2000年10月26日

 

死に直面した人の心理

 

発表者 坂下 慎太郎 司会者 蝦名

 

≪死にゆく人の心理過程≫

 

人は死を避けることはできない。どのような形であれ、生きている限り必ず死は訪れる。自分に残された時間が短いことを知った時、もしくは知らされた時、人はどのような気持ちで死に対処するのであろうか。

精神医学者エリザベス・キューブラー=ロスは、末期ガンなどで死に直面した200名以上の臨死患者との対話を重ねることにより、死ぬ時の心理過程を明らかにした。

 

五段階

 

人は死の宣告を受けた時,ショックで始まり、五つの段階を死ぬ時までに踏んでいく。

 

1,否認

2,怒り

3,抑鬱

4,取り引き  

5,受容

 

これらの段階は入れ代わることができず、必ず隣り合い、ときには重なり合って訪れる。また、必ずしも最終的受容に到達できるとは限らず、時間によっては途中の段階で死を迎える人もいる。

 

否認

 

否認は情報を信じたくない、受け入れたくない心境である。このような否認の意味は信じるまで時間が欲しいということであり、一種の緩衝装置の役割を果たしてさえいる。患者は否認を裏付けようと様々に試みるが、結局は否認をやめざるをえなくなる。

 

怒り

 

否認という段階が維持できなくなると、怒り、憤り、妬み、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。この時期では、患者はどこへ目を向けようと、見出すものすべてが不平不満のタネである。

 

抑鬱

 

度重なる手術、衰弱、残される家族への不安、経済的な重圧などを考えれば、誰でも抑鬱の原因は納得いくものであろう。

 

取り引き

 

あらゆるものに怒りをぶつけ、それが益のないことだとわかりかけると、次に思い付くことが「取り引き」である。人々や神に対して何かを申し出て、約束事を結び、もしかすると、この忌わしい不可避のできごとを先へ延ばせるかもしれないというかすかなチャンスに賭ける。取り引きの期間は短いが、患者にとっては大切な儀式である。あっさりと無視するようなことはよくないのである。

受容

 

もし、患者に充分な時間があり、そしていくつかの段階を通るのに若干の助けが得られれば、患者は自分の運命について抑鬱も怒りも覚えないある段階に達する。患者の関心の環は縮まっていく。無欲になり、周囲の対象に何らの執心もない。死に対して恐怖も絶望もない。受動性ではあるが、患者自身で達するのである。これを「デカセクシス」という。

 

もうひとつの大切なことは、患者は最後の瞬間まで何らかの形で希望を持ち続けていたことである。希望の形は、新薬、新発見、神による奇跡など様々である。

 

 

≪死にゆく人を見て≫

 

 

 以上までは、患者、つまり死ぬ人の立場で心理過程を述べた。しかし、人が死ぬときは、残される人々がいることも常である。最後に、この残された人々においての「死に直面した人の心理」を取り上げたい。

 

 多くの場合、患者の苦しみを目前にして、少しでも楽にしてあげたいと思いながら、一分でも一秒でも長く生きていてほしいと願う。特に家族や親愛な人との死別が深い悲しみをもたらすことは言うまでもないが、その表情は非常に複雑であるので、一般に死別に際してどのような体験が注目されるのかをここでは取り上げる。

 

「死の現実」は即座に受け入れにくいものである。人の死を目の前にして、衝撃を体験する。何が起きているのか一瞬判断に迷い、虚脱状態になるというような感覚だろうか。また、一時的に現実感を失って、まるで夢の中の出来事のように思うのかもしれない。多少なりとも自分を失っていなければ、死の現実と夢であれという願いが心の中で葛藤をもたらす。

 

自分自身や家族の誰かが病気になると、しばしば不条理な思いにかられ続ける。このような思いは、いつまでも抱きつつ、周りの誰彼に怒りをぶつけたり、自分を責めるなどの不安定な気持ちで生活が続く。しかし、長期化し慢性化していくと、何らかの過程において自らの運命を受け入れる方向に変わっていく。

 

 死に直面すると、それへの様々な対応が求められるから、ある期間は気を張っているが、長期間に対処行動の及んだ後の死別の場合には、臨終とともに力が抜け、極度の疲労感に見舞われやすい。

 

 様々(身体的・精神的)な疲労により、身体の不調感は生じやすい。また、身体の抵抗力が低下し隠された病気が実際に発症することもある。

 

家族は患者の死亡を確認しても、生活感情の中から簡単に切り離すことはできない。亡くなった人がいつも通り側に居るように感じたり、遺品を目にするたびに昨日のことの様にリアルに思い出したりする。

 

あとがき

 このテーマを通して学んだことは、この心理過程をどう活かすかを考えなければいけないことでした。どの心理学にも共通することだとは思いますが、様々なデータ・資料を集め、分析し見解を出すことは、知識さえあれば誰でもできることです。そして、それはただの結果にすぎません。大切なのは、そのようにして出来上がったものを、どう活かしていくのかということではないでしょうか。

 今回、死に直面した人の心理過程を大まかに学びました。その心理過程はあまり楽そうではない、むしろ辛そうに見えました。ここで、心理学を終わらせるのではなく、そのような患者に対して何をしてあげればよいのか、なにができるのかまで考えなければなりません。ここでは、どういうことが心理的援助になるのかは挙げませんが、機会があればぜひみなさんにも考えてもらいたいと思います。

 

 

引用文献

『講座家族心理学5−生と死と家族−』 長谷川 浩/編集 ブレーン出版

『心理学パッケージpart4』 小川 捷之・椎名 健/編著 金子書房

 

参考文献

『死ぬ瞬間』 E・キューブラー・ロス/著 川口 正吉/訳 読売新聞社

 

 

 

基礎演習を通して出た意見・質問とその回答

 

 

Q,エリザベス・キューブラー=ロスが行った対話方法や、200名の患者の詳細などこの実験について詳しく聞かせて欲しい。

A,資料を探しています。が、見つかりません。

 

Q,五段階の順序は本当にこのままで表れるのか。

A,「死ぬ瞬間」という本によると、否認、怒り、取り引き、抑鬱、受容の順となっています。ただ、個人差があるので一概にこの通りになるとは限りません。

 

Q,この図にある受容の隙間や、準備的悲嘆・部分的否認の隙間は何なのか。

A,図のように各期間が重なっていたり、途切れていたりすることは、各心理状態が交互に表れたり、時々表れたりと不定期的なことを意味します。

 

Q,受容とデカセクシスの違いは何か。

A,受容とは感情がほとんど欠落した状態を意味します。まわりにたいする関心が薄れていき、患者は静かな時間を好むようになる。これを受容と定義しています。そして、この受容のことをデカセクシスといいます。

 

Q,患者がこのような五段階を踏むに当たって、どのようなことが心理的援助になるのか。

A,患者の意向を無視し、家族や病院側の都合で患者と接するのではなく、患者の主体性を尊重することが心理的援助の基本になります。患者が様々な感情を表に出したときに、周りの人はそれをいかに受け止められるかが大切です。

 

Q,時代背景や、患者と家族の立場の違い(親子・兄弟など)、年齢の違い(年上と年下・世代など)によって死の受け止め方が変わってくるのではないか。

A,死に対する考え方は様々です。また、患者のケースによっても変わってくると思われます。ここで紹介した心理過程は、一般的なものを表すものなのでご了承ください。

 

Q,患者が亡くなってから短い期間での心理状況はわかったが、その後長い目で見た時、家族の心理過程や状態はどうなっていくのか。

A,死は終りを意味しますが、遺族には始まりをも意味します。家族は長く死を忘れることはできません。怒りや、不満などの感情を表に出しますが、それをいいかげんにしろと責めるのではなく、広い心で受け止めてあげることが、家族が死を受容することへの第一歩になります。

 

引用文献

『死にゆく時』 E・S・シュナイドマン/著

『病院の心理臨床』 山中 康裕・馬場 子/責任編集

 

 

死にゆく人の心理過程について

講義中にも話題になった、死にゆく人の心理過程について最後少し載せておきます。

特に問題となったのは、抑鬱、取り引きの順序で、入り交じっているとか、順番にくるとか様々な意見が飛び交いました。心理学パッケージには図の通り抑鬱、取り引きの順で書いてあり、「死ぬ瞬間」には取り引き、抑鬱の順で書いてありました。これらの本には順序が確定しているようなことが書いてありましたが、本当にそうなのでしょうか。交互にきたり、あるいは逆の場合や、どちらかない場合もあるのではないでしょうか。

結論は出せないままこの講義は終わってしまいましたが、機会があればぜひ話し合いたいです。