が永遠の少年だったのではないかと

推測される.その代表作として「星の王子さま」、「夜間飛行」などがあげられる。

 

「彼は空を飛べない時はきまっていらいらして怒りっぽくなり、朝から晩までアパートのなかを絶望的な気分で歩き回った。反対に飛行できると正常な自分を取り戻すことが出来、気分が爽快になるのを感じた。妻とともに地上にとどまらねばならなかったり、何か他の状況に縛られたりすると、きまってそういう不幸な精神状態に陥るので、彼はいつも飛行に戻ろうとした。」  (フォン・フランツ/永遠の少年「星の王子さまの深層」)

 

 本文より―

「僕の絵の第一号です。ぼくは鼻たかだかと、その絵をおとなの人たちに見せて、<これ、こわくない?>とききました。すると、おとなの人たちは<ぼうしが、なんでこわいものか>といいました。ぼくのかいたのは、ぼうしではありません。ゾウをこなしているウワバミの絵でした。おとなの人たちに、そういわれて、こんどは、これなら、なるほどとわかってくれるだろう、と思って、ウワバミのなかみをかいてみました。おとなの人ってものは、よくわけを話してやらないと、わからないのです。僕の第二号の絵は、上のようなのでした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前述の母親の呑み込みが、このシーンと上の絵に如実に表れているとフォン・フランツは考えた。上の図は、ウワバミに呑み込まれたゾウの図である。フォン・フランツによると、ゾウは、サン.テグジュペリ本人を表しており、それを呑み込んでいるウワバミは、母性そのものであるととされている。この図は、母親と強い絆で結ばれ、母性に呑み込まれているサン・テグジュペリ本人を表していると。

 

「ウワバミは明らかにすべてを呑み込む母親のイメージであり、もっと掘り下げていうと、無意識の呑み込む側面を表すからだ。これに捕まると生気は奪われ、発達は妨げられる。無意識にはこのように、退歩的な呑み込む側面、いわば逆行の傾向があって、無意識の力に征服された人々を襲うのである。」  (フォン・フランツ/永遠の少年「星の王子さまの深層」)

 

 上記のように、星の王子さまは、永遠の少年の特性がよく表れたものとされていたが、それに対し、矢幡洋は1995年出版の「星の王子さまの心理学」で、次のように述べている。

 「『永遠の少年―星の王子さまの深層』には致命的な問題点がある。それは、サン・テグジュペリの伝記的事実に関して、基本的な誤記があまりにも多すぎることだ。」

 それではどのような誤記かというと、

などがあげられる。

 

 これに関して矢幡洋は同書において、「善意に解釈すれば、『永遠の少年』は講義記録をもとにできたものらしいで、話しているうちに他の人物に関する記憶が混入してしまったのではないか」と述べており、フォン・フランツの意見に固執せず、このような意見があることも、頭に入れておくとよいと思う。

 

 

*永遠の少年に似た症状

 現代人が抱える「永遠の少年」に似た症状として次の二つもあげられるだろう。

  1. ピーターパン・シンドローム(略称、PPS)
  2.  アメリカの実存心理学者ダン・カイリーによって命名された。この名称はないない島に住み永遠に大人になることのないピーターパンを由来としている。「年齢からいったら一人前の男なのに、行動を見る限り子供という男。(PPSは思春期以降の男子に現れる)身体だけが大人になり、心は子供のままといった“おとな・こども”(man−child)の状態。彼らは母親にとらわれ、父親には妙なこだわりをもっている。この症状をわたしはピーターパン・シンドローム=PPSと呼び、こういったニュータイプの人々をピーターパン人間と呼ぶ。」(ダン・カイリー/ピーターパン・シンドローム/1983)

     

  3. モラトリアム人間

  青年期は、独立の人格としての社会的義務や責任が一時的に免除される猶予期間(モラトリアム)とも見られる。

 E.H.エリクソンは、青年期を「心理社会的モラトリアム」と呼んだ。

 モラトリアム人間の特徴もまた永遠の少年に類似しており、現在の自分の人生はまだ本来のものではないといった「仮の人生」観をもっており、全てのものごとに関する自己選択が延期されている。つまり、彼らモラトリアム人間は、全ての社会的出来事に当事者意識をもたず、お客さま意識しか持っていないのである。

        (小此木啓吾/モラトリアム人間の時代)

 

 

*現代、なぜ永遠の少年は増えつづけるのか

 

 河合隼雄の著書である「母性社会日本の病理」によると、現代社会におけるイニシエーションの欠落がその一因ではないかとされている。

 イニシエーションとは、成人集団への加入儀礼のことであり、その多くは、身体毀損を伴う苦行や試練が課される。むかし、武村においては、前髪をそり落とす・衣類の袖を短くする・名を改める、などがあげられ、農村においては、力石を担ぐ・神社にこもって一夜を明かす・霊場で難行する、などがあった。また、現在も未開社会では行われている。(例、抜歯を行うなど)本来ならば、このイニシエーションは欠落したとはいえ、私たちの無意識の中に根付いており、ある成長段階において、その人個人にとってのイニシエーションが演出されるはずであった。(例えば、ヘンダーソンによると、多くのひとは夢の中で「父親(母親)殺し」や「死と再生」などの体験をし、イニシエートされる)しかし現代においては、それすらも欠落し、社会的・教育的にも大きな問題となっている。現代人は、成人となるイニシエーションも行えないまま、永遠の少年としてさまよい続けてしまうのである。

 

 

 永遠の少年にとって真に重要なことは、何かを最後までやり通させることである。それを通して彼らは、現実を逃避することをやめ、自分の人生を回避せずにやり通してゆく雌性をみにつけなければならいだろう。

 

 

 今回のレジメを作るにあたって、永遠の少年は病気とかではないけれど、自覚したりしにくいぶん、深刻なものだと思いました。現代の風潮と化してしまわない様に、1人1人がきちんと現実をみつめ、人生を歩んでいくべきだと思います。

 

  【引用・参考文献】

*星の王子さま  作サン・テグジュペリ 訳内藤 濯(1962)

*永遠の少年「星の王子さま」の深層   著M.L.フォン・フランツ(1970)

                    訳松代 洋一、椎名 恵子(1982)

*「星の王子さま」の心理学        著矢幡 洋(1995)

*母性社会日本の病理          著河合 隼雄

*ピーターパン・シンドローム       著ダン・カイリー(1983)

                    訳小此木 啓吾(1984)

 

 

 

★Q&A★

 

  1. 文中に出てくる「太母」とはなにか?

永遠の少年の名称の由来である神話の中の「永遠の少年」の母親、太母のこと。

 

2、永遠の少年を作り出すのは実の母親だけなのか?

それについては、資料中には何も書かれていなかったのでわからないが、幼いころから身近にいて影響を多大に与えるという点では、実の母ではなくても、永遠の少年を作り出す可能性はあるといえると思う。

 

3、母親だけがその現象の根本的原因なのか?

それもあるが、最近では一種のブームとしても扱われ、社会的現象ともいわれている。

 

4、父親への妙なこだわりとはどんなものか?

彼らは、父親に愛されたい、認められたいのに、そうされるはずがなく決して受け入れられることはないと思い込んでいる。父親は彼らにとって唯一絶対的な存在である。

 

5、永遠の少年とは、日本に限られる現象か?

日本だけではなく、海外においても見られる。

 

6、イニシエーションは男性だけに限られたものなのか?

日本においては、昔は男性にしか成人するという意識はなく、女性が成人するという観念はなかったと思われる。海外においては、女性にもイニシエーションが見られる場合もあり、例えば、一定年齢になるとある期間家の中にこもり女性としての仕事を学んだりする、ということもある。

 

7、イニシエーションは、七五三などの行事などにも通じているのか?

七五三は日本古来の行事ごとであり、イニシエーションのような儀式とは少し違った意識でとらえたほうがいいと思う。

 

8、永遠の少年は大人にはなれないのか?

彼ら自身が、現実逃避しているという事実をみつめ、何か一つの物事を達成するなどしたときに、その症状は回避できるだろうと言われている。

 

9、永遠の少年とは病気なのか?

これははっきりしないが、みんなの意見を総括すると、病気としてとらえるひとは少なく、病気とまではいかないと思う。