基礎演習レポート

  見ることは賭である

 

                       ――エイムズの部屋から学ぶこと――

   1999.11.9    発表者:大石 香奈子  司会者:柳田 佐知子

 

 私たちは普段、目に写るものを素直にそのまま受け入れている。おそらく、疑いながらものを見て生活している人はいないだろう。そこで今回は、エイムズの部屋を取り上げ、目に写るものがいかに不安定なものかということを学習していきたいと思う。

 

エイムズの部屋Ames distorted room

 この部屋は、アデルバート・エイムズ(A.Ames,Jr.)が作った部屋で、小さな壁穴から単眼で内部が観察できるようになっている。数名程度の人が入れる小さな部屋で、一見どこにでもありそうな普通の部屋である。しかし不思議なことに、この部屋の右側・左側にそれぞれ同じくらいの身長の人を立たせてみると、右側の人は「巨人」に、左側の人は「小人」に見えてしまうのである。それだけではなく、左側に立っていた「小人」が右側に向かって歩くと、だんだんと「巨人」に変わっていき、反対に右側の「巨人」は、左側に歩くにつれて「小人」になる。どうしてこのようなことが起こるのだろうか。(図:心理学パッケージpart3 131頁 図1、図2参照)

 

 実際、このエイムズの部屋はゆがんで作られている。壁穴から部屋の右奥は極端に近く、左奥は極端に遠く設計されている。(心理学パッケージpart3 132頁 図3参照)当然、この部屋の右側に立つ人は、左側に立つ人に比べて、かなり近くにいるわけだからその分だけ大きく、反対に左側の人は小さく見えるのである。また、窓もゆがんでいて、天井と床の間隔は右側で狭く、左側で広い。この部屋のゆがみは、手前のある一点から単眼で見るとき、床や天井は水平に、窓や壁などもごく普通の部屋のように見えるのである。

 

 

エイムズの部屋がゆがんで見えないのは…

  観察者の目の中に映る部屋は、通常のしかくい室内の条件を満たしている。つまり、このゆがんだ部屋の与える網膜像は、通常の部屋が与える網膜像とまったく同じなのである。しかも奥行きの手がかりが極端に制限されている事態では、私たちの知覚は過去経験に一致するように構成されるとエイムズは解釈した。すなわち、私たちは日常生活から、窓の大きさ・高さはすべて同じで、窓枠も平行であると思いこんでいるので、錯覚が起きるということである。

 

《エイムズの主張》

 奥行きの手がかりが極端に制限された事態では、網膜に与えられた刺激情報に対して、過去経験に基づいた「仮説」を近刺激に適用することによって、知覚世界が構成される。

 

*奥行きの手がかり→→最も有力な手がかりは両眼視差である。両眼視差とは、右目と左目の網膜に投影さえる像の違いのことで、立体視が生じる。(心理学辞典 1999

*近刺激→→外界から観察者の感覚受容器の末端に到達して、そこで何らかの作用を引き起こす刺激のこと(心理学辞典 1999)。ここでは、網膜に写った部屋や人の大きさを近刺激といい、反対に部屋や人の実際の大きさを遠刺激という。

 

前に述べたとおり、エイムズの部屋をのぞくと部屋の片側に「巨人」が、もう片側には「小人」がみえる。しかし、1949年のハドレイ・キャントリルらの実験で思いがけないことが発見された。それは、親しい人(夫や妻)を観察したときには、そのような大きさの変化が知覚されないということである。

この実験の被験者である婦人が、一方の窓には夫が、もう一方の窓には見知らぬ人がいるエイムズ の部屋を、観察していた。前に述べたとおりに考えると、「巨人」に見えたり「小人」に見えたりするはずである。ところが、彼女が見たものは、他の被験者の見たものとはちがい、通常の大きさと変わらない夫の姿であった。もう一方の窓に現れた別の男性については、拡大したり、縮小したりした。そこで、夫と別の男性の場所を入れ替えてみたが、やはり彼女には、正常の大きさの夫と、拡大(縮小)した男性が見えた。(心理学パッケージpart3 133頁 図4参照)

今のところ、なぜこのような現象が起きるのかはわかっていない。この現象は、婦人の愛称にちなんで「ホーニ現象」と名づけられている。ホーニは、25年以上の結婚歴を持ち、夫を尊敬し、深く愛していた。このようなことから、この現象は夫婦間の特殊な情愛が関係していると推測された。その後、他の結婚歴の浅い夫婦の間でも何例か観察された。よって、この現象は、ただ単に相互の顔を見なれていることによるのではないということが明らかになった。(W.J.Wittreich 1952

 

エイムズの部屋がゆがんで見えるとき

 キルパトリック(FPKilpatrick)は、エイムズの部屋が所定の位置から単眼で観察するときに、正常な四角い部屋に見えることを確かめたうえで、観察者に、のぞくための穴の下から手を入れて、部屋のあちこちを棒で触らせたり、ボールを投げさせたりした。

 その結果、単に観察を続けるだけでは、知覚に変化が生じないにもかかわらず、このような動作を続けるときには、最初四角い部屋に見えていたのが、しだいにゆがんだ部屋に見えるようになり、四角い部屋として見ることができなくなった。この知覚的変容は、実際に棒で触ったり、ボールを投げたりした部屋だけでなく、その他のゆがんだ部屋にも及んだ。

 この事実は、知覚と行動との関連を示すものと考えられるが、この実験では観察者自身がこのような動作を行う動作群と、実験者が部屋を棒で触ったり、ボールを投げるのを観察するだけの非動作群との間には、明らかな結果の差は認められなかった。(柿崎・牧野、1976

 

 まとめ

視覚や知覚は、決して目や視覚系だけのはたらきによるのではない。私たちは、目だけで「見る」のではなく、むしろ、からだ全体で「もの」を見ているといえる。

 

質問・意見

→それについての資料はないが、エイムズの説に基づくと経験のない場合は錯覚が起こらないと言えるのではないか。

(ホーニ現象について)

→このことに関しても資料はないが、個人的には変わらないと思う。

→ホーニ現象については、まだ深い研究はなされてないので詳しいことは不明。

→人の顔の大きさ自体は、それほど差はないので「見なれた」「見なれてない」だけでは、説明がつかない。

(「エイムズの部屋がゆがんで見えるとき」について)

→窓の外にいる男性の大きさが変化して見えているということは、ゆがんで見えていないということだと思う。

→正常に見えると思う。

→壁穴からのぞきながら、操作をした。棒の長さなど、詳しいことはわかりません。

→手がかりの度合いが違うので、動作をする方がより理解できるのではないか。

→そういうものではない。

 

【引用・参考文献】

                                日本経済新聞社 1976