環境は脳を変える
つくられる天才と鈍才
2002年12月4日
発表者 加藤航児
司会者 鈴木慎吾
はじめに
人間には学習能力や判断力、識別能力など、様々な能力で個人差がある。また、かの有名な天才物理学者アインシュタインの脳は平均的な脳と比べて思考能力を活発化させる仕組みが優れていたという報告がされている。こういった個人差は生まれつきによるものなのか、それとも環境によって育まれたものなのか。この問題を解決するには、遺伝が知能に与える影響と環境が知能に与える影響の両方について深く考える必要がある。
(1)知能と遺伝の関係
遺伝が知能に与える影響を考えるにはライネール(Reinohl,1935)が行なった親子の知能研究の結果や、エレンマイヤー・キムリングら(Erlenmeyer・Kimlingら,1967)が行なった知能テストから得られたデータが大変役に立つ。
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ライネールの知能研究
ライネールは一般人の親と子供の知能を比較し、表1に示した結果をあげた。知能の判定は親子ともども教えた小学校教員によるものである。
表1.両親の組み合わせによる子供の知能(Reinohl,1935)
両親の組み合わせ |
子供の知能(%) |
||
優 |
普 |
劣 |
|
優 × 優 |
71.5 |
25.4 |
3.0 |
普 × 普 |
18.6 |
66.9 |
14.5 |
劣 × 劣 |
5.4 |
34.4 |
60.1 |
優 × 劣 |
33.4 |
42.8 |
23.7 |
結果から分かる様に、優れた両親からは優れた子供が多く、劣った両親からは劣った子供が多い事が明らかである。ただ、表の3.0%の部分をしめる劣った子供や、5.4%の部分をしめる優れた子供の存在は、知能の遺伝が複雑な仕組みである事を表していると考えられている。
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エレンマイヤー・キムリングらの知能テスト
エレンマイヤー・キムリングらは親と子、同胞間等の知能の比較を行ない、それらをまとめて表2に示した結果を報告した。
表2. 報告された近親者間の知能の相関(Erlenmeyer・Kimlingら,1967)
相互の関係 |
研究の数 |
相関係数の範囲 |
中央値 |
他人 別の家庭 同一家庭 養父母と養子 親子 同胞 別の家庭 同一家庭 二卵双生児 異 性 同 性 一卵双生児 別の家庭 同一家庭 |
7 |
−0.04 〜 0.27 −0.13 〜 0.31 0.18 〜 0.39 0.22 〜 0.80 0.34 〜 0.49 0.30 〜 0.77 0.38 〜 0.66 0.44 〜 0.87 0.62 〜 0.85 0.76 〜 0.95 |
0.09 |
7 |
0.16 |
||
4 |
0.19 |
||
13 |
0.52 |
||
3 |
0.46 |
||
39 |
0.49 |
||
10 |
0.53 |
||
11 |
0.53 |
||
4 |
0.75 |
||
15 |
0.88 |
※相関係数とは、相互の関係の深さの度合いを示すもので、高い程、相互は密接な関係にある事を表す。又、一卵双生児はお互いの遺伝子組成が一緒で、二卵双生児はお互いの遺伝子組成において同胞と同等な違いを有すると考えられている。
この結果は血縁が濃くなればなる程、その相関が高くなる事を明らかに示している。知能を決める遺伝子の存在やその働きは現在ではまだ解明されていないが、この二つのデータは知能が遺伝する事の可能性の高さを如実に表している。
(2)知能と環境の関係
環境が知能に及ぼす影響を調べる為に、アメリカのカリフォルニア州立大学のバークレー校の研究者達はネズミを用いた実験を行なった。この実験はブランコや梯子、回転車等が周囲にあり、頭を使わせる「豊かな環境」と、狭く、薄暗くて物音のしないカゴに閉じ込める「貧しい環境」をネズミに与えて、それぞれの環境下に置かれたネズミを比較したものである。実験結果から表3の様なデータが得られた。
表3. 「豊かな環境」で育ったネズミの脳の特徴(心理学パッケージ5より抜粋)
1.脳の重量が増大。
2.脳皮質の残りの脳に対する重量比が増大。特に後頭葉に変化が著しい。
3.脳皮質が厚くなる。
4.神経細胞の生長が著しい……細胞体、核の肥大。樹状突起が伸び、特に突起部の刺(とげ)が生長。神経細胞のからみ合いが密になる。
5.グリア細胞の数が増大。
6.グリア細胞、毛細血管中に、アセチルコリンエステラーゼの濃度が増大。
7.総蛋白質が増加。
8.RNA(リボ核酸)はほとんど変わらず、DNA(デオキシリボ核酸)が減少する。
9.RNA/DNA比が増大。
これらの特徴は脳の化学的、構造的な違いを表し、全体的に知能が高くなった事を示すが、その変化の度合いが甚だしい事から、環境条件が脳に与える影響が非常に大きい事が分かる。ここから、アインシュタインの脳の構造の違いも一概に遺伝によるものと決めつける事はできないと言えよう。
また、母親の子供に対する行動や態度がその子供のIQ(知能指数)の上昇や下降に非常に深く関わっている事もモスとケイガン(1958年)によって発見されている。彼らによると、母親が子供の知的発達を促進し奨励する態度と男児のIQとの間に有意な相関が見出され、エネルギッシュで子供の健康や成功に高い関心をもつ母親の男児はIQが高いらしい。
この様に、親の態度や豊富な刺激などの環境条件は密接に知能に関わる。
(3)知能を構成する2つの要素
遺伝も環境も知能に影響を与えているとすれば、この問題の解決の糸口をはかる為にあと1つ、知能の構造について考えてゆく必要がある。比較的多くの研究者に受け入られている、ヘッブ(Hebb,1972)の提唱した知能の定義によると知能は、遺伝や生理学的要因によって規定される生得的、潜在的な知的能力(知能A)と環境や文化的要因からの影響を受けて構造化される知的能力(知能B)の2つの要素で構成されているそうである。この理論から、前述した、「遺伝も環境も知能に大きな影響を与える。」という事実を説明できそうに思えるが、ここで注意してほしいのは、遺伝と環境がそれぞれ独立して無関係に知能に関わるのではないという事だ。人それぞれ「環境刺激に対する感受性」というものを生まれつき持っていて、それが悪いとどんなに豊富な環境刺激を与えても能力が伸びない事があり、この場合遺伝の規制が働いている。又、どんなに優れた素質を持っていても環境が悪いと天才が生まれる事は無く、ここで環境の規制が働く事になる。つまり遺伝と環境は相互に密接に関連し合って知能に影響を与えているという事である。
僕の考えでは、この「知能が高い低いは生まれつきか、育ちによるものか」という問いには両方であると返答するしかない。もし遺伝と環境のどちらか一方でも欠落していたり、異常に劣った状態であるならば、そこから真に優秀な人間が生まれる事は無いと思う。
引用文献:「知能」有斐閣双書 上出弘之 伊藤隆二
参考文献:「知能のスーパーストリーム」新曜社 半田智久
この発表で寄せられた数々の質問に対する回答
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相関係数とは何か
相関係数とは二変数間の関係の強さを数字として表したものです。互いに関連する二つの変数(xとy)の関係、すなわち対になった測定値(x,y)の点を全てグラフ上に描いたものを散布図と言います。(1,2)、(5,5)、(54,12)といった点を全てグラフ上に打ったものだと考えていただければ分かると思います。相関係数は、xとyの間の関係の強さについて表したものですから、当然これらの点の分布状態がバラバラにでたらめになればなる程、xとyの間には大した関係が無い事になり、相関係数の値は0に近づきます。又、散布図の状態が直線の状態に近づけば近づく程、xとyの間には関係が見られ、右上がりの直線の時は、1、右下がりの直線の時は−1になります。相関係数は常に−1を最小値、1を最大値にとります。相関係数が0から離れればそれだけxとyの間の関係は強まると言う事です。
A
豊かな環境で育ったラットの脳の特徴についての詳しい説明を
体重に比べて分不相応に重い脳を持つ事(要するに頭でっかちという事)が高い知能を持つ為の条件である事はジェリソン(Jerison,1973)によって発見されている。故に1の脳の重量が増大という変化は知能の向上を示す。知性を司る重要な部分である脳皮質が重くなる(2)事や、脳皮質が厚くなる(3)事が知能の向上を示す事は明らかである。脳が大きくなるにつれ、神経細胞の数は大して変化しないが、神経細胞の生命維持や栄養補給を受け持つグリア細胞の数が比例して多くなる(5)事で神経細胞の生長が著しくなり(4)、神経細胞間のつながりが密になってネットワークが発達し、これが知能の高低を決めると考えられている。脳内の神経細胞間の興奮を伝える伝達物質にアセチルコリンというものがあり、これが増えると、記憶力が向上したりして知能の向上に貢献するのであるが、不要になったアセチルコリンを分解する酵素がアセチルコリンエステラーゼで、この量が増えたという事(6)は、アセチルコリンの量が増えて、分解すべき対象が増えたためそれだけ多くのアセチルコリンエステラーゼが必要になったという事なのでアセチルコリンの増加、すなわち知能の向上を示す。蛋白質は、記憶の形成や維持、脳内の情報伝達に重要な役割を果たしており、量の増加(7)が直接知能の向上に結びつく。DNAは細胞の核に位置し、細胞の中でRNAを作り上げるが、脳細胞を活性化させ、その働きを向上させるのはRNAの方である。つまりRNAの量の細胞全体に占める割合が増加するという変化(8)と(9)は脳細胞の活性化すなわち知能の向上を示すと考えられる(この部分は資料が見つからないので、いくつかの事実から自分が推測した)。
B
まとめの部分で何故ヘッブの理論が導入されるのか
ライネールやエレンマイヤーの実験結果から遺伝も環境も知能に影響を与えるという事実が出てきたが、こういった事実を理論的に説明するために、ヘッブの理論を借りる必要があったのです。
C「貧しい環境」が知能を高くし、「豊かな環境」が知能を低くする事もあるのではないか。
近年のアメリカの研究では、「子供に豊富な刺激を与える事」の効果が決定的では無い事が分かっている。子供の発達にとって一体何が「豊富な経験」なのかを吟味する必要があり、環境内の対象と子供が能動的な交渉を活発に持つ様な試みこそ重要だという事だ。僕の考えでは、確かにテレビゲーム等の受動的交渉をもたらす様な環境の下に居るよりは何もせずに寝ている方が知能の発育にとってはよっぽどマシなように思われる。こういった「最適な環境」というのは人それぞれ異なるだろう。このネズミの実験では、前述したアメリカの研究と併せて考えると、実験後に知能が高くなった事から、「豊かな環境」というのがネズミにとって本当に「最適な環境」だったという事が分かる。対象にとって「最適な環境」を与えればその知能が高まる事から、環境が知能に影響を与えるという事は証明できると言える。
D「中央値」は「平均値」と同義か。
違います。いくつかの数字で構成される数字群の性質を最も良く反映する数字をその数字群の代表値と呼びます。平均値と中央値はその代表値の一つで、平均値はその数字群の数を全て足して数字の個数で割った値で、中央値は数字群の数字を小さい順に並べて見て、ちょうど真ん中に位置する値(数字が偶数個ある場合は、真ん中に位置する二つの数字を足して二で割った値)の事で当然この二つは本質的に違います。この違いはその数字群が小さい数字を多く、大きい数字を少なく含んでいる場合等、つまり全体的に数字が小さい方又は大きい方に偏っている場合に明確に表れます。平均値は少数派の数字の方に引っ張られる形になりますが、中央値は少数派の数字を無視し、多数派の数字の値をとります。