34.第50回NHK紅白歌合戦

  日本を離れていると、たまには日本のテレビ番組を見てみたいと思うこともある。当地のテレビ番組は、クイズ、映画、連続ドラマ、DIY関係の番組が多い。コメディーや音楽番組もあるがどうも面白い番組は少ない(もちろん、言葉の壁のせいもある)。
  そんなことに備えて、子供達のために日本で録画したビデオテープを何本か持参していた。
  日本から持参したビデオテープを再生するためにはビデオデッキが必要である。英国仕様のビデオデッキでは日本で録画したビデオテープを再生することができない。英国のビデオの再生方式はPAL、日本は(米国も)NTSCと呼ばれる再生方式で、互換性がないため、日本で録画したビデオテープを再生するためには、NTSC方式のテープが再生できるデッキを購入しなければならないのである(つまりPALもNTSCも再生可能なデッキ)。幸いにして、NTSC方式も再生できるデッキは、インデックスやアーゴスなどのカタログショッピング店で購入することができ、価格もそんなに高くはなかった(もちろん日本のメーカーのものは高い)。
  デッキを購入して、早速、アンテナ線−ビデオデッキ−テレビをつなごうとした。テレビにつないでいたアンテナ線をビデオデッキのアンテナのところにつなぐ。次にビデオから出ている同軸ケーブルをテレビのアンテナ線がささっていた穴に接続する。ここまでは日本と同じだ。日本ならば、次に赤・黄・白の3ピン接続ケーブルの穴がデッキとテレビ双方に用意されているので、それぞれの穴の色にケーブルを差し込む必要がある。ビデオの録画再生用だ。しかし我々が購入したデッキにはケーブルが附属していなかったばかりか、そもそもデッキにもテレビにもそんな色付きの穴などなかったのである。
  『音声と映像の再生を同軸ケーブル一つで賄おうってわけ? そんなバカな』
  そんなバカなことをマニュアル通りに実行すると、ちゃんとビデオが再生でき、録画もできたのである(簡単といえば簡単)。

  ビデオデッキを購入した当初は、子供達は日本から持参したビデオをテープがすり切れるほど見た。すべて子供番組だったので、見ていて飽きなかったのかもしれないが、セリフを覚えるまで見ていたほどである。そういったテープに飽きてきた頃、ヒロコさんから宮崎峻の映画ビデオ(「となりのトトロ」「紅の豚」「耳をすませば」「天空の民ラピュタ」「平成狸合戦ぽんぽこ」)を借りてきて、それもセリフを覚えてしまうほど見ていた。なにしろ、終日ビデオ浸けの状態だったのだ。
  やがて親戚の家から「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」などが入ったビデオが何度かにわけて10本弱ほど届いた。親戚の家でももう見なくなったビデオで(7〜8年前に放映されたもの)、見たあとは当地で処分してもいいとのことだった。今度は、子供達は「サザエさん」や「ちびまるこちゃん」のセリフを覚えてしまったのである。

  さて、アバディーン滞在も半年が過ぎた頃、友人から小生にとって待望のビデオが届いた。それは紅白歌合戦を録画したものであった。

  届いたその日の午後、早速、ビデオ鑑賞会となった。総合司会の宮本隆治の声が聞こえてくる。きらびやかな舞台に出場歌手が勢揃いしている。
  『懐かしいなあ』
  赤組トップはモーニング娘。の「LOVEマシーン」。そして白組はDA PUMPの「We can't stop the music」。
  『うーん、そうだそうだこれが紅白のオープニングだ』
  Hystelic Blue、Something ELseと続く。5曲目には、去年の春先に大ヒットした「だんご3兄弟」。その後何曲か唄われたあと、白組の口上。
  『そうだそうだ、こういうことをするのも紅白。ここは勘九郎の独壇場だ』
  画面に「8:00」と出たときにはGLAY。
  『GLAYにせよL'Arc〜en〜Cielにせよ、一昔前にはこの手の歌手は紅白には出なかったなあ。俺たちの唄はコンサートでしか観客にアピールできないとかなんとかいって。GLAYもL'Arc〜en〜Cielもえらい!』
  やがて伝説のスポーツヒーローショーと題したブレイク。進行役はKinKi Kids。
  『なーんだKinKi Kidsは紅白出場歌手ではなかったのか。あんなに売れていたのにな』
  懐かしの西城秀樹も出場していた。
  『バイラモス? どこかで聞いたぞ。そうだ、去年ラジオでよく聞いたエンリク・イグレシアスが唄った曲だ(当地でも曲名はBailamos)。日本語バージョンってわけか』
  その後もKiroro(「長い間」は2年連続唄ってるんじゃない?)、堀内孝雄、伍代夏子、TOKIOなどの唄が続く。
  『何でKinKi Kidsが出場歌手ではなくTOKIOが出場歌手なんだ? ジャニーズ事務所の陰謀じゃないか?』
  TOKIOのあとは、SPEED。
  『4年で引退かあ。まさにマイ・グラジュエイションだな。なるほどマイ・グラジュエイションじゃなくてマイ・グラジュエイシャンっんていうのか・・・。さすがクボジュンは本場仕込みの英語だなあ』

  『そういえば、南極観測船から電報が届かなくなって何年になるんだろう? その内容は決まって「南極の氷は白かった」白勝った、だったなあ』
  その後、何人か唄って出場歌手全員による合唱「21世紀の君たちへ〜A Song for Children」。
  そしてニュース。エリツィン辞任、2000年問題対策。
  『2000年問題はずいぶん話題になったんだな、知らなかった。札幌の元日の天気は曇りときどき雪。最低気温は−4度、最高気温は−1度か。まあまあ穏やかだな』
  画面の表示は「9:30」。
  「おい、夕飯の支度はいいのか?」
  「でもテレビの前を離れられないのよ。」
  我々は誰もテレビの前を離れることができなかった。

  後半は野猿の「Be Cool !」から始まった。赤組は浜崎あゆみ。その後はL'Arc〜en〜Ciel、鈴木あみ、SMAP、安室奈美恵、Sans Filtre、globeと続いて応援合戦。宝塚歌劇団月組と歌舞伎。
  『なかなかいい組み合わせじゃないか。それにしても森繁久弥は演技なのか、本当にボケちゃったんだろうか』
  八代亜紀のあとはかぐや姫。
  『おおっ、パンダさんもショーヤンもいるじゃないか。泣かせるなあ』
  次のブレイクは21世紀のスポーツヒーローショー。
  『やっぱりこれだよな、日本チアリーディング協会のみなさん、今年もはつらつとしていいなあ』
  これが終わると、あとは一気に演歌道のハズだ。
  まずは川中美幸。そして美川憲一。
  『ハデー! それにしても早変わりというより、完全にイリュージョンの世界だ。なるほどプリンセス天功が指導しているのか。そういえば、あのヘビの目、本当は光るんじゃなかったのかなあ』
  美川憲一のあとは松田聖子。
  『幸せと聞かないで ウソをつくのは上手じゃない・・・か。今の聖子にピッタリだな、この歌詞。おおーっ、ナベサダが吹いてるじゃないか。さすが、いい音出してるなあ。』
  そして聖子のあとは、郷ひろみ。
  『聖子にひろみ。NHKもやるなあ』(と思ったら、あとで津川雅彦も同じことをいっていた)
  いよいよ郷ひろみだ。だいぶ前、ゼミ生から「今、日本では郷ひろみのアチチが流行ってます」と伝えるメールを受け取っていた。その時は『郷ひろみがアチチだと?』と思っていた。
  郷ひろみの曲は「GOLDFINGER'99」。前奏が流れる。
  『おっと、待てよ、どこかで聞いたぞ、このメロディー。何だっけなあ』
  「A Chi Chi A Chi」
  『そうだ、これもラジオでよく聞いたリッキーマーチンのリヴィン・ラ・ヴィダロッカだ!。それにしても郷ひろみ、だんだん若くなっていくようだなあ。オモテウラ合わせて払う払う、か・・・』
  驚いたのは三波春夫。「俵星玄蕃」ときたもんだ(ほとんどの人は聞いたことがないだろう。何故か小生は口ずさめる)。
  期待した小林幸子は衣装と曲調がしっくりこなかったようだ。
  画面に「11:00」の表示。紅白もいよいよ佳境に突入する。
  もはや誰もテレビの前から離れない。口数も少なくなっていた。 

  小林幸子の次はさだまさし。相変わらずいい唄だ。
  『紅白は世界50ヵ国・地域で放送されているというが、英国じゃやってないよ』
  次は由紀さおり・安田祥子の「故郷」。
  この曲の途中でかみさんの目に涙が光る。
  『ちょっと待て。泣くのは反則だ!』
  続けて森進一「おふくろさん」。
  『あーダメだ』と思った瞬間、小生の涙腺がうるうる。
  石川さゆりの「天城越え」、谷村新司の「昴」も良かったし、天童よしみの「川の流れのように」も良かった。五木ひろしの「夜空」は紅白で始めて唄ったらしい。赤組のトリは和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」。大トリは北島三郎の「まつり」。フィナーレにふさわしい演出。
  そして結果発表。まずは会場のみなさんの投票。麻布大学の野鳥研究部の皆さんのカウントと珠算有段者の暗算(いつから日本野鳥の会から麻布大学に替わったのだろう)。白組1479票、赤組1217票。白組優勢。次に特別審査員の投票と総合結果。白組7、赤組6で白組の優勝。対戦成績は25勝25敗。
  最後は宮川泰指揮で「蛍の光」の合唱。
  『この曲をスコットランドで聞くとなおさらジーンとくるんだなあ、これが。スコットランドの曲だもんね』

  こうして、4時間以上にわたる第1回目の紅白歌合戦鑑賞会が終了した(おかげで夕食はずいぶん遅くなったが)。
  夕食後、「ゆく年くる年」を見た。12時には紅白出場歌手がカウントダウン(その時間には、英国では12月31日の午後3時だったわけだ)。

  この次の日から、我が家ではほぼ毎日紅白のビデオを見るようになった。もちろん、続けて全部を見ることはないが、子供達は第1部を繰り返し見ていた。日本では聞かなかった唄も、毎日見聞きすることによってメロディーを覚え、いつしか口ずさむようにもなった。今度は歌詞を覚え始めたのである。小生は、寝る前にBGM代わりに聞き流している。ビデオとともに乾き物も届いたので、ウィスキーと乾き物の組み合わせで紅白を見ている。夜に紅白を見ると、何故かその日が大晦日のような気になるから不思議だ。

  そして3月25日、土曜日。この夜も紅白を見た。昨日の続きで今日は第2部だ。何度見ても「故郷」「おふくろさん」の場面では涙腺がゆるくなる。やがて「蛍の光」の合唱。考えてみれば当地に来てわずか半年を経過しただけだ。何年も滞在している人から見れば「まだ来たばっかり」といわれそうな時間しか経っていない。しかし日本以外で紅白を見ると、ずいぶん長いこと日本を離れていると思ってしまうのも事実だ。

  時計の針を見ると、夜11時。
  『さあ寝るか』
  ベッドに入る前に、家中の時計の針を1時間進めた。時計の針は、一瞬にして深夜12時になった。
  3月26日午前2時をもってサマータイムになるからであった。[27/Mar/2000]


Previous Turn To Top Next